【ヘルマンヘッセの名言19選】~超訳ヘッセの言葉より

ヘルマンヘッセご存知でしょうか?子供のころ家に文学全集があり、母から薦められたのですが、「車輪の下」は結局読まなかった。

ヘルマンヘッセは1877年、南ドイツの小さな町カルフに宣教師の子として生まれる。14歳で難関の試験に合格し神学校に入学するが、1年未満で退学する。

神学校でのことをのちに描いたのが「車輪の下」。ヘッセはこの修道院を脱走し、夜は8度の寒さの中を野外で過ごした。やがて放校となったが、そのころに7歳年長の女性への初恋と失恋を経験したあげく、自殺未遂をして重い神経症をわずらい、精神病院に入院する。

その後入ったギナジウム(上級高校)もすぐに退学し、書店員などさまざまな職業を経験する。

1906年26歳で発表した「郷愁」が認められ、小説家・詩人として多くの作品を執筆。第一次世界大戦時はスイスに住んでいたが、戦争の影響や家族の不幸などにより神経を病み、精神科医の治療を受けた。

これを転機として、西洋文明への批判と東洋思想への傾倒が作品にあらわれるようになる。ナチス政権の時代は「好ましくない」作家として、ドイツ国内での著書の出版が禁止された。

第二次大戦後の1946年、ノーベル文学賞を受賞。主な作品に「車輪の下」「デーミアン」「シッダールダ」「ガラス玉演戯」などがある。

結婚は3回。27歳、46歳、54歳のとき。1962年85歳で南スイスで亡くなる。

ヘルマンヘッセ




本書はヘッセの小説、詩、エッセイ、手紙などから230の言葉が厳選されてます。以下に個人的に気に入った19のヘッセの言葉を。

<蝉の声>
夏の音。深夜まで尽きることなく続く蝉の声。あれは海と似ている。その音にひたっていると、自分の存在をすっかり忘れてしまう。

<真の快感>
なぜ君は酔いたがるのか。なぜ君は今夜もまた興奮を探し求め歩くのか。理由ははっきりしている。きみはきみ自身と一体になりたいと願っているからだ。その快感が欲しいのだ。だったら酒だの音楽だのダンスなんかに夢中になっても仕方がない。そんなものはきみをいっときしか酔わせてくれないからね。そうではなく自分自身にしかできないもの、自分がこれだとはっきり言えるようなことをしなさい。するときみはいつも自分自身でいられる。

<心の平安>
自分の生活や仕事についてもうこれで安泰だ、ということはありえない。心の平安についても同じだ。もうこれで自分の心は平安のままに安らぐ、ということはありえない。心ひとつを平安にするためにも、それはいちいち戦いとらなければならない。しかもその戦いは日々続くのである。

<気分を晴れやかにする薬>
どうにも晴れない欝々とした気分に効く薬がある。それは次のようなものだ。歌うこと。神の存在、あるいは大いなる存在が隠れていることを認めること。少しばかりのワインを飲み、音楽を聴くこと。喜びの詩を書くこと。歩いて遠くまで出かけてみること。

<苦しみ>
どんな人にも苦難は襲ってくる。そこからいったん逃げれば、また今度は別の苦しみがやってくる。もし今苦しんでいて、その苦しみから一刻も早く脱したいと思うならば、その最短の道は眼前に開いている。その道とは、苦しみの真っただ中を堂々と通ることだ。苦しみを全身に受け、耐えながら歩くのだ。すると、もっとも早く苦しみの世界から抜け出ることができる。

<どの日の朝も、夕暮れになる>
あらゆる花は実を結ぼうとする。どの日の朝も、夕暮れになろうとする。

<天職とは>
もっとも自分に適した天職を選ぶ、ということは不可能だ。若いときにあらかじめ自分の天職を知る方法などないのだ。ただし自分がなしてきたこの仕事が天職であったかどうかということは、もうどうにも取り返しのつかない段階と年齢になてからならはっきりと自覚できる。もちろん、そのときにはすでに幾多の困難を耐え、多大な犠牲を存分に払ってしまった後なのではあるが。




<献身>
人は、献身して愛してきたものからのみ人生の意味を受けとる。

<死>
最初は母を愛し、次に父を愛し、さらに身近な人々を愛し、やさしいものを愛し、故郷を愛し、他人を愛し、やがて苦手な人をも愛せるようになり、さらにはこの人生をも全肯定して愛するように、私たちはついに死をも愛せるようになっていく。そして死はついに人生最大の幸福となる。

<夢>
多くの人はさまざまな夢を抱いて生きている。しかしそのほぼすべてが実現しない。なぜならば、彼らの夢は自分の能力の中から自然に湧き出た自分自身の夢ではないから。彼らの夢は、そのつどの無責任な欲望にしかすぎないものだからだ。

<ギャンブル>
ギャンブルが危険なのは、お金を失うからではない。負ければお金が消えるばかりか、それぞれの夢や希望や自由までもいっしょに失ってしまう。負けてとぼとぼ帰る人の姿は、まさしく失意の人の後ろ姿そのものだ。

<知識を増やせば>
知識を増やせば増やすほど、さらに増えていくものがある。それは疑問だ。知識の森の奥には、もっと薄暗い疑問の谷間が口を開けている。

<本心を話す人>
私は人間嫌いという印象を与えているかもしれない。でもそれは違う。私は農夫や船乗りたちが大好きで、港の酒場で彼らと痛飲する。画家や建築家と談笑したり、彼らの仕事場を見るのが好きだ。こういった人々は屈託がなく、本心を話し、自分の仕事を人生としている。一方、飾りや嘘や駆け引きばかりの上品な社交場には顔を絶対に出さない。むしろひとりで本を読んだり、ビリヤードをするほうを私は好む。

<健全で正常な人間>
いわゆるまともな人間とは、才能のない人のことだ。彼らは健全で正常な人間だ。芸術家が持つ狂気を持ち合わせていないし、むしろ狂気を気味悪がっている。そもそも才能というものと狂気は、最初からつながっているものだ。

<あの世>
ブッダが示した涅槃とは、還っていくことだ。私たちを生んだ大きな魂へと戻っていくことだ。この世で個人である私たちがもはや個々人ではなくなることだ。個人として分割されてしまった人間一人ひとりが、その大いなる根源へと帰っていくことだ。

<群れる人々>
集団をつくって群れる人々。彼らはなぜ集まり、互いの動向を気にするのか。その理由は実はなさけない。彼らは互いに相手を恐がっている。固まっていながらも、心はばらばらで互いに本気では信用してない。そしてまた、自分が時代遅れの役立たずであることを内心知っている。集まってお互いの顔を見ながら同じような声を出していないと、ちょっとした意見すら表現できない。

<大人になるとは>
大人になるとは、社会制度が決めた年齢に達することではない。親から離れることだ。少年時代を棄てることだ。孤独になることだ。ところが多くの人はこの重大な一歩をきちんと踏み出さない。片足だけを前に出し、もう一本の足は後ろに残している。内心はいつまでも身内や故郷や過去とつながっていたいのだ。

<愛の代償>
美しいものを見ることができるためには、最善のものを感じるためには、愛に出会うためには代償が必要となる。その代償とはお金ではない。あなたの心を支払わなければならない。

<究極の読書術>
本を読むということの最高度の段階にいたるとどうなるか。もし一篇の童話を読んだとしても、あるときは深達な哲学書として読む。あるときは宇宙論として、別な時は香り立つようなエロティックな文学として読む。まるで子供がベッドを雪の山や岩の洞窟や広大な庭園に見立てて、いつまでも遊ぶように。

最近のぼくは狂ってると人はいう♪
メリーゴーランドからはもう降りたよ♪
あとは勝手に回ってりゃいい♪
ぼくはただここに座り♪
車輪を眺めてるのが好きなんだ♪

ジョンレノンで、ワッチング・ザ・ホイールズ♪

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