「戦略サファリ」という、戦略論の名著(1999年)があります。作者はミンツバーグ。
ざっくりいうと、「世の中の戦略論を10種類に分類し批判を加える」という本。分厚い4000円ぐらいの専門書です。
むかし市内の図書館になくて、ほかの市から取りよせてもらって読みました。わざわざ取りよせてもらったのですが、ぼくにはトゥーマッチでパラパラ読み飛ばしてしまった。まぁ専門家でもないし全ページ精読する必要はない。
ちなみにサファリ、アラビア語の「旅行」が語源。
冒険旅行とか、アフリカでの狩猟探検旅行の意味だそうです。ググりました。なんかつい動物園のことだと思ってしまって、マイケルポーターがまぬけなシマウマに思えてきて。
そんなミンツバーグが、なんかライトな本を書いてる、これは読まなくちゃと。
『1989年、共産主義体制が倒れはじめたとき、西側の有識者たちは安易な説明に飛びついた。資本主義が勝利した。そう主張したのだ。しかしそれはとんでもない間違いだった。その誤解がいま大きな不幸を生み出している。
1989年に勝利を収めたもの、それはバランスだった。共産主義体制の国々は、政府セクター(部門)に権力が過度に集中し、著しくバランスを欠いていた。それに対し西側は、政府セクター、民間セクター(企業)、そしていうなれば「多元セクター」の間のバランスが十分に取れていた。
しかしこの点が正しく理解されていなかったために、その後多くの国でバランスが失われていった。民間セクターの力が過度に強まったのである。
政府か企業かという二元論で語るのはもうやめよう。私たちの社会に必要なのは、NGO、社会運動、社会事業などから構成される多元セクターである』
『社会がバランスを保つには、この3つのセクターすべてが力を持つ必要がある。3つのセクターは、椅子を支える3本の脚だ。3本の脚に支えられてはじめて健全な社会が成り立つ。
政治的な存在である政府セクター、民間セクターは企業を基盤とする。そして社会的な存在である多元セクターは、強力なコミュニティを舞台に形成される。
共産主義と資本主義は、1本の脚でバランスを取ろうとしてきたが、いずれもうまく機能しなかった。今日の多くの国が試みているように、政府セクターと民間セクターという2本の脚で、バランスを取ろうとするのは、十分ではない。政治的妥協のマイナス面がついてまわるからだ』
それでは、多元セクターとは何か?
『多元セクターを構成するのは、政府や投資家によって所有されていないすべての団体である。そのなかには、メンバーによって所有されている団体もあれば、誰によっても所有されていない団体もある。
協同組合、非政府組織(NGO)、労働組合、宗教団体、一部の大学や病院などが含まれる。不特定多数の人が終結する社会運動や社会事業なども含まれる。生活協同組合、工業協同組合、財団、クラブ、宗教団体・・財産などの所有形態は、私有ではなく共有財産とする場合が多い。
多元セクターが力を持ちすぎて失敗した事例は、エジプトのムスリム同胞団体系の政権。社会を支配し、ほかのセクターや多元セクターのほかの部分を排除する状態』
以下にその他の読書メモを。
グローバリゼーションとは
グローバリゼーションは弱い者いじめ。誰もが等しい条件で競争できる環境をつくるというのが、推進派のうたい文句。しかし実感は、メジャーリーグの金満球団がアフリカの小国の高校野球と、同じ条件で戦えるようにするようなものだ。そしてその試合の審判はWTOとIMFだ。
試合は欧米式のルールにのっとり、途上国を舞台に行われるが、欧米の利益が脅かされると、ただちにルール変更が待っている。
奴隷支配
奴隷支配の最終段階は、奴隷であることに本人が気づかなくなることだとよく言われる。共産主義体制下のソ連や東欧の人びとは、最後までこの段階にいたることはなかった。国家の統治機構によって自分たちが隷属させられていることは、よく理解していた。
しかし今日の多くの国で、自分たちが経済システムの奴隷と化していることに気付いている人が、どれだけいるだろう。市場経済が企業のための社会を生み出し、企業の都合ばかりまかり通っていることに、私たちはどれだけ気づいているだろうか。企業が自由に行動できる経済が、企業が自由に行動できる社会に変容したとき、自由を失うのは市民だ。
社会を搾取しようとする企業
自由企業を称しながら政府の補助金をむしり取ろうとしたり、莫大な金をかけたロビー活動により、特権的な地位を強化しようとする企業がいる。
1952年のアメリカでは、すべての税収の32%を企業が納めていたが、2010年その割合は9%にまで減っている。「個人が責任をおわずに、利益だけ手にするために考案された独創的な仕組み」ビアスは1906年、有名な「悪魔の辞典」の原型書籍を出版したとき、企業をこう定義した。これ以上現状を放置してよいのか。
知的財産権
アイデアを思いついたら、特許を取って収益化せよ。正統性など関係なしに、一部の大手製薬企業は、伝統社会の人々が昔から用いてきた薬草の特許を取得している。
アメリカ建国の父の1人であるベンジャミン・フランクリンは、知的財産権について異なる考え方をしていた。発明家としても活躍したフランクリンは、燃焼効率の優れたストーブなどの特許を取得しなかった。「みずからの発明が、人々の役に立てるだけで満足すべきだ」と考えたのだ。
ポリオワクチンの生みの親であるジョナス・ソークも、ワクチンの特許を取得しなかった。「誰がこのワクチンの特許の持ち主かって?特許はみんなのものだ。誰も太陽の特許を独り占めできないのと同じことだよ」市場で特許の対価が発生せず、ワクチンの値段が抑えられたおかげで、どれだけ多くの子どもたちが救われたか考えてみてほしい。
社会的流動性
OECDの2010年の報告書によれば、社会的流動性の高さで、アメリカは北欧諸国、オーストラリア、カナダ、ドイツ、スペインに後れをとっている。男の子が成功を収める要因のなかで高所得の父親をもつことの重要度は、カナダでは19%なのに対し、アメリカでは47%に達している。
「アメリカでは子供が大学を出られるかどうかは、大学進学適性試験の成績よりも、親の所得との相関関係のほうが強い。クラス(教室)の成績よりもクラス(階級)の影響のほうが大きい」
アメリカの議員は金持ちのために働く
ジョセフ・スティグリッツ曰く、「アメリカの上院議員のほぼすべてと、下院議員のほとんどは、当選当時アメリカ社会の資産上位1%に属しており、上位1%の人たちの金で議員の座を維持し、上位1%のために尽くせば、議員を退いたあとにもご褒美が待っていることを知っている」多くの議員が富裕層への増税に強く反対するのは、これが理由なのだろうか。
合法的腐敗
すべての企業が真剣にCSRに取り組んでるわけではない。企業の利益追求と社会問題の解決が両立する、「ウィン・ウィン」の世界が到来することは、期待しないほうがいい。露骨な搾取行為で莫大な利益をあげている企業、悪いことをして儲けている企業、法律の文言にだけは違反しないよううまくやっている企業が多すぎる。
独裁国家のように、客観的な法律上の規範がない社会は非常に恐ろしい。けれども法律以外の規範がない社会も、人間が生きるに値しない。
法律の規制対象となる行為はあまりに少ない。ありとあらゆる合法的腐敗がまかり通っている。政府の対応が追いつかず(企業のロビー活動が原因)、法律で禁止されていなければ、なにをしても許される。
ビーチボーイズでサーフィン・サファリ♪
1962年彼らのデビューアルバムの1曲目です。