新書大賞1位「ふしぎなキリスト教」要約まとめ

2012年新書大賞1位の作品。やっぱり多くの人が選ぶ1冊はいいですね。

「各年1年間に発行された新書の中から、書店員、書評家、各社新書編集部、新聞記者にオススメの新書を挙げてもらい(1番いい新書を10点、2位が9点…5位が6点)全員の得点を合計して、1位から20位までの順位を決め、1位の作品がその年の大賞となる」

社会学と哲学に造詣の深い、東工大と京大の二人の教授が対談したものを書き起こしています。口語でとっても読みやすい。だけど340ページで10時間以上読むのにかかりました。言語明瞭、奥深しなんですよ。知的興奮があります。現国のテストのときみたいに、何度も文章を読み返してました。ほんと賢い人はいるもんです。

世の中のキリスト本は「信仰の立場」や「聖書学」の押しつけがあって、ぜんぜん面白くない。だけどこの本はクリスチャンには言えない肝心なことが書かれています。

例外的に面白いのはニーチェの「キリスト教は邪教」ですが。

気になった部分を以下に要約しておきます。



ユダヤ教の神ヤハウェ。神との関係は安全保障である

悲惨な目にあうユダヤの民は思った。いったいなぜこんな苦しみにあうのだろう。ヤハウェ(神)はなぜ救ってくれないのか。ヤハウェはユダヤ人だけの神ではない。世界を支配している。バビロニアが攻めてくるのもヤハウェの命令だからだ。

われわれが罪を犯したから懲らしめのためである。つまりわれわれ(ユダヤ人)に原因がある。この試練を耐え忍び、これまで以上にヤハウェを信じれば、外敵はとり除かれるに違いない。ここでヤハウェはイスラエルの民の神から、世界を支配する唯一の神に格上げされる。

ヤハウェにどうやって仕えるか。①儀式を行う②預言者に従う③モーセの律法に従う。ところがこの3つのやり方の中心となる人々(祭司、預言者、律法学者)がお互いに仲が悪い。

キリストの時代には神殿で儀式を行う祭司と、律法を守る律法学者がユダヤ人社会を取り仕切っていた。洗礼者ヨハネやイエスは預言者のグループだった。預言者は見つけ次第弾圧された。

要は神との関係は安全保障である。古代世界の事を考えれば一種のセキュリティのために神を信仰したと思われる。

ユダヤ教の律法とは?国家が消滅しても再建するため

ユダヤ民族の生活のルールをひとつ残らず列挙して、それをヤハウェの命令(神との契約)だとする。もしも日本がどこかの国に占領されて、みながニューヨークみたいなところに拉致されたとする。百年たっても子孫が日本人のままでいるにはどうしたらいいか。

それには日本人の風俗習慣をなるべくたくさん列挙する。そして法律にしてしまうのがいい。
正月にはお雑煮を食べなさい。夏には浴衣を着て花火を見物に行くこと・・・みたいなことをぎっしり書いてる本をつくる。そして天照大神との契約にする。これを守って暮らせば百年たっても日本人のままでいられるのではないか。こういう考えで律法はできている。

イスラム教も生活のルールを守る宗教法を持っている点ではユダヤ教そっくりだ。違うところは、イスラムは勝ち組の一神教。ユダヤは負け組みの一神教。ユダヤ教が防衛的な動機をもって、一神教のプロトタイプをつくった。国家はあてにならない。あてになるのはGODだけだ。GOD(ヤハウェ)との契約を守っていれば、国家が消滅してもまた再建できる。そうやってユダヤ民族は自分たちの民族を二千年にわたって保ってきた。

創世記にユダヤ民族はどう書かれているか?

まずヤハウェ(GOD)は世界のすべての民族の神だ。人類を創造した。人類とはアダムとイブの子孫。そのあとヤハウェはノアに語りかける。神の声を聞いたノアは預言者みたいなもの。ノアの一族以外の人々は洪水で全滅する。ノアの子孫が地上に拡がったあと、ヤハウェは今度はアブラハムに語りかけた。これがイスラエルの民の出発点になる。

アブラハムのあと、イサク、ヤコブと続くイスラエルの民はエジプトに移り、奴隷として建設作業をやらされながら、人数が増え60万人になる。それがモーセに率いられて、エジプトを脱出した。そしてシナイ半島を40年さまよい、カナンの地(パレスチナ)に戻ってくる。



なぜ日本は先進国なのに多神教なのか?

一神教は多神教と対立していると普通言われる。伝統社会の多神教は大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か狩猟採集社会のもの。自然とバランスをとってる人々の信仰。山林原野もあり、その土地に育った人々が大部分で、異民族はいない。だから自然と人間は調和し、自然の背後にいるさまざまな神を拝んでいればすむ。

日本は先進国としてはめずらしく、多神教が現在まで続いている。世界のたいていの場所は、異民族の侵入や戦争など大きな変化がおこって社会が壊れてしまう。ぐちゃぐちゃになってどうするのかというのが、ユダヤ教やキリスト教や仏教や儒教などの「宗教」が登場してくる社会背景なのだ。そういう問題設定が日本にはない。だからそうした宗教のことが日本ではわからない。

一神教と儒教と仏教には共通点がある。それはもう手近な神々に頼らないということ。神々を否定している点だ。

仏教はまず神々より偉大なブッダという存在がいる。なぜ偉大かというと、人間がその能力を最大限に発揮して、この宇宙の真理を究めたから。神は覚っていないから価値が低い。

仏教は自然を物理的因果関係のかたまりとみて、その法則性を認識しようとする。神秘はどこにもない。宇宙、生態系、自然。そういう自然界の真理に、もろに人間の知性が接触している。とても合理的。

儒教は政治家のリーダーシップを重視する。政治家が自然の管理や社会インフラの整備を行い、人々の幸せに責任を持つ。神秘的なところは少しもない。最初は占いの要素もあったけれど、政治技術がマニュアルに還元され、神秘的な要素は儒学から放逐されていく。神々はいなくなり天だけが残った。天は人格をもたない。

一神教もほぼ同じ。神々との闘争の歴史で、そうした神々は神ではない。ぜんぶ嘘だという。一神教の神ヤハウェはどこにいるかというと、宇宙の外側にいるという。神々はいるとすればこの世界の中に存在している。すべて存在しているものはヤハウェがつくった。さもなければ人間がつくった。ヤハウェは神々をつくるはずがないので、神々は人間がつくったもの。ゆえに偶像である。人がつくったものを人が拝むことを偶像崇拝という。これは大きな罪になる。ヤハウェに背き自分を拝んでいるのと同じことになるから。

神々を否定し、放逐してしまうという点で、一神教、仏教、儒教は似ている。世界の標準はこちらだ。世界は一度壊れた。そして再建された。再建したのは宗教だ。それが文明をつくり、いまの世界をつくった。この根本を日本人はよく理解する必要がある。

イエスの略歴をシンプルに。大工さんだった。

ナザレで生まれた。父親は大工のヨセフで母親はマリア。兄弟がいた。自分も大工だった。地元のシナゴーグに通い、旧約聖書をよく勉強した。モーセの律法を学んだと思われる。結婚していたかどうかはよくわからない。三十歳前後にナザレを出て、洗礼者ヨハネの教団に加わった。そのあと何人か連れて教団を離れ独自の活動を始めた。

ガリラヤ地方やパレスチナの各地を訪れて説教し、預言者のように行動した。あちこちで祭司や律法者とトラブルを起こした。そのあとエルサレムに行って逮捕され、裁判を受け、死刑になった。

尾ひれの部分で処女懐胎と復活。まず処女懐胎。預言者が高齢者や不妊の女性から生まれるというのは旧約聖書ではいくつもの例がある。それが膨らんでイエスに投影された。

イエスは預言者として活動した。預言者より一回り大きい存在がメシア(救世主)だ。メシアはヘブライ語で、ギリシャ語ではそれをキリストと訳した。イエス・キリストとは救世主であるイエスという意味。メシアは救世主なので、世の中をつくりかえる。ただ神の言葉を伝えるだけの預言者とは違う。もとはユダヤ民族を救う軍事的リーダーの意味。

ところがメシアだと思われていたイエスが、あっさり処刑されて死んでしまった。天変地異も起こらず、神殿も崩れなかった。

次にイエスの復活。これはイエスをただのメシアからもう一回り大きくする、新たな要素。墓がからっぽだったので、イエスが復活したのではという話になった。この話を最初に広めたのは、12人の弟子ではなくマグダラのマリアをはじめとする女たちだった。最終的には墓のそばにいた女に天使があらわれて、「イエスは復活した。ここにはいない。ガリラヤにいる」と告げたことになった。イエスはガリラヤの弟子たちのもとに現れ、そのあと天に昇ったと信じられるようになった。

これにどのような意味があるのか。ここで現れるのが、イエスは「神の子」だという考え方。これはもうユダヤ教の考え方ではない。イエスが神の子だとする考え方を確立したのはパウロだ。ようするに「神の子」は「イエス・キリスト」と同じ意味ではなく、一段神に近づいた、踏み込んだ考え方なのだ。



ユダは最もイエスが信頼した弟子だった。だから売った。

しばらく前に発見されて最近翻訳が出た。要点を言うと、ユダはもっともイエスが信頼した弟子だった。イエスが十字架で死ぬという計画を実行するために、どうしてもユダの協力が必要になった。そこでイエスはユダに言う。「ユダよ。お前は弟子たちの中でいちばん信頼できる。私を銀貨で売り飛ばして欲しい。これを頼めるのはお前だけだ」で、ユダはそのように実行した。

これはペテロが一番の弟子で天国の鍵を預かり、ペテロ以後代々法王の座を受け継いで今に至っているカトリック教会としては、絶対に認められない福音書。

それでこの翻訳本がでたときはバチカンがすぐに声明を出し、英米圏のメディアでは大きく扱われたけれど、日本では一行もニュースにならなかった。

三位一体とは?たんなるパウロのファンタジー。

「父なる神」と「子なるイエス」と「聖霊」が三つにして一つというのが三位一体説。これはイエスの死後数百年たって、公会議(キリスト教のサミットのようなもの)によって正統解釈として決められた。

GODヤハウェは、自分の意思を伝えるのに、預言者やイエスキリストを遣わした。だけどイエスキリストが出番を終わって退場した後、もう預言者は現れることはできない。預言者はイエスキリストの出現を予言していたわけでもう用済みだ。

そうするともう何もない時代となる。ただ福音(イエスの言葉)だけが書物の形で残った。
人々は終末の日までこれでがまんするしかない。

そうして取り残された人々と神の唯一の連絡手段が聖霊だ。なぜ聖霊が必要かというとパウロの書簡を、神の言葉(聖書)にするためだ。

パウロは生前も復活後もイエスに会ってない。でも彼は使途を名乗ってたくさんの書簡を書いた。普通に考えれば神の言葉ではなく、ただのパウロの手紙だ。

そこでパウロの手紙は実はパウロの考えではなくて、パウロをそう考えさせた別のものの言葉でなければならない。聖霊がはたらいてパウロを考えさせ、手を動かし、字を書かせた。こじつけだと三位一体説を笑うなかれ。アーメン。※アーメンとはユダヤ教のもので、キリスト教やイスラム教にも伝わっており、その意味は「そのとおり、異議なし」との意味です。



そういえばドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスの3人による来日ライヴに、会社の先輩と行く予定です。スティーリーダンのバンドが同行するようです。楽しみ♪

マイケル加入前のドゥービーブラザースから、Jesus Is Just Alright♪ イエスは最高さ!という脳天気な歌。

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