悩みって尽きないですよね。しかも年齢とともに増えていく気がする。
若い頃って夢や希望があるけど、年取ると可能性が少しずつ無くなっていく。「大人になるってことは、夢をあきらめていくこと」とは誰の言葉だったか。
この前佐々木常夫氏の講演を聞きました。佐々木さんの本は2冊以上読んでるのですが、やっぱ講演は1時間ほどで多くの情報が吸収できる。いい講演でした。
佐々木氏は元東レの経営者で、奥さんが3回自殺未遂、長男が自閉症という逆境のなか、立派に生きてる人です。印象に残ったのは2つの言葉でした。
「リーダーとは、勇気と希望を与える人」
「運命を受け入れることが大切」
運命を受け入れるのって、ものすごく難しい。それを体現した佐々木氏の言葉だから、素直に受け入れることができた。佐々木氏以外の人がいうと、「お前に何がわかるんだ」となる。
本書にもいい言葉がありました。アリストテレスの言葉です。
「幸福は自己に満足する人のものである」
なかなか自分に満足できないんですよね。自分はもっとこうあるべきだ、なんて高望みするとギャップでしんどい。運命を受け入れるというか、あきらめが必要なんでしょう。
本書はタイトルの通りの本です。みんなが悩んでるようなことは、すでに偉大な先人が答えを出していると。目次は以下。
<仕事>
「将来、食べていけるか不安」 ⇒アリストテレス
「忙しい。時間がない」 ⇒アンリ・ベルクソン
「お金持ちになりたい」 ⇒マックス・ウェーバー
「やりたいことはあるが、行動に移す勇気がない」 ⇒ルネ・デカルト
「会社を辞めたいが辞められない」 ⇒ジル・ドゥルーズ
<自意識・劣等感>
「緊張してしまう」 ⇒ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)
「自分の顔が醜い」 ⇒ジャン= ポール・サルトル
「思い出したくない過去をフラッシュバックする」 ⇒フリードリヒ・ニーチェ
「自分を他人と比べて落ちこんでしまう」 ⇒ミハイ・チクセントミハイ
「他人から認められたい。チヤホヤされたい」 ⇒ジャック・ラカン
「ダイエットが続かない」 ⇒ ジョン・スチュアート・ミル
「常に漠然とした不安に襲われている」 ⇒トマス・ホッブズ
「人の目が気になる」 ⇒ミシェル・フーコー
<人間関係>
「友人から下に見られている」 ⇒アルフレッド・アドラー
「嫌いな上司がいる。上司とうまくいっていない」 ⇒バールーフ・デ・スピノザ
「家族が憎い」 ⇒ハンナ・アーレント
<恋愛・結婚>
「恋人や妻(夫)とけんかが絶えない」 ⇒ゲオルク・W・F・ヘーゲル
「不倫がやめられない」 ⇒イマヌエル・カント
「大切な人を失った」 ⇒ジークムント・フロイト
<人生>
「やりたいことがない。毎日が楽しくない」 ⇒道元
「人生の選択に迫られている」 ⇒ダニエル・カーネマン
「夜、孤独を感じる」 ⇒アルトゥール・ショーペンハウアー
<死・病気>
「死ぬのが怖い」 ⇒ソクラテス
「人生がつらい」 ⇒マルティン・ハイデガー
「重い病気にかかっている」 ⇒ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
本書を読んだところで、自分の悩みは無くなりません。「頭じゃわかってるけど、できないから悩んでるんでしょうが」という。だけどヒントはつかめるかもしれない。以下に3つの読書メモを。
嫌いな上司がいる。上司とうまくいかない。どうすればいいか?
人間が人や世界を恨むのは、人や世界が自由意志を持っていると考えているから。自由意志とは自分の行動を自分でコントロールできる意志のこと。
でも人は誰も自分で自分を変えることはできない。上司も自分も。
起こることは必然で、最初から決まっている。その行動はその人の出自や育ちやコンプレックスや抱えているものの因果関係で決まっている、だから変えることはできない。
決められた運命を変えるような強い意志も能力も、人間は持ち合わせてはいない。
嫌な上司がそんな言葉を言うにいたった経緯や人生をその他すべてを理解する。そのことで自分自身が魂の平安を得る。
人生がつらい。どうすればいいか?
生活が苦しい。借金が返せないほどふくらんだ。人間関係も修復不可能なまで悪化した。気力も体力もない。悩みが積み重なり、肉体も精神も追いつめられた。死にたい。
「本気で死を意識したということは、本当の自己の生に目覚めたということ」
人生における「夢がかなう」「成功する」といった可能性のあやふやさに比べて、「自分が死ぬ」ということだけは、唯一手ごたえのある、確実に存在する可能性だから。
人は死を本気で決意したときこそ、根源的な時間である人生の残りの時間を生きはじめる。どうせ死ぬんだったら、やれるだけのことはやってみようという覚悟。その最期の覚悟で、生活苦、仕事の失敗、人間関係、いじめ、などどうにもできないと思える困難に体当たりでぶつかってみる。
大切な人を失った。どうすればいいか?
大切な人を失ったとき、人はどうすればいいのか?そこから立ち直る感情のプロセスを「喪の仕事」とフロイトは呼んだ。死に別れだけでなく、生きている人に別れを告げられた場合も同じ。喪失の悲しみをのりこえるには、「喪の仕事」が正しく行われるかが問題。
悲しみの原因はリビドー。気持ちを抱く対象に向かう心のエネルギーのこと。悲しみの真っただ中にある人は、現実よりも失われた相手、決して戻ってこない相手に、非合理的に心理的なエネルギーを注いでしまう。
この課題の解決はすぐには実現できない。長い時間がかかる。しかしフロイトいわく、「いつかは解放される」と。あの人は去ったが、私は今自分が生きている世界にとどまって生きていくんだ、それを健全な「自己愛」だとフロイトはいう。
端的に示す例はエリック・クラプトン。1991年まだ4歳だった息子のコナー君を転落事故で亡くす。クラプトンは悲しみのあまり外に出ることができず、息子の死を悼んで書いた曲がキャリアの代表曲になる。クラプトンは天国の息子に会いたいとしながらもこう歌う。
自分は息子がいる天国にいるべき人間じゃない。僕はこの世で自分の進むべき道を見つけていくのだ。息子のことは今でも愛してる。だが自分は現世で生きていくほかないのだと。
のちに彼はこう語っている。「僕は自分のために音楽を、無意識のうちに治療薬として使っていた。驚くことにうまくいった。音楽から多くの幸せと癒しをもらったんだ」
クラプトンはコナー君がなくなって13年後の2004年にこの曲の演奏を封印する。
「もう喪失感がなくなったんだ。その曲を演奏するとき心を占めていたものがね。演奏するときは曲を書いたときの感情と融合しなくちゃならない。その喪失感がなくなったということ。本当に戻ってきてほしくないよ。僕の生活は今では違う。たぶんこの曲には休息が必要なのさ。そしてまたいつか僕はこの曲を、感情的に距離のとれた場所から披露する日がくるだろう」。
クラプトンの回想は、失った息子への「喪の仕事の完了」を物語っている。こうなるには長い道のりがかかる。喪失を悲しみつくすには、クラプトンの場合で10年以上かかった。
こんにちは、ちょうどいい事に、実は私も最近、その本を買ったんですよ(勿論、アマゾンで)。で、さっそく読んでみました。
誰しも一度は考えた事のあるような、悩みですねぇ。いや~、私も思い当たる事がいくつかあります(笑)。
その一つが、「自分を他人と比べて落ちこんでしまう」ですね。で、それゆえに、恥ずかしながら、「他人から認められたい。チヤホヤされたい」と考えたのも、一度や二度ではありません!でも、今は、「別に認められなくてもいいや」と考える事にしております。
機会があったら、この本も自分のブログでも紹介したいです。