【セクシィ仏教】要約まとめ

むずかしいことは抜きで、仏教に親しみたい人にピッタリの一冊です。

説話集や経典から、強烈なエロスを放つエピソードを厳選し、ハイライトシーンをわかりやすく解説します。著者はおじさんかと思うと、76年生まれの愛川純子さんという女性です。

まずは仏教史をかんたんに

紀元前500年くらいに釈迦がはじめた仏教は、釈迦の死後その教えを弟子たちが、膨大な数の経典にまとめます。もちろんファンタジー化していきます。

仏教の系統は大きく2つに分かれます。小乗仏教と大乗仏教です。

小乗は出家して、厳しい修行のなかで自分が悟ることを目指すもの。

大乗のほうは大衆を救うことを目指すものです。

小乗はミャンマーやタイ方面へ、大乗が北ルートで日本にやってきます(釈迦の教えはもちろん小乗仏教のほう)。

日本にやってきた大乗のほうは、世俗を救うのが目的なので、俗に混じります。そのため戒律を破りやすくなるという側面があります。日本の仏教説話にエロが多いのは、このことが影響しています。

538年に伝来した仏教は、奈良時代になると、天皇が任命する国家公務員となります。現代の坊さんとは役割が違い、天下太平・国家安穏を祈祷することが仕事です。衣食住を保証され、兵役の免除、刑法上の特権も与えられます。僧には穢れを忌避する義務があり、もちろん死に携る行為も禁じられていました。

行動規則の1条には、殺人、姦淫、窃盗、妄言を犯せば、官僧の身分を剥奪されるとあります。これは仏教の戒に基づいています。この本は、4戒律のなかの性行為の禁止にスポットあてています。時代が進むにつれて、ユルくなっていきます。

平安時代

ほとんどの僧は奔放に性を謳歌し、後白河院いわく「隠すは上人、せぬは仏」状態だったようです。上人とは知徳をそなえた高僧のことです。

鎌倉時代

女犯はいっそう激化します。「隠す上人なお少なく、せぬ仏いよいよ稀なりけり」

法然と親鸞は革新的でした。法然は「女犯や肉食は極楽浄土行きの妨げにならない。ひたすら念仏を唱えればいい」。弟子の親鸞はみずから妻を持ちました。浄土真宗は、それから妻帯と肉食を公然と行います。

江戸時代

寺が組織され、国に管理され、行政機関という機能をもつようになります。檀家制度もはじまり(戸籍事務も行う役所みたいなもの)、幕府は秩序の乱れを防ぐために、僧の女犯を厳しく取り締まります。人妻との姦通は斬首刑のさらし首という極刑だったようです。

明治時代

1872年太政官布告によって「僧侶の肉食、妻帯、蓄髪は勝手たるべきこと」と、僧の妻帯が公然と認められました。これにより明治30年ごろにはすべての宗派で、妻帯が一般化しました。

以下に、その他の読書メモを。



帝釈天と阿修羅

仏教界のスーパースター阿修羅。昨日も興福寺のLEDライトアップで新聞の1面やニュー速でもスレッドがたってました。阿修羅と帝釈天のエンドレスの戦いは一人の美女の取り合いからはじまったものです。

阿修羅族には4人の王がいて、その一人にシャシという絶世の美女といわれる娘がいました。父王は阿修羅族のなかで一番強いラゴ阿修羅王に嫁がせるつもりです。

ラゴ阿修羅王はとても喜び、準備万端で輿入れの日を待ちます。一方その話を聞きうらやましくなった帝釈天はシャシを誘拐し自分の妻にしました。

怒り狂ったラゴ阿修羅王は、帝釈天の住む須弥山の喜見城を攻めます。六陣のうち五陣を落とし、残るは喜見城のみとなったとき、帝釈天を守る四天王が般若経を唱えました。すると輪法(車輪上の武器)が飛来しラゴ阿修羅王を切り倒したのです。

阿修羅はそれで死んだわけではなく、その後も戦いは何度も繰り返されます。まさに戦争の陰に女あり。

ちなみに帝釈天の前身は「千眼天」と言われるインドラ神。大酒飲みの女好きですぐに人の女に手を出します。ある仙人の妻に手を出したとき、怒った仙人に体中に千個の女陰を刻まれます。いくら女好きでも体中に女性器が刻まれたら恥ずかしくてたまりません。おおいに反省して修行すると、千個の女性器が千個の眼に変わったのでした。

如来、菩薩、天の定義

如来 悟りを完成させた仏
菩薩 仏になろうと修行に励むもの
もとをたどるとインド神話の神々。おもに仏法を守護する役割をになう。

如来と菩薩は似た感じですが、装飾品が違います。耳飾、宝冠、首飾りなど身を飾り立ててるのが菩薩。まったく身を飾らないのが如来です。悟りを得てるのでわが身を飾る必要がないのです。

大般涅槃経サンスクリットの和訳。女の壺には底がない

お経はサンスクリット語なので何を言ってるのかわかりません。

和訳すると以下のようなことを言ってます。

「女性の情欲を満たすことはできない。ガンジス川の砂の数ほどの男と関係をもっても彼女はまだ満足できない。この世のすべての人を男にして性関係をもっても、まだ満足することができない。春になり樹木に花が咲き、蜂が蜜を求めてくるが、それらは飽きずにやってくる。女性が男性を求めるのも、このように飽きることがない」

たぶんこのお経をつくったインド人は女性を畏怖していたのでしょう。現代の科学では性欲曲線が解明されています。ちなみに40代の男性は、20代の女性と同レベルの性欲です。35歳から45歳の間は同年齢の男女なら女性のほうが性欲が高いので、たぶんこれを発端に考えられたお経なのかな。

男女の性欲曲線



一休禅師の官能的な漢詩

一休さんは、禅宗の一派である臨済宗の大本山・大徳寺の住職を務めるほどの高僧でした。しかし彼は市井に交じって酒を飲み、肉を食べ、遊郭にかよって女を抱き。。

そんな一休さんは漢詩の名手でした。「狂雲」と号してたくさんの詩を読んでるのですが、それがユーモラスで官能的なのです。たくさんあるのですが、一部を口語訳で紹介します。

「如意庵に住んでわずか十日だが、落ち着かない。女のことばかり考えて、下半身の赤い糸が爆発しそうだ。今後もしわたしを訪ねてくれるなら、魚屋か居酒屋か、あるいは遊郭を探してくれ」

「美人との愛欲の深い河から抜け出せない。楼子という老僧は酒屋の楼上で歌う女の歌を聞いて悟りを開いたけれど、私は女を抱いて口づけするのが楽しいから、火あぶりも八つ裂きも厭わない。悟りなんか無用さ」

ほかにも淫水は水仙の香りが漂うとか、なんでもこいの世界観ですが、そこは漢詩の名手。絵画のような情景が浮かびます。

一休さんの辞世の詩です。88歳の高僧は「死にとうない」といって恋人の膝で亡くなりました。「10年間、花のような森女と睦んで愛の誓いを通してきた。無限につづくこの気持ち、死にとうない。美人の膝枕でただ思う。夜が更けゆく。来世も共にと誓う」

グレンフライで、セクシーガール♪

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