【ニーチェの名言15選】~超訳ニーチェの言葉Ⅱより

前作「超訳ニーチェの言葉」は110万部を突破し、社会現象となりました。2匹目のドジョウはいるのでしょうか?

今回も前作と同じ232の言葉を選んでます。若干出がらし気味ですが、まだいい言葉(ニーチェというより白取氏の中に)が残っています。

前作はかなり批判されましたが、そんなにニーチェを切り取ることは良くないことでしょうか?ぼくは白取氏を評価します。僕自身はツラツストラを読んでも読書メモは書けなかったし、永井均の「これがニーチェだ」でさえ書けませんでした。ニーチェは誰かにまとめてポンと提示する類の読みものじゃなくて、自分なりに必死に理解する(ただ理解する)ものなのでしょう。ポンとわかりやすく提示できる白取氏の才能に驚嘆します。

ところで、ぼくがニーチェに関して深く共感する部分は、ルーザロメへの失恋です。

ルーサロメ

こんな天才でも、僕らと同じように苦しんだんだろうなと。恋多き聡明な女性には、振り回されますよねぇ。ニーチェも一喜一憂したんでしょうね…。

気に入った名言を以下に。

女性はこの世の蜂蜜
できるだけ上機嫌でいようとし、ちょっとしたことにもたくさん笑い、きらびやかなことを好み、しかめっ面など一つもせず、子供っぽいほど無邪気な女性たち。そんな彼女たちを、軽薄だの、下品だの、浮ついているだのと非難する人がいる。しかしどうだろう。彼女たちはこの世の蜂蜜ではないだろうか。世の中にはシビアなことがあまりにも多い。胸がふさがれるほど悲惨で深刻な事態が溢れている。その中で、彼女たちは私たちの心を休め、ほっとさせ、やわらげてくれるじゃないか。彼女らがいなかったら、この世は耐えがたいだろう。

美女と真理
美しい女と真理には共通点がある。自分の手に入れてしまったときよりも、どうにかして獲得したいと思っているときのほうがいっそう情熱的で、狂おしくさせるものだという点において。

完全なる幸福の条件
なぜ人は動物を好み、幼児を好むのか。彼らが屈託なさげで幸せに見えるからだ。動物も幼児もその場に応じて自分をごまかしたりしない。ただいつもの自分でいる。どんなことも隠してはいない。どんな瞬間にもあるがままだ。完全に正直に生きている。過去を思い出すこともない。今の瞬間の次の瞬間のことを考えない。心はいつも今の心しかない。つまり、瞬間に縛られている。しかしそれゆえに、憂いも倦怠もない。わたしたちは過去の歴史の膨大な記憶と、
茫漠たる不安に満ちた未来をいつもたずさえているために、彼らの瞬間的な幸福をうらやんでいる。

憎しみを感じるときは自分が弱い
誰かを憎むときは、だいたい自分が弱気でいるときだ。自分のほうが明らかに豊かで強いと感じているときは、相手にことさら憎しみなんか感じないものだ。あるいはまた、復讐できる機会があると思うとき、相手を憎悪することが多い。ところが相手に隙がなく、復讐どころか非難すらできないときは、憎む力も出てこない。

不安な人は愛されたがる
誰かを積極的に愛するよりも、とにかく自分が愛されたいと望む人がいる。どうして、まず自分が誰かから愛されたいのか。その深い理由は、ふだんから自分自身を信じきれずにいるからだ。自分が本当にこれでいいのか、今の自分のあり方に、強い不安を持っているからだ。だから誰かから愛されることによって、自分はこのままでいいという安心を、少しでも得たいと欲しているのだ。

公正であるための孤独
公正であるということは、何からも、そして誰からも、一定の距離をとり、それを維持し続けるということだ。親しい人とも、好まぬ人とも。愛した人とも。さらには自分自身とも。人はそれを、孤独者のスタンスというかもしれない。

いつ、何を語るべきか
人はいつ語るべきなのだろうか。もはや沈黙のままでは赦されない、そんな時だ。人はそのとき、なにを語るべきなのか。みずからの手でなしたこと、自分がすでに克服し終えた事柄についてだけ、淡々と語るべきである。



相手を傷つけたいのなら
いったい何のために相手を誹謗中傷するのか。目的は相手を傷つけることか。だったら、やり方は簡単だ。ことさら口汚く罵る必要もない。誇張さえせず、ありのままの事実を端的に言ってやりさえすればいい。

言葉に含まれる歪み
どんな言葉を使うにしても、その一つひとつの言葉にはなにがしかの先入観や偏見が含まれている。言葉を素直に聞くだけにとどまらず、そこに淡く含まれているものをも敏感に察するため、わたしたちは心や気分を揺れさせてしまうのである。

歓待は安心していない証拠
いつ訪ねて行っても、きみを歓待してくれる人がいるのかい。きみはさぞかし気分がいいだろうし、その人はいい人に見えるだろうね。でもさ本当は、歓待されているうちは、きみについてまだまだ安心していないって証拠なんだぜ。なぜなら、歓待は相手の敵意を麻痺させるための手段だからだよ。心からきみを仲間だと思っていれば、大げさな歓待なんかしなくなるよ。
まったく安心していて防御する必要がなくなるからね。

独創的な人とは
独創的な人とは、いびつで奇異なものを生み出す人のことではない。もうみんなが飽きあきしたもの、古くさいからとっくに見捨てられたもの、あまりにふつうで誰もがあっさりと見過ごしてきたものらを、まるで未来からやってきた見知らぬもののようにとらえる眼と脳と感性を持った人のことだ。

勉強の効果
勉強をすれば知識が増える。しかしそんな知識は社会であまり役立たなかったと多くの人は不平を言う。それはあたりまえのことで、数年程度の勉強で得られる知識はほんのわずかなものだからだ。勉強がもたらすものは実は別のところにある。勉強によって能力が鍛えられるのだ。丹念に調査をする力、推理や推論の力、持久力や根気、多面的に見る力、仮説を立ててみる力などだ。身についたこれらの能力は異なる分野でも大いに通用するものとなる。

慈善の条件
決して貧しくなく、むしろ裕福なほう。世間の人々から敬意を持たれている。丁重に扱われることが多く、悪い評判もあまりない。健康であり、目下のところ歯痛もない。そして軽く食事をして腹を落ち着かせたあとならば、人はもっとも慈善的になれるものなのだ。

好意は小さな花々
ふだんの生活の中で人にとって必要なものは好意である。好意的な眼差し、握手などのふれあい、気立てのよいつきあい、好意に溢れた話題やしゃべり方。それらは確実にわたしたちの気分をよくし、多くのものを包み、信頼関係や親密さ、人間的な安心を日々育んでくれる。そしてまた、折々の好意はささやかで地味で目立つことはないけれど、わたしたちの生活文化の礎になっていることは確かだ。好意、それは日々のうちに咲く青い小さな花々なのである。

ストイックでなければ跳べない
自分の道を見出し、孤独に、しかし力強く進み、誰も及ばぬ遠くにまで飛翔し続ける人を見てみたまえ。彼は多くの人とはまったく違う。細々としたものを引きずってはいない。異様なほどにストイックだ。多くのものを断念し、多くのものを捨ててきたからだ。だから彼は非情にも見えよう。諦念の人にも見えよう。けれども彼は跳ぶために、もっと遠くへ跳ぶために捨ててきたのだ。重いしがらみを捨てて身軽にならなければ、より高くへと飛翔できないからだ。

ニーチェのハートブレーカーはルーザロメでした。
Pat Benatar HEARTBREAKER♪

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