【五輪書/宮本武蔵・訳者神子侃】書評と要約

『空とは物事がないということ、人間が知ることができないことをいう。ものがあるところを十分に知ることによって、はじめてないところを知ることができる。

武士としては、兵法の道を的確に会得し、いろいろな武芸を身につけ、武士としてのつとめについてしっかりし、心が迷わず、日々刻々に修養をつみ、知恵と気力をみがき、判断力と注意力を養い、一切の迷いをぬぐい去った状態こそ、真の空であるということができる。

真の道を悟らぬうちは、仏の道にせよ、世間の道理にせよ、自分だけではこれが正しいと思いこみ、よいことだと考えているが、これを社会全体の規準に照らしてみると、人によって違う主観や、判断の狂いによって、正しい道からは、はずれているものである。

この道理をよくわきまえて、まっすぐな精神に則り、真実の心を規準として、大局をよく判断できるようになってほしい。

空を道、道を空。すなわち一切の迷いを去った心境こそが兵法の真髄であること。同時に人間としての最大限の修練を積むことにより、はじめて人智の及ばぬ空の境地を知ることができる。

空という心には善のみがあって悪はない。兵法の知恵、道理、精神。こうしたものがすべて備わることにより、はじめて一切の雑念を去った空の心に到達することができるのである。』

by五輪書 空の巻より抜粋訳



日本史上のスーパースター、宮本武蔵。戦前は吉川英治で。最近ではバカボンドで親しまれた方が多いと思います。ぼくの場合は「それからの武蔵」で一時はまりました。ドラマにも何度かなってますが、心に残るのは、役所広司の武蔵です。又八が奥田瑛二、お通が古手川裕子でした。古手川裕子、美しかったなぁ…。

五輪書はいろんな版がありますが、1963年初版の神子訳で読んでみました。訳者いわく五輪書はバチのあて方でいろんな音を出してくれるそうです。兵法書は色々とありますが、やっぱり日本人の書いた兵法書は、文化を共有してるので、こころにスッと入ってきやすい。武蔵の時代の兵法は、個人的な剣術も、集団的な戦闘法も、ひとしく兵法と言っています。

武蔵が五輪書を書きはじめたのは1643年、彼が60歳の秋のことです。豊臣氏が滅亡してから30年が経過し、三代将軍家光の治世もすでに20年。参勤交代制も確立されて、封建の国づくりは、ほぼ基礎固めが終わった時期です。1645年5月12日、死に先立つ七日前に、武蔵は門人寺尾に五輪書を授けます。1667年に至り、その写本が山本源介に伝えられ、今日、細川家に残されています。

一生、妻をめとらず、髪をくしけずらず、入浴もせず、流浪の旅にすごしてきた武蔵は、1640年熊本に足をとめて細川忠利の客分となりました。

武蔵は62年の生涯のうち、60数回の勝負をしたといわれますが、案外なことに、それは20代の終わりまでです。30歳をすぎてからは剣による勝負をしていません。巌流島の試合も、武蔵が29歳のときです。

武蔵が生まれたのは秀吉が権力をにぎり、全国が統一に向かう時代です。その祖は播磨(兵庫県)の豪族の支流でした。祖父・平田将監は剣と十手の使い手で、美作(岡山県)の新免伊賀守に用いられ、主家の苗字、新免を名のることを許されました。いらい同家は新免を名のります。その子・無二斎が武蔵の父です。

無二斎も十手の達人でしたが、わけあって主家を辞し、吉野郡宮本村に住みました。武蔵はここで生まれました。宮本村の新免武蔵―宮本武蔵です。(出生地は諸説あり)

巌流島のあと、史実として空白の20年後、51歳のとき、養子・宮本伊織とともに小倉に現れます。孤児であった養子・伊織を小倉の小笠原家に仕官させます。伊織は島原の乱に侍大将として出陣。後に四千五百石を領して家老になる。

武蔵は小倉に6年いた後、肥後の細川忠利に招かれ、客分として熊本におもむきます。かつて小次郎と武蔵を試合させたのは、当時小倉を領していた細川忠興です(奥さんは細川ガラシャ)。忠興の子が忠利です。

ここで武蔵は、書画をかき、仏像をきざみ、忠利の話相手をし、円熟した日々を送ります。忠利の死後、熊本金剛山の岩戸観音に参籠しこの「五輪書」を書きます。そして門人にさずけた七日後にこの世を去りました。

五輪書は序につづき、地、水、火、風、空の5巻からなります。
地の巻:兵法のあらまし、総論
水の巻:二天一流の太刀筋
火の巻:勝負、いわゆる広義の兵法
風の巻:他流(名指しはしない)の批判をしつつ二天一流を説く
空の巻:結論 ⇒冒頭に掲載

その他、心に残った部分を。



<兵法の拍子(リズム)の事>地の巻

何事についても、リズムがあるものだが、とくに兵法ではリズムが大切であり、これは鍛錬なしでは達し得ないものである。本書は、どの巻にも、もっぱらリズムのことを記すのである。

武芸の道にはリズムがある。リズムを乱してはならぬ。また武士の一生にもリズムがある。栄達するとき、つまずくとき、みなリズムがある。商売の道でも同様である。発展するリズムと衰退するリズムを、よくよく見分けなければならない。

戦闘においても、敵のリズムを知ったうえで、こちらは敵の思いもかけぬリズムをもって当たり、智略によって無形のリズムを発揮して勝ちを得るのだ。

神子氏の解説:ある物体にはたらく力は、質量と加速度の積に等しい。これは物理学にいう運動の法則だが、人間の働きや社会現象についてもいえることである。勢いがそれだ。勢いがつくと意外な力を発揮する。

<他の兵法にはやきを用いる事>風の巻

兵法では、見た目のスピードを追求するのは本当の道ではない。リズムにあっていれば、他人にはごく普通に見えるのであって、物ごとのリズムが合わないから、早く見えたり遅く見えたりするのである。

何の道にせよ、上達した場合は決して見た目に早いとはうつらぬものである。すべて上手な人のなすことは、いかにも悠々として間をはずさぬものである。

太刀についていえば、なおさら早く切ることができない。早く切ろうとすれば、少しも切ることができないであろう。

神子解説:下手なものはやたらにバタバタするが、前に進まない。「忙しい、忙しい」という前に、仕事が果たして効率をあげているかどうかを考える必要がある。

<九原則>地の巻

わが兵法を学ぶ人は、以下を行なう必要がある。

①邪心をもたぬこと
②道は、観念でなく実践によって鍛えること
③一芸でなく、広く多芸に触れること
④おのれの職能だけでなく、広く多くの職能の道を知ること
⑤物事の損得をわきまえること
⑥あらゆることについて直感的判断力を養うこと
⑦目に見えぬことを悟って知ること
⑧わずかな事にも気をつけること
⑨エネルギーや時間には限りがあるのだから、役に立たない無駄なことはしないこと

このような原理を心にかけて、兵法の道を鍛錬し、さらに心の修練をつむ。

広義の兵法としては、すぐれた人と結びつくことに成功し、多くの部下をたくみに使い、わが身を正しく持し、国を治め、民を養い、天下の秩序を保つことができる。

何の道であろうと、人に負けない自身がつき、自分の身を助け、名誉をあげることこそが、兵法の道である。

この道はどこへ通じるのか[るんるん]

トーキングヘッズでRoad To Nowhere

ホンダCITYのCMソングでバンバンかかってました。85年ビルボード25位、UKでは6位です。当時このアルバムをカセットでよく聴いてました。

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