本書によると、日本はすでに約4割の墓が無縁墓だそうです。
10年後には6割を超すという試算もある。そんなこと全然知らんかったけど納得はします。
高齢化、少子化、人口減、お墓の維持費も高いですしね。
ぼく自身が過去帳では8代目の長男なので、いろいろと悩んでいます。
奥さん曰く「子供に迷惑かけないように、自分の代でお墓を田舎から移動させるべき」
墓の引っ越しはだいたい3~5百万円ぐらいかかるみたい。
ぼくは「そんなのほっとけばええやん。家のローンもあるのに5百万はキツイ」
奥さん「あんたは無責任や。その負担は子供に行くんやで」
もうね、ため息しか出てこんです(笑)。
お墓には「伝統マウンティング」がはたらいています。
・信仰心が薄くないか?
・ご先祖をないがしろにするな。
・墓参りしないと地獄に落ちる。
・家制度の呪縛。
今、お寺さんの経営はしんどくなっています。
地域やお寺の規模にもよりますが、だいたい300軒ほどの檀家が採算ラインとのこと。
なのに地方では過疎化が進んで。。
もうお墓は廃止していいのか?お墓の歴史を調べてみました。
結論。今の檀家的なお墓は廃止した方がいい。本書によるとお墓参りの歴史は浅かった。
もっとコスパの良い、お寺のコストを負担しないような制度に改めるべきです。
以下にお墓に関する様々な状況のメモを。
幕府とお寺のWin-Winの関係からスタート
この国に仏教が入ってきたのは6世紀中ごろだが、すべての人がどこかの檀家にならざるをえなくなったのはキリシタン禁止令から。寺は行政の末端として戸籍係とキリシタン監視の役割を兼ねた。その代わりに葬式と法要の独占権を得る。Win-Winの関係。
元禄のころ(1688~1703)「宗門檀那請合之掟」という文書が現れる。
・葬式法要は檀那寺で行え
・寺の新築改築費を負担しろ
・お布施を行え、戒名をつけろ
・檀那寺を変えるな
以降、寺の経営は安定する。わずか300年ぐらいの歴史。
ちなみにもともとの仏教では、死後の戒名はない。戒名は本来、仏の弟子になって修行をした証としてもらう名前。日本では死んでから弟子になったということにして戒名をつける。
ランクがいろいろあって、それによって値段が違う。そのシステムもわかりにくい。普通の人は戒名をつける状況に遭遇するのは人生で数回。お坊さんは何百とつけてるわけで、それはもう観光地の手練れの土産物屋と一見の客が値段交渉をしているようなもの。
仏壇と位牌のルーツは?
仏壇のルーツは教科書でも有名な「玉虫厨子」。一般に広まるのは江戸時代。寺請け制度、檀家制度で各家に仏壇を置くようになった。
位牌のルーツは仏教ではなく儒教からきている。そもそも祖霊信仰が仏教にはない。中国の儒教と、日本土着の原始神道的な民俗信仰とが融合したもの。仏壇では本来はご本尊である仏像や仏画を拝むはずなのだが、結局我々はご先祖様を拝んでいる。
ちなみに江戸の名僧・沢庵和尚。自分の死に際しての遺言。
「自分の葬式はするな・香典は一切もらうな。死骸は山に埋めて二度と参るな。墓を作るな。朝廷から禅師号を受けるな。位牌を作るな。法事をするな。年譜を記すな」
寺請け制度や檀家制度がまさに整えられていく時代に亡くなってるだけに、僧侶としてのすごみを感じてカッコイイ。
お墓はいつからあるのか?
権力者は別として、一般庶民がお墓を建てるようになるのは江戸時代のこと。以下は著者が各地の墓地で墓碑を調査した結果。
・寛永、慶安、寛文(17世紀半ば、檀家制度が始まったころ)の墓はまれ。
・享保、延享、宝暦(18世紀前半、「宗門檀那請合之掟」が広まり始めた頃)墓は少ない。
・文化、文政、天保(19世紀前半)頃の墓から増え始める。
天保2年(1831年)に墓石制限令が出ている。百姓町人の戒名で院号や居士禁止。墓石の高さは4尺までなどと決めたもの。この規則を守るなら庶民も墓を建てていいということ。ここからみんな墓を建て始める。
1人の人間がこの世に生きた証として、永遠に風化しない石を刻んで残したい。という気持ちは理解できる。
つまり庶民がお墓を建てお墓参りをする伝統は、わずか200年くらいの歴史しかない。
先祖代々の墓はいつ登場したのか?
明治になって寺請け制度がなくなる。すると葬式仏教だけが残った。そこへ明治政府の「家制度」が始まる。すると「先祖代々の墓」なるものが現れる。ここで「一緒の墓に入る」とか「墓を継ぐ」とか「代々の墓を守る」という意識が生まれる。
こうして石柱の下に骨壺を入れる場所のある「○○家代々の墓」が生まれた。骨壺なので火葬が前提となる。
火葬はいつから始まったのか?
火葬はもともと特権階級のもの。貴重な薪を大量に使わなければならず費用がかかるからだ。江戸時代になり、江戸、京都、大阪などは火葬が行われるようになった。土葬では土地が足りないから。しかし地方は土葬だった。
全国の火葬率は、明治時代の半ばで約30%。大正時代で40%。50%を超えたのは戦後の1950年代。火葬施設が整えられ1980年代にはようやく90%を超える。現在はほぼ100%。
ということは現在我々が思う、「カロートに骨壺がある石柱のお墓にお参りする」という伝統は、せいぜい遡って100年そこそこ。一般的になるのは戦後。先祖代々と言ってもそんなに古くないのだ。
だいたい庶民が「○○家」という名字を名乗るのは明治以降。
思い出の墓♪
苦痛は記憶を止めることができない♪
ポールヤング85年のシングルで、Tomb of Memories♪
ポールヤング80年代の大ヒットアルバム。サムスミスが出てきたときに同じような雰囲気を感じました。なぜかよくわからんけどよく売れた。