ジブリはお好きでしょうか。
ジブリには3人の大御所がいます。
原作、脚本、監督の高畑勲。絵は描けません。昨年82歳で没。
原作、脚本、監督の宮崎駿。作画の天才。78歳。
この2大巨匠のまとめ役が、元徳間書店。プロデューサーの鈴木敏夫。70歳。
その鈴木さんが3人の禅僧と対談をするという企画本です。
禅的なものに興味を持つ入門本としてもいいし、真髄がすべて描かれてるともいえる。
禅は世界的なブームですよね。
世界に広まった禅は日本の禅。発祥地のインドのものでも中国のものでもない。どうしてか?結局宗教のもっとも基礎的な部分は「禅定(宗教的な瞑想状態)」。
宗教が持つさまざまな「行」は、この禅定に至る道筋。その禅定に専門化してるのが日本の禅なので、それ以外のことはあまり問わない。だから宗教性が薄い。宗教のコアになる部分しかない。そうすると入りやすい。どんな宗教でも瞑想して禅定に至るのは一緒だから。
なぜ日本の禅がそれだけシンプルになったのか?白隠さんや仙厓さんが、日本の八百万の神とうまく折り合っちゃった。白隠さんは天神様を信仰していたし終いには地獄まで肯定する。ものすごく八百万的。他の信仰を全部肯定してどこから行ってもそこに禅がある。
仙厓さんだって神主、孔子、釈迦が仲良く煮込み鍋をつついてる絵をかいてる。日本の禅は他の信仰を肯定した。だから世界に広まった。
ところで禅道場は厳しいみたいです。以下に本書から列挙。
・上下関係がものすごく厳しい。
・先輩にカラスは白だと言われれば白。
・質問や言い逃れはしてはいけない。
・師匠のいったことが絶対で伝えられたことをしっかり守る。
・「一器の水を一器に移す」水を一滴もこぼさず次の枡に移すのが仏法を守るということ。
・「新到3年白歯をみせず」という言葉があるくらい厳しい。
・1年間は名前を呼んでもらえない。冗談なんか絶対言えない。
・薫習(くんじゅう)。禅は誰も手取り足取り教えない。できないと怒られる。薫りで習え。
・禅も職人の世界と同じで段階を追ってしか進めないので、各段階に集中するようそうする。
ちなみに臨済宗では、管長や修行道場で若い雲水(修行僧)に指導をする立場の者は結婚しないそうです。禅は生活そのものが修行。
以下にその他の読書メモを。
両行とは何か?
中国に両行という言葉がある。それは対立するもの両方をそのまま生かしておくと、必ず何かが生まれてくる、という言葉。
1つの考え方で絶対化してしまわないで、対になるような考え方を常に持っておく。そういう思想が日本人のベースにもある。
「急がば回れ」なら「善は急げ」。慣用句にも対がある。健全だ。
禅の世界での理想の師弟関係はどんな形か?
禅の世界には師弟関係がある。師匠のことをやみくもにありがたいと思ってるわけではない。よく言われるのは、一番いい師弟関係は「敵同士(かたきどうし)」。二番目は「恩を感じる」。三番目は「勢いに付く」という。
横田老師(円覚寺派管長)いわく「修業時代に師匠が向こうから歩いてくる。すれ違うのも嫌でパッと道を変えた。向こうもそれに気づいた。あとで師匠はお付きの雲水に、あいつはあれでいいんだ。修業とはそんなものだと語ってた」
仏教でも禅宗以外は教祖や先代の言う通りが基本。禅はそれをやらない。拠り所とする経典を持たない。禅僧が10人いれば10人の禅がある。禅という教義があるのではなく、その人の生き方を問題にする。
「守破離(しゅはり)」とは?
守破離。始めは忠実に教えを守って、やがてそこから離れる。1700以上ある禅問答の問題「公案」は、すなわち1700の禅僧の物語。人間の数だけ禅がある。
「抑下托上(よくげのたくじょう)」とは?
禅の指導法として抑下托上という言葉があって、相手をけなせばけなすほど褒めているという。けなしているようで内心は認めている。
無一物とは?
自分は本来「無一物」。何も持ってない。すべての縁によって自分が成り立っている。「金も名誉もすべて手放せ』という意味ではなく、自分が無一物であることを認識すると、悩みも自分の影法師でしかない。
柳緑花紅とは?
黒澤明のデビュー作「姿三四郎」。脚本も世界の黒澤。主人公は若き天才柔道家姿三四郎。自分の強さを持て余し街に出てはケンカを繰り返す。
ある日三四郎は自分の好きになった乙美の父親である村井半助と戦う羽目に陥る。その前夜、師匠に「お前は人間の道というものがわかってない」と一喝され、死ぬ覚悟で池に飛び込む。
冷たい水の中で1本の杭にしがみつく三四郎。そこへ和尚が現れて三四郎を諭す。「その杭がなんなのか考えろ。三四郎」そして和尚はごちる。「柳緑花紅」
ジブリ「風立ちぬ」で関東大震災で菜穂子の女中さんを助けるシーンがある。それは姿三四郎の三四郎と乙美の出会いのシーンのオマージュだった。
トリカブトは毒なのか?
ポケモンを作ってる人たちが座禅したいと来たことがあった。「こういう仕事をしていて、どうやったら心の安らぎを保つことができますか」と質問してきた。「そりゃカンタンや。ゲームをやめるんだね」と言いましたが「やめるわけにはいきません」と。
そのとき出た話が「自分たちの業界は常にライバル会社との競争。相手に打ち勝つように努力しないといけない」「競争心をもってはいけないのか」という質問。
そこで思い出したのが、前に長時間の座禅(法会)を終えた後くたびれたときの話。
親しい先生に漢方薬を出してもらった。「ああ体が温まる、何が入ってるんですか」ときくと「管長、これにはトリカブトが入ってるんです」
トリカブトは毒として有名だけどじつは優れた漢方薬。微量に摂れば体が活性化する。大量に摂ると毒になる。
怒りや憎しみ、競争心もそう。ほどよく入ってれば人間の体は元気になっていく。
漢方薬なら先生が調合してくれるけど、怒りや憎しみの場合はそれを調合するのは自分。座禅が自己を見つめるというのはそこのこと。どれくらい調合すれば体を活性化させられるか。多かったら逆にダメージになる。静かに座って自分にどれくらいのものが必要か状態を見つめる。
自分の怒りや憎しみを調整するには、そういう感情は必要は必要。座禅を監督する指導役の僧侶は徹底的にいじめぬく。それに対してこの野郎とならないと力が出ない。
好きなジブリ作品は何ですか?
こっちの本も読んでみたい。