この本以降だれも「文章読本」を書けなくなった。名著「文章読本さん江」まとめ

「文章読本」とは何であるか?

「じじいの愚痴」だそうです。

「おまえらの文章はなっとらん」「ええい、こっちへ貸してみな。俺様が教えてやる」

じつは今の時代、若者のほうが文章が上手いかも。書く機会が激増してる。口のかわりに親指を器用に動かして、彼らはしゃべるように書く。彼らにとって「書くこと」は生活の一部。

この期におよんで、まだ「文章読本」を製造しようというのは、酔狂というかご苦労様としかいいようがないと。

この前読んだ「書く力/池上彰&読売の竹内氏」が恐れてた一冊。

本書があるから、一貫して下からモノを言ってました。抑止力になってた。「ぼくたちみたいなのが、恐れ多くも文章読本書いていいのだろうか?」と。

当代随一の文筆家らが恐れる本、読んでみたい。図書館の本には「書庫」のシールが。こんなパンキッシュな本を書庫に仕舞うとは。

未読であれば、超おすすめ。「文章がどう変化してきたか」の歴史、世の中にあるあまたの「文章読本(じじいの愚痴)」の批評(たいていボロクソ)、リテラシー(読み書きをする能力のこと)なんかが自然に身につく。第1回小林秀雄賞受賞作。

以下に読書メモを。



文章読本界の御三家とは?

誰もが知ってる著名な文章読本。
選定理由。人気、知名度、売れゆき、後世への影響力。

(御三家)

谷崎潤一郎「文章読本」
開祖本。
・文章に実用的、芸術的の区別はない
・あるがままに書け
・文章は簡潔明瞭なのがベスト

三島由紀夫「文章読本」
貴族趣味。谷崎本の否定。書く方じゃなく、読む方からの文章読本。自慢のコレクションを得意げに開陳。鴎外の文章はアポロン的とか、鏡花の文章はディオニュソス的とか言ってみたり。訪問先で家族のアルバムを披露されるのと同じで、苦痛でしかない。

清水幾太郎「論文の書き方」
谷崎読本の逆転に成功した本。あるがままに書くのはやめよう。話すように書くな。「実用的な文章」を「芸術的な文章」の上位に置き、芸術性を暗に批判した。シンプル志向、反ナチュラル主義。

(新御三家)

本田勝一「日本語の作文技術」
70年代後半の文章読本ブームの先鞭をつけた。「文のわかりやすさ」に最大の価値を置くが、親切過剰すぎて神経症的な文章。ラフな態度を一切許さず、細かすぎる。しつこい。強迫観念すら感じる。シンプル志向、反ナチュラル主義。

丸谷才一「文章読本」
アカデミズム(清水読本)とジャーナリズム(本田読本)にもっていかれた、文章指南の主導権を、再び文章の貴族=作家の手に奪還した本。巻頭から小説家の優位性を「なぜそこまで」というほど力説する。「あるがまま」の谷崎、「あるがままに書くな」の清水。丸谷読本は「ちょっと気取って書け」。レトリック志向、反ナチュラル主義

井上ひさし「自家製 文章読本」
遅れてのこのこ出てきた。勇気ある。本田読本に勝るとも劣らないくどさ。アホはあなたではないかと突っ込みたくなる。あるがままの否定論者。井上読本は引用文に特徴がある。愛は地球を救うの企画書、坂田明のハナモゲラ語、わざわざ頓狂な例を選んでる。時代はすでに80年代。エンタテイメントに心血を注いだ。

「文章読本」とは何なのか?

文章とは、いってみれば服なのだ。みんながいう「文は人なり」は役立たず。酒鬼薔薇聖斗の文章をみんな誤認した。

文章は英語でtextだが、これは「織物」の意味。「文体」は英語でstyleだが、これをもう一度翻訳し直せば「服装」だ。

文章(衣装)は思想(肉体)に形を与える道具。
文章(衣装)は礼を示す形。
文章(衣装)は時流によって変化する。

ジャーナリスト系の文章読本には色気が不足してる。彼らの教えに従うと、文章はドブネズミ色した吊るしのスーツみたいになる。新聞記者系の文章読本は、「正しいドブネズミルックのすすめ」である。ドブネズミルックに慣れた人が、たまに気張って軽い文章を書こうとすると、カジュアルフライデーに妙なカッコウであらわれる、お父さんみたいになる。

新聞記者系の「短文のすすめ」。短く書くとわかりやすいと。新聞記者の短文信仰は理由がある。新聞は1行11字詰めで印刷される。1文が短くないと読みにくい。彼らは「社の教え」「業界の教え」が、あたかも普遍的な文章上の掟のように語る。たんなる文章界の「中華思想」。

服飾史と文章史には、共通した大きな原則がある。

①文章も服も、放っておけばかならず大衆化し、簡略化し、カジュアル化する。

伊達者はつねに「ちょっと着崩す」がおしゃれの基本。文語体から言文一致へ、現代かなづかいへという変遷も、文章のカジュアル化、ドレスダウンへと向かう方向。

②民主化に貢献するようなスタイルの変革は、必ず「外部」と「下部」からやってくる。

だから服飾デザイナーは新しいデザインを、外(異国の民族服とか軍服の婦人服への応用)、下(下着とか下々の労働者)に求めてきた。開国による外との接触は、言文一致を発展させる契機になった。野口シカの手紙は「下」の代表選手。「下」は話すように書くのが当たり前。文学者の功績は、服飾デザイナー同様、それを発見し印刷物という舞台にのせたこと。

「文体」とは何か?

文体とは、おおむね文末詞=語尾の問題に還元できる。明治20年代に、山田美妙が「です体」を、尾崎紅葉が「である体」を、嵯峨の屋お室が「であります体」を、二葉亭四迷が「だ体」を開発して、言文一致が完成した。

夏目漱石「吾輩は猫である、明治38年」、島崎藤村「破壊、明治39年」などの例をあげるまでもなく、明治40年代にはすでに口語体が主流になっていた。しかしあらゆる文章が口語体一色になるのはまだ先のこと。文学業界を別にすれば、明治の40数年は、むしろ文語体の完成期といったほうがいい。

文語体から口語体の移行期にあたる明治末~大正初期は、新旧入りまじった文章見本市の観がある。口語体への道をいち早く開いたのが小説だとしたら、もっとも遅くまで文語体にしがみついていたのは、大新聞と官庁だった。読売、朝日などの社説が口語体に変わるのは大正10年を過ぎてから。

ところで、近代における文体改良の提唱者として、まっさきに名前があがるのは、国語国字改良派のリーダー、「郵便制度の父」、1円切手になっている前島密。前島が提唱した近代日本にふさわしい語尾は、「ござる」「つかまつる」だった。徳川慶喜に言上した「漢字御廃止之儀」には以下の文がある。

(訳文)国のことばを制定する場合も、古文式の「はべる」「けるかな」を、用いる必要はござらぬ。一般的な「ござる」「つかまつる」を用い、これに一定のルールを設けようではござらぬか。言語が時代によって変転するのは、どの国とても同じでござる。口にすれば話しことばとなり、筆記すれば書きことばとなる。両者がなるべくたがわないようにしたいのでござる。

1866年に建議されたが、徳川慶喜に届くことなくひねりつぶされた。幕府のえらいさんにしてみたら、討幕派との戦いで大騒ぎのときに、何を寝言をと。もしこのとき前島案がめでたく採用されていれば、現代の新聞も「ござる体」で書かれていたものでござろうか。



「新かなづかい」と「旧かなづかい」の大論争

敗戦後の1946年、内閣の訓示告示で「現代かなづかい」「当用漢字表」が公布される。制度の改変期には必ず強固な反対意見が出てくる。言論界でも論争が巻き起こった。

反対論者:小泉信三、福田恆存、高橋義孝

支持論者:金田一京助、桑原武夫

中央公論や知性で繰り広げられた福田と金田一のやりとりは秀逸。歴史に残る言語プロレス。両者がっぷり四つに組んで一歩も引かない。ちなみに福田の文章の冒頭を。「なんと厭味たっぷりの文章でせう。かういうことばづかひをする言語感感覚で、国語問題を論じられたのではかなはないといふ気がします」

新かな支持派の主張
・発音とかい離した旧かなは難しすぎる。
・国民の知識水準をあげる上で、旧かなは、学習上のエネルギーの無駄である。
・旧かなは1000年前の表音に従ったもの。歴史的に見ても表記は変えるのが当然。
・古典を読ませるために、いまを犠牲にするのはインテリの驕りである。

旧かな支持派の主張
・旧かなはむずかしいと誰が決めたのか。
・新かなになったところで、学習が容易になるという証拠があるのか。
・日本語は表音に忠実でならなければならないという理由はどこにあるのか。
・旧かなを捨てるのは、古典を読むための道筋を断つことである。

まとめると、金田一ら新かな派の主張は「リテラシーの共産主義化」

福田ら旧かな派の主張は、自由競争による階級差をみとめた「リテラシーの自由主義経済化」

読書感想文に何を書くべきか。いつ始まったのか?

内閣総理大臣賞受賞作には同じ特徴がある。

①読書体験と「自分の生活体験」を重ね合わせていること。
②読書体験によって自分は変わった(変わろうとしている)と述べていること。
同コンクールの入賞作すべてに共通した特徴ともいえる。

読書感想文は書評ではない。あくまで読書という「体験」を題材にとり、「私」を主人公にして綴られた学校作文=私ノンフィクションの1バージョンなのだ。

しかしちょっと考えてみる。「自己変革」につながるような読書体験が、そんなにゴロゴロ転がってるか?まして自ら選んだ本ではなく、与えられた本を読んだくらいで。

現場の教師にとっては便利。
①「文題」をさがす手間が省ける。
②効率的な指導ができる。あらかじめ題材の内容を把握できる。教師は忙しい。
③子供を平等に扱える。イベント作文はプライバシーの侵害にもつながる。

読書感想文の初年度は1955年。応募点数は5万3000編。2000年はじつに400万編超。全国児童の4人に1人は応募している。

人生は豊な色合いのつづれ織り♪

キャロルキングで、つづれ織り♪

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【文章読本/谷崎潤一郎/1934年初版】の要約読書メモ
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