ギリシャで財務大臣を務めたヤニスが、十代半ばの娘に向けて書いた本。
できるだけ専門用語を使わず、血の通った言葉で経済について語っています。
娘からの「なぜ格差が存在するのか」という問いに、著者なりの答えを出す。
金融の役割や資本主義の歴史と功罪について、小説やSF映画などの例を挙げながら平易な言葉で説いていく。本書は「資本」という言葉は使ってません。わかりにくいから。「資本主義」のかわりに「市場社会」、「資本」は「機械」や「生産手段」と言い換えてます。
著者いわく影響を受けた参考文献は、以下の4冊だそうです。
①ジャレド・ダイアモンド「銃、病原菌、鉄」
②リチャード・ティトマス「贈与関係」
③ロバート・ハイルブローナー「入門経済思想史」
④マーガレット・アトウッド「負債と報い」
そのほか本書に影響を与えたもの。カールマルクスの亡霊、古代アテネ人が書いたギリシャ悲劇、ケインズの「合成の誤謬」、ブレヒトの洞察。それから多くのSF映画と文学作品。
この本が面白かったのは、名作と言われる文学作品やSF映画を再認識できたところです。経済学については、とくに新味はないです。
世界的に売れたのは、著者が財政破綻時のギリシャ財務大臣だったから。そりゃギリシャ財務大臣がティーン向けに経済論を説くと、バカ売れするでしょ。ヤニスのご尊顔。
ちなみにwikiによるヤニスの立ち位置は以下です。
『2010年頃から、ギリシャは支払い不能でありユーロ圏にいる間にデフォルトするべきだと主張し始めた。2015年1月ギリシャ議会総選挙で当選、1月27日にアレクシス・ツィプラスを首班とする急進左派連合政権の財務大臣に就任した。しかし7月5日に行われた緊縮財政政策への国民投票で反対票が賛成票を上回った結果を受けて、翌7月6日に辞任を表明した。
かつて全ギリシャ社会主義運動への助言を行っていたが、同党の課した緊縮財政策に反発、以来反緊縮を掲げる急進左派連合への支持を表明していた。一方で人脈的には市場原理主義者に近く、ギリシャの急進左派連合政権に送り込まれた「トロイの木馬」という見方も出ている』
どっちやねんというw。本書を読んだ感じではケインズっぽいというか。反緊縮派のような気がします。
なぜSF映画「マトリックス」は、我々をハッとさせるのか?
フランケンシュタイン博士が死体をつぎはぎしてつくった怪物は、自分という存在への不安に耐えられなくなって人間を殺しまわった。
「ターミネーター」では、機械が地球を乗っ取ることをもくろんで人間を根絶やしにしようとした。
「マトリックス」はそこからさらに一歩進めて、機械がすでに地球を乗っ取ったあとにまだ人間を生かし続けようとする世界を描いている。
機械が人間を根絶やしにしないのはなぜかというと、人間が地球の資源を使い果たし、地球は黒い雲に覆われて太陽エネルギーが届かなくなってしまったからだ。唯一のエネルギー源が人間の肉体なのだ。
人間は特殊な容器に入れられて植物のように水と栄養を与えられ、人間が代謝によって発するエネルギーが機械の動力源となっている。
しかし適切な栄養を与えられていても、人間は他者との関りや希望や自由が失われると、すぐに死んでしまうことがわかった。そこで機械はマトリックスという世界をつくりだした。マトリックスはコンピュータが生み出す仮想現実で、奴隷になった人間の脳にその仮想現実が映し出され、機械に乗っ取られる前の生活を頭の中で体験できる。人間は奴隷となり搾取されていることに気づかない。
マトリックスのような優れたSF映画は、我々をハッとさせる。それはこうした映画が現実についての何かを教えてくれるからだ。
マトリックスは我々の不安を映し出す鏡のようなものだ。ドキュメンタリーといってもいい。もはや人がテクノロジーに支配されていることに気づくことすらできないほどの完ぺきな機械化や肉体の商品化、心の奴隷化への恐れを映し出している。
マルクスはかつて、生産手段のなかでも労働手段、つまり機械や装置は「人間に服従を強いる」と書いた。マトリックスは機械が人間を服従させた世界の完成形を描いている。
SF映画「ブレードランナー」が予測した近未来
1982年に公開されたブレードランナー。主人公のリック・デッカード(ハリソンフォード)は、レプリカントと呼ばれるアンドロイドを探し出して破壊する仕事についている。レプリカントは植民地に閉じ込められ過酷な労働に就かされているが、植民地を逃げ出して地球に戻ってくる。人間はそんなレプリカントの強さと知性を恐れ、見つけ出して破壊しようとする。
だがテクノロジーが進んだことで、レプリカントたちは洗練され、人間とまったく見分けがつかない。最先端のレプリカントは感情を持ち自由を欲するようになる。混みあったロサンゼルスの街中でデカードが標的を見つけるのは、ますます難しく不可能に近くなる。
ブレードランナーの主人公デッカードと同じように、この映画を見た人は「人間とは何だろう」と考えてしまう。
君がもし補聴器や義足をつけていても人間だ。人工心臓、人口の内臓、それでもまだ人間だ。では脳はどうだろう。脳の特定部位にマイクロチップを埋め込んだとしたら?治療のためならそれもまだ人間だ。
今度は脳のある部分を取り換えるとしたら?どんどん取り換えていったらどうなる?
それを続けていくと、どこかの時点で君が君でなくなる。アンドロイドになる瞬間が訪れるはずだ。世界中の人が脳や体の一部をどんどん取り換えていったらどうなるのか。ポストヒューマン。
ブレードランナーにおいて、アンドロイドは感情を持つようになり、デッカードは自分が殺さなければならないアンドロイドを愛するようになる。愛するアンドロイドを殺すことは自分の人間性を失うことになると気づいたデッカードは、命令に背いて彼女と駆け落ちし、彼女が自由な心を持ち続けられるようにする。
災いと福はつねに対になっている。もし自動化が進みすぎれば、イカロスの墜落のような惨事が必ずおきる。