偉人の残念な名言集。偉人は「立派な人」というイメージが強いが、人間的には欠点が多く、社会人として、あるいは家庭人としてはむしろ「失格」な、ぶっ飛んだ人が実のところ多い。
大きな長所からは、大きな短所が生まれる。本書はそんな偉人たちの実像にせまり、憎めない残念な名言を集めた。不満、愚痴、怒り、失望、不安、絶望に満ちた言葉たち。
ぜんぶ偉人達のネガティブな言葉だ。
ここには希望や勇気に満ちた名言は1つもない。そういうものを求める人は、本記事を読まないほうがいい。だけどいま、不安や不満、嘆きがある人には、沁みる言葉だらけだろう。
かのシェイクスピアはこういった。
「他人もまた同じ悲しみに悩んでると思えば、心の傷はいやされなくても、気は楽になる」
本書から気に入った名言を15個選びました。本書はネガティブな名言が右ページ、その解説が左ページという、見開き構成になっています。
目次
- 禁欲はけっきょく何にもなりませんでしたよ by宮沢賢治
- 地獄だよ、たぶん byリンカーン
- 妻は毎日、子どもたちと一緒に死んでしまいたいと言ってる byマルクス
- 子どもたちの職業のことを考えると、いつも私は不安になります byダーウィン
- 全く途方に暮れるばかりです byバッハ
- 救われるには、おさらばする以外にない byベートヴェン
- 毎晩眠りにつくとき、二度と目が覚めなければいいのにと思う byシューベルト
- 31歳にして、死以外に好ましいものは何も見当たらない byナイチンゲール
- ここでは自殺がピクニックのようにありふれたものになっています byオー・ヘンリー
- ほらね、こうやって人は死んでいくのよ byシャネル
- 賞にこだわって裏の赤いコートひとつよう買えなかった by川端康成
- どうにも仕上がらん、できんのだ byヘミングウェイ
- 清少納言は利口ぶって漢字を書き散らしておる by紫式部
- 人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上不愉快なものを作る必要はない byルノアール
- 自分の人生の舵を失った byダリ
禁欲はけっきょく何にもなりませんでしたよ by宮沢賢治
宮沢賢治もカフカと同様に生涯独身を貫いた。若いころに失恋してからは女性をむしろ遠ざけようとしていた。
「性欲、労働、頭脳の3つは両立しない。だからいずれかを犠牲にしなければあらない」そんなふうに考えた賢治は、禁欲主義を貫こうとした。だが晩年はそのことにむなしさを覚えたらしい。友人に男女が絡み合う浮世絵のコレクションを見せながらつぶやいたのが、この言葉。
地獄だよ、たぶん byリンカーン
貧しい環境から大統領まで上りつめたリンカーン。妻のメアリーだけはどうにもならなかった。メアリーはとにかく怒りっぽかった。リンカーンがなにをしても気に食わず、罵倒することもしばしば。近所の人の証言では、ホウキをもった妻に追い回されたり、公衆の面前でコーヒーを顔面にぶちまけられたり。知人に語った言葉。
妻は毎日、子どもたちと一緒に死んでしまいたいと言ってる byマルクス
偉大なるマルクス。彼には世界経済が見えていた。しかし彼自身の経済観念はさっぱりで金銭感覚はめちゃくちゃだった。経済的に困窮し、43歳のとき朋友エンゲルスに宛てた手紙の一節。
子どもたちの職業のことを考えると、いつも私は不安になります byダーウィン
恋愛のゴールは結婚だが、家族としてはむしろそこからはじまる。悩みの種は恋愛から家族の問題へ移っていく。偉大なるダーウィンもふつうの人だった。
全く途方に暮れるばかりです byバッハ
音楽の父。大バッハ。あらゆる楽器を弾きこなす偉大なる即興演奏家でもあった。そんなバッハにも弱点があった。次男こそバッハ譲りの几帳面さをみせたが、長男と三男は破天荒。三男についてバッハこんな風に嘆いた。
「あちこちで借金を重ね、生活を少しも改めず、行方までくらました。今日にいたるまで居所さえ知らせてこない・・」
そして冒頭の言葉を続けている。音楽の父の子どもは、バカ息子だった。
救われるには、おさらばする以外にない byベートヴェン
「楽聖」といわれるベートヴェン。20代後半から難聴の症状が始まった。あらゆる治療をしても聴力は低下し、48歳で完全に聴力を失った。
音楽家にとって耳が聞こえないことは、想像を絶する苦しみだったにちがいない。しかし彼は自殺しなかった。生涯独身だったベートーヴェンは、甥を溺愛しており、その甥のためにも大作を完成させようとしていたのだ。
毎晩眠りにつくとき、二度と目が覚めなければいいのにと思う byシューベルト
「歌曲王」シューベルト。600曲以上作曲し31歳で亡くなった。彼は小柄で首が短く、女性にモテなかった。
26歳のとき彼は性病にかかる。そして友人に手紙を送る。「これ以上みじめで不幸な男がいるだろうか」そして上記の言葉をつづけた。
31歳にして、死以外に好ましいものは何も見当たらない byナイチンゲール
ナイチンゲールはイギリスの貴族の令嬢。恵まれた家庭に育ったことに罪悪感を持ち、24歳で看護師を志望した。だが両親に猛反対を受け、「看護師」を恥ずべき言葉として、口に出すことも禁じられた。それも無理はない。当時の病院は不衛生でシーツの交換もなければ、壁にコケが生えているなど、不衛生だった。
働く必要のない裕福なナイチンゲールが、そんな悪環境で働くなど、両親にとっては考えられないことだった。
両親から全否定されたナイチンゲールが、31歳のときに言ったのが、この言葉である。
ここでは自殺がピクニックのようにありふれたものになっています byオー・ヘンリー
短編の名手。「最後の一葉」や「賢者の贈り物」など教科書で読んだ人も少なくない作家。ヘンリーは銀行に勤めたとき、会社の金にてをつけて懲役5年になる。
牢獄で毎日のように自殺者が出る様子をみて、35歳のとき言ったのがこの言葉。出所後は小説家となり43歳のときには売れっ子作家となる。
ほらね、こうやって人は死んでいくのよ byシャネル
フランス生まれ。母をすぐに亡くし、12歳で2人の姉妹とともに孤児院に預けられる。寄宿学校をへて衣料品店の売り子として働いたのち、恋人カペルの出資のもと、27歳でパリのカンボン通り21番地に「シャネル帽子店」を開業。一代で高級ブランドに育て上げた。
「わたしが創り出したものを全部知ることができない。わたしは革命をした」と語る。仕事が好きで、80歳になっても背筋をピンと伸ばし颯爽と街を歩いたシャネル。
ある日とつぜん体調を崩し、注射をして横たわると、小間使いに「ほらね、こうやって人は死んでいくのよ」といってこの世を去った。
賞にこだわって裏の赤いコートひとつよう買えなかった by川端康成
1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。川端にとっては良いことだけでもなかった。川端はノーベル賞受賞後、銀座で赤いコートを買おうとした。しかし「派手すぎる」と同行の妻に止められてしまう。
後に川端はこのことを「賞にこだわって、裏の赤いコートひとつよう買えなかった」と、ひどく後悔したという。
そして受賞の4年後、川端は逗子のマンションの仕事部屋でガス自殺を遂げる。
川端はこうも言った。「ノーベル賞は死ぬ前年にもらいたかった」
どうにも仕上がらん、できんのだ byヘミングウェイ
20世紀を代表するアメリカの作家。屈強な肉体と知性をもった作家。しかし晩年はノイローゼに苦しみ精神を病む。執筆も滞り、こんな言葉をもらした。
「1日中仕事机に向かい、がんばって、ほんの1行かそこらを書き足すだけ。とにかくできんのだ」
1961年の良く晴れた日の朝、ヘミングウェイは拳銃で自殺した。
清少納言は利口ぶって漢字を書き散らしておる by紫式部
源氏物語の作者として、日本人なら知らない者はいない。日本最高峰の文学を残すという圧倒的な偉業を成し遂げた紫式部だが、嫉妬する相手がいた。清少納言だ。
2人とも仕えた主は一条天皇の后だったが、清少納言が仕えたのは定子、紫式部は彰子だった。何かと意識していたようで、枕草子が評判を呼んでいたことも、ライバル心に火をつけたらしい。
清少納言への悪口は止まらず、「人より特別優れていようと思いたがる人は、必ず見劣りし、将来は悪くなるだけでございます」とも言った。
人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上不愉快なものを作る必要はない byルノアール
フランス最高の画家。そう称されて1900年には勲章も贈られた。印象派を代表する画家。順風満帆にみえたが、病がルノワールを苦しめる。重度のリウマチだ。杖なしでは歩行は困難になり、死ぬまで20年も闘病生活を送る。
不幸は続く。第一次世界大戦で息子が負傷。看病疲れで妻は他界する。
あまりにも残酷な運命の仕打ちを受けながら、人物を描くことをやめなかった。
あるとき「なぜ女性や家族ばかり描くのか?」と聞かれてルノワールが答えたのがこの言葉である。ままならない人生だからこそ、平和な世界を描き続けた。
自分の人生の舵を失った byダリ
スペインの画家。シュールレアリスムの巨匠。天才サルバドール・ダリ。TVやCMもフル活用し商業的にも億万長者になった。ダリはどこへ行くにもタクシーを使い、おつりは全部チップとして渡した。
「30歳を超えて地下鉄を使うやつは敗者だ」とも語った。
そんな強気なダリが、ある日を境にメディアの前に姿を現さなくなる。それは最愛の妻、ガラの死である。ダリにとって、ガラは人生のすべてであった。
「人生の舵を失った」そういうとダリは創作意欲をなくしてしまい、友人もメディアも遠ざけ、一人で過ごすようになる。
ダリが描いた女性は肉親を除けばガラだけだった。
水曜日のカンパネラで、ガラ♪ フレシネのCMソング。スペイン産CAVA(スパークリングワイン)のCMソングということで、ダリとガラの歌にしたんでしょう。フレシネは2種類ほど飲みましたが、個人的にはアルパカのスパークリングのほうが美味かった。
皆さん人間臭くて良いですね!