「藤原道長の日常生活」要約まとめ

この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたる事も無しと思へば
我が娘三人を中宮(天皇の妻)に立て、望月が欠けることもないようにこの世を我が世と思う

藤原道長ってすごいですよね。

なぜかこの時代は輝いて見えます。藤原道長の娘の彰子は一条天皇と結婚します。一条天皇の先妻(定子)の家庭教師が清少納言、後妻(彰子)の家庭教師が紫式部です。今でいえば雅子様のご指導役みたいなものでしょうから、紫式部は国を代表して相当に賢い人だったと思います。

前にも書きましたが、瀬戸内寂聴訳の源氏物語は、竜馬がゆく、三国志、水滸伝に匹敵するぐらい面白いです。機会があれば一度は楽しまれたらよいと思います。

そりゃそうですよね、我が世の春を謳歌した藤原道長が、自分の娘に最高の家庭教師を手配した。そんな人が書いた物語ですから。一説によると源氏物語をオーダーしたのは藤原道長で、娘のために書かせた、光源氏のモデルは藤原道長であるとも。

六条御息所の生霊が憑依する時代は、陰陽師安倍晴明が活躍した時代でもあります。彼も藤原道長や一条天皇に重用されました。

2013年6月には、藤原道長の日記(世界最古の自筆日記)である「御堂関白記」が、「世界記憶遺産」に登録される予定だそうです。

この本は当時の様子を正確に記すために、説話集を排し、日記等の正式記録から起したものです。超能力者安倍の晴明が活躍したりする「今昔物語集」なんかは、創作されてる部分が多い。文学作品を歴史叙述に使用するのは危険だと。

藤原道長の「御堂関白記」、藤原実資の「小右記」、藤原行成の「権記」が現存しているので、道長の言動が三者三様に記録されています。三つを読み解くと一人の意見ではなく、かなり史実に正確になるのではないかと。

そういう意味では、地理の本を読んで楽しがる心持がある人向きの本です。淡々と藤原道長の日常生活が展開する。藤原道長ワールドに染まりたい方はどうぞ。

以下に読書メモを。



平安貴族は激務であった

彼らが遊宴と恋愛のみに熱意を示し、毎日ぶらぶら過ごしていたというのは、女流文学作品に登場する男性貴族の姿を、現実と勘違いしてしまったことによる誤解である。女性たちにとっては男というものは自分たちのいる場所に夜になると遊びに来る生物なのであり、その世界においてしか知らない。

また読者層も女性が多かっただろうから、政務や儀式の有様を述べても喜ばれることもない。だいたい男性貴族の活動する世界に女性は立ち入ることはなかったので、政務や儀式の詳細を記述できるはずもないのである。

平安貴族の政務や儀式は、質量ともに激烈であり、彼らにはめったに休日もなく、儀式や政務は連日深夜まで続いていた。彼らにとっては中央官人社会での栄達だけが、子孫を存続させる唯一の方法であった。先例の遵守や深夜まで続く儀式の遂行や形式的な会議に膨大なエネルギーを注いだのだ。激務をこなした後に、彼らは女性の許に通い、朝になると帰っていくのである。

この世をば~の時期

道長三女の威子は1018年3月7日、20歳で当時11歳の後一条天皇に入内し、4月28日に女御となった。10月16日に立后が行なわれた。その本宮の儀の穏座において詠まれたのが有名な「この世をば」の歌である。

道長がこの世を「我が世」と認識したのが、政権を取った時点でも、外孫である後一条天皇が生まれた時点でもなく、長女彰子の生んだ後一条天皇に三女の威子が立后した時点であった。しかし9歳年少の後一条の中宮に、叔母である威子が立つというのは、いかにも不自然であった。

不健康な平安貴族

栄養の偏り、大酒、運動不足、睡眠不足など不健康な生活を送っていた平安貴族は、病気にかかることも多かった。当時は新鮮な食材に恵まれないうえに、タンパク質の摂取が少なかった。

またアルコール度数が少なく、酔うためには多量に飲まなければならない酒(どぶろくのようなもの)を、饗宴のたびに何献も飲み続けたのである。

しかも多い日には一日にいくつもの饗宴をはしごしなければならなかった。牛車や馬に乗ってばかりいる彼らが運動不足に陥り、深夜までつづく政務や儀式に参列し睡眠不足でもあった。



当時の治療法

医師による投薬の他に、陰陽師による疾病に祟りがあるかどうかの占い、僧による加持祈祷が総合的に組み合わせれていた。現代的な科学的医療だけが治療ではない。加持祈祷や病事占いによる精神的なケアもまた、最先端の治療の一環だった。この病には祟りはなかったという安堵感、この僧による加持祈祷を受ければ平癒するという信頼感を加味すれば、その後の医師による治療も、より効果的になる。

加持祈祷とは、密教僧の行なう加持(手印、真言呪、観想により仏力を任持すること)、による祈祷(息災、増益、敬愛、調伏の四種)のこと。

服薬は古事記をみれば様々なものが用いられたのがわかる。⇒色々書かれてあるが、一言で言うと漢方薬が中心。葛根湯や人参など。他にも湯治(有馬)、灸治、針治、変わったところでは蛭に患部の膿を吸わせるなど。

入内する姫たち

平安中期のキサキの入内年齢は、平均して16.4歳。最低では12歳(藤原彰子)という若さ。はじめての皇子女を出産したときの年齢は、平均すると21.4歳であり、最低でも19歳に達してないと出産してない。

若くて愚かだということは♪
何か悪いことだろうか
ぼくたちも昔はそうだった
若くて愚かな時代に戻りたい♪

トニーベネットってほんと歌うまいですよね。ビルエヴァンスのソロピアノの伴奏だけで歌った本作は、名作だと思います。

レスポンシブ広告

シェアする