「悪魔の詩・サルマンラシュディ」感想とあらすじ

ふと以下の新聞記事が目にとまり読んでみた本です。ラシュディの新作は日本で翻訳されるのでしょうか。だれも引き受け手がないような気もしますが。。


反イスラム小説「悪魔の詩」などを執筆しイランの元最高指導者、ホメイニ師から「死刑宣告」を受けた英作家、サルマン・ラシュディ氏(65)が18日、約9年間に及ぶ逃亡生活の内幕を記した新著を発表した。

新著「ジェセフ・アントン」は著者の経験に基づくもので、偽名を使い、武装警官の警護を受け、友人や出版社のつてを頼り、20カ所もの「隠れ家」を転々とする主人公の人生が描かれている。

ラシュディ氏は18日の新著発売を前に、英BBC放送のインタビューにこたえ、1988年の発表後、イスラム教徒の激しい反発を買い“発禁本”に指定された「悪魔の詩」が、「イスラムに対する恐怖と緊張感が高まる今日では、出版は欧米でもできなかっただろう」と語った

サルマンラシュディ




思うにぼくがまとめるより、辻原登(芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、司馬遼太郎賞などの受賞者)の本に取り上げられてたので、そちらを要約引用します。あらすじ含みます。

悪魔の詩とは by辻原登

ラシュディは1947年生まれ。インドのムスリム出身で、イギリスに移住して英語圏の作家になった。「悪魔の詩」は1988年に発表された。この小説はコーランや預言者マホメットをあからさまに冒涜するものだとして、イスラム社会の憤激を買い、各地で抗議デモや暴動が起き、イスラム各国では発禁処分になる。

イランシーア派の最高指導者ホメイニによって、ラシュディに懸賞金付きで死刑が宣告される。懸賞金は580万ドル。この死刑判決はファトワーという宗教令。

ファトワーはそれを出した最高指導者本人しか取り消すことはできない。1998年にホメイニは亡くなってるから永久に死刑判決は続くことになる。

この出版に関わった人はすでに40人以上が殺されている。ラシュディ氏は今もなおイギリス政府の厳重な保護下に置かれている。

では「悪魔の詩」とはどういう作品なのか。

まず2人のインド人ムスリム(イスラム教徒)が登場する。1人は俳優、1人はボンベイの金持ちの息子。この2人がロンドン行きの飛行機に乗る。この飛行機が空中爆発して、ヒマラヤ上空で乗客が空中に投げ出される。2人のムスリムはなぜかイギリスの海岸に落ちて奇跡的に助かる。その後ロンドンで悪戦苦闘、ドタバタの物語を展開するという小説。とても面白い小説だが、特になんらかのメッセージがあるというものではない。

問題はこの2人が空中を落下していく長い時間に妄想する内容。この妄想の中で、コーランがからかいと批判の対象になっている。

コーランは人間の正邪、善悪を推し量るすべての基準であるから、決してからかってはいけないし、これに反するものはジハード、つまり聖戦の対象になる。

コーランはマホメットが天使ガブリエルの伝える神の言葉を書き取ったもの。アッラーの神がいて、天使ガブリエルがいて、マホメットがいる。

このガブリエルがアッラーの神の教えを読み聞かせているとき、悪魔が一時天使ガブリエルの姿をとってマホメットのところに現れて、イスラム成立起源以前の3人の女神を讃える言葉を紛れ込ませたという逸話が語られる。

ということはイスラム成立起源の前に、3人の女神がいたということになる。このことはアラーが唯一絶対神であることを否定する意味をもつ。アッラーの前にアッラー無しだ。ところがその前に3人の女神がいたということを、ガブリエルに化けた悪魔がマホメットに吹き込むと言うエピソード。

これは350年前にセルバンデスがドンキホーテでやったことと似ている。騎士道物語の背後には聖書が隠されている。

神は死んだという我々の世界では、どんな芸術でも許される。しかし神のいる世界ではそれは許されない。たとえばイスラムの世界では。

日本では「万葉集」の時代には言霊信仰というのがあった。言葉には霊力が宿っていて発せられた言葉の内容を実現する力がある。だから言挙げという行為が一番忌み嫌われる。これは相手の素性を暴露して屈服させる呪文。

相手の起源を暴露して、おまえの起源はだめだ。そういう呪いの言葉。これをやったら罰せられる。

ヤマトタケルノミコトが死ななければならなかったのは、言挙げしたから。

ラシュディの「悪魔の詩」はイスラムの起源のコーランをからかい、起源を暴き揺るがした。たとえ小説というフィクションであっても、言葉には冒涜の力があり、傷つける力がある。怖れよ。

「悪魔の詩」の日本語版は、1990年に新泉社から刊行された。図書館、アマゾンでは手に入るが、店頭販売ではあまり見かけない。当初から自粛されたから。

翻訳者の筑波大助教授の五十嵐一は、1991年、研究室の階段で何者かによって暗殺された。犯人はいまだに捕まってない。

2007年ごろ、読売新聞の「ひと」欄にひとりの女性が紹介された。その女性は群馬のある町に看護短期大学をつくった。身体障害者の人たちにしっかり向き合うことのできる学問、実践を構造的に学べる短期大学をつくった。そしてその人は、その大学の副学長になった。

この女性が五十嵐一氏の奥さんだった。ご主人が殺されたときは家庭の主婦で子供を2人育てていたが、ショックで1年ぐらいは何も考えられなかった。その後これではいけないと思い、大学院に入りなおして医療関係の勉強をし直したという。

おもわず背筋が伸びます…。



悪魔の詩の問題となったシーンは?

問題になったマハウンド(登場人物名、マホメットの悪口で犬畜生という意味もあるようだ)が、女神(多神教)を認めてしまう2章ですが、一度は認めてしまうものの、すぐに訂正します。山にこもって天使の声を聴くと、やっぱり神は一人しかいないと。

自分や仲間が不利益になってもかまわないという強い信念で街へ行き、多神教はありえないと訂正宣言します。

だいたいにしてマハウンドが多神教を認めるシーンも、以下のようにどうとでもとれる表現です。「汝らはラート、ウッザー、マナート(女神三人の名前)のことを思ったことがあるか」
「彼女達は栄誉ある鳥達で、そのとりなしこそ誠に望ましいものである」

もちろん前後の文脈はあるにしても、これのどこが多神教を認めたの?ですよね。禅問答のような抽象的な解です。コーランの深い知識がない一般の日本人には理解できない、読み飛ばしてしまう部分です。ストーリーには影響ないので。

たったこれだけで。。

とくに訳者の五十嵐氏は、難解でストーリーがあちこち飛ぶ話をきっちり訳して、解説も聡明でわかりやすい。当時44歳という年齢で無念だと。

触れてはいけない問題なのかもしれませんが、結果的に命をかけて翻訳した五十嵐氏の最後の1冊は、多くの人に読んでもらいたい。ぼくは単純にそう思います。

いったい神とは何なのでしょうか。

人類にさまざまな災難をもたらしてるのはオレなのに♪
人類はアホなことにオレを信じ続けている♪
そんなマヌケなところがオレは好きなのさ♪

ランディ・ニューマンで「神の歌」♪

(p.s.コメントによる不測の事態は自己責任で。本記事は突如削除する可能性あり)

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