人はパンデミックをすぐ忘れる。
故・速水融(歴史人口学者)は、弟子の磯田道史に語った。
「震災や戦災は風景が変わる。50万人近い日本人のスペイン風邪による病死は大きな出来事だけど、風景が変わらずに日常が戻るから、忘れちゃうんじゃないかな」
磯田道史/歴史学者と、鹿島茂/フランス文学者のスペイン風邪に関する対談より。
・100年前のスペイン風邪。まだ人口5500万人の日本で45万人が死んだ。日本の約1%近い人口が失われた。
・世界全体では2000万人から4500万人が亡くなった。当時ほとんど統計の取れなかったインドなどの死者数は推計なので、かなり幅がある。
・スペイン風邪は3回流行があった。第一波は1918年の春と秋。第二波は1919年の秋から1920年に春。世界的にいうと1921年に第三波があった。4年間。
・第一波は罹患率が高いがそんなに強毒ではなく、致死率は高くなかった。
・第二波は罹る人間は少ないが、致死率は高かった。
・性質が違うのになぜ同じ同じインフルエンザとわかるか。軍隊に徴兵された人が罹患した場合、2年兵は免疫をもっているので、初年兵より持ちこたえた。初年兵は三密のベッドで罹患して高い死亡率になった。免疫応答を見ると似たたぐいのインフルエンザだとわかる。
・100年前、スペイン風邪のときは青森県が大変だった。北海道から出稼ぎ者が青函連絡船で帰ってくる港町だから。今回は羽田、成田、関空を抱える首都圏、関西圏が大変なことになっている。
・スペイン風邪の「後流行」で一番死亡率が高かったのが神戸。「前流行」は観光地の京都。
100年前のスペイン風邪の特徴
抗体検査は当時はできなかったが、スペイン風邪は1回かかると免疫がつくために、2回目の感染ではそれほど死者が出ないという傾向があった。
最初の波で感染を避けた人たちが、後で倒れているのがスペイン風邪の特徴。
100年前の神奈川県の統計。スペイン風邪の前流行と後流行の死者を調べると、距離的に離れていたために前流行が届かなかった郡部(いなか)で、後流行で大変な死者が出ている。
長野県は山の中。感染が遅くまで続く。港町や大都会は早く始まって早く終わる傾向だった。
スペイン風邪。日本では田舎ほど致死率が高かった
100年前のスペイン風邪。たとえば会津。新聞に「全村惨死」という見出しが掲げられている。この時代の日本の村は、現在のアマゾンの秘境の人と同程度の免疫のなさだった。だから全員が死んでしまう。
新大陸と旧大陸のコロンブス交換のようだ。タスマニアのアボリジニは天然痘でほとんど全員死んでしまった。
後流行のとき、まだかかってない人がたくさん死んだということに対する恐怖はある。ただし人類史上初めて、今回だけは第二波にワクチンが間に合う可能性もある。
100年たっても変わらない日本
100年前、神戸でスペイン風邪が流行ったとき、運転手が罹患して市電が動かせなくなった。危険なので、乗客がマスクをつけて、市電やバスの中で拡散しないようにする対策をやった。当時の資料によると、100年前のマスクは黒かった。
「マスクをつけろ」が100年前の日本では「要請」による「自粛」だった。
一方サンフランシスコ。今回マスク法と呼ばれるルールができて、マスク無しでは公共交通機関に乗せない。
欧米はある程度強制力をもった義務で、われわれ日本人は100年たっても要請と自粛。自主的な判断に任されている。
これはもう是非の問題ではなくて、強固な文化的素地があるとしか思えない。緊急事態が起きた場合に、法的な強制力で行動をコントロールするのではなく、世間の目や共同体からの同調圧力によって規範を守らせる。日本はそういう社会。
フランスは法律で守らせる
フランスのメトロ。座席の窓には「何年何月の法律により、以下の人にこの座席の優先権を認める。1.傷痍軍人、2.妊婦…」と1から5くらいまで書いてある。法律で決めたらみんなそれを守る。だけど法律がないと守らない。
犬のフン放置。「みんなやめましょう」といって自粛を求めたが、誰もぜったい自粛しなかった。しかし法律ができたら、あっという間に犬のフンがなくなった。
⇒日本も在日外国人が増えてきた。法律で守らせた方がいい気がする。まずは憲法改正から。憲法からして大きな矛盾を抱えてたら、民法、刑法もふわっとした感じになる。日本の病の根源はここにある。
日本国憲法は1条から8条までの第一章が天皇の条項。第二章が9条の戦争放棄。第10条から人権の話。憲法改正には3つの意見がある。
①「現実に憲法を合わせろ」の改憲派。
②「憲法は絶対に変えない」憲法の理念があって75年日本は平和だった。理念に現実を合わせろ、自衛隊は無くしてもいいお花畑派。
③二重人格でOK派。現実に軍隊としての自衛隊は存在しており、憲法9条とのあいだに矛盾があってもこのままでいい現状維持派。
じつは1945年に戦争が終わった段階で、イタリア、フランス、ドイツ、みんな戦争放棄条項をつくった。ただし日本とは違う。日本だけ「絶対放棄」。日本以外の3か国はみんな同じシステムで、平和に関する条約などを結んで、国際的保障がある場合に限り交戦はしない。要するに相互保障。
日本側の幣原喜重郎が提案したのはイタリア、ドイツ、フランスと同じもの。ところがマッカーサーがわざと交戦権も軍隊も持たない条文にしてしまった。それはなぜか?1948年の大統領選に立候補するつもりでポイントを稼ぎたかった。そこで出たのが絶対放棄というアイデア。
本記事は以下より抜粋しています。
スペインの歌で思い出したのがジョー・ウォルシュ。ついこの前のアルバムと思ってましたがもう10年前です。ボイスモジュレーター。個人的にはピーターフランプトンより、ジョーの方が第一人者の気がします。
Amazonアンリミテッドには無かったです。けっこう人気アルバムだけ抜いてたりしますよね。CDでは持ってるのですがサブスクにないとスマホで不便。
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100年前のスペイン風邪でも、
それほど沢山の日本人が亡くなったのですね。
昔は、人の移動などが少ないので、
そこまでとは思っていませんでした。
日本が「自粛と要請」頼みなのは、
第二次大戦時のアレルギーだという説がありますが、
100年前と変わっていないのなら、
その説が間違いな事がわかりますね。
とにかく早くワクチンを打ちたいです。
副作用の話もありますが、
その時は、運が悪かったと思うしかないと考えています。