台湾のジャンヌダルク「蔡英文自伝」読んだよ。おもろかった。

蔡英文 艦これ霧島

台湾のジャンヌダルク。艦これの霧島に激似ともいわれてます。

2020年1月。蔡英文は台湾大統領選で圧勝しました。過去最多の得票。

ぼくの認識は「反中国・民進党の蔡英文vs親中国・国民党の韓国瑜氏」。台湾の民意は反中国になった。まぁ香港見てたらそうなるやろね。程度でした。

むかし小林よしのりの「台湾論」を読んだことあるので、それなりに台湾のことは知ってます。出張も数回行ったことがある。日本の周辺国では唯一好きな国です。

コメント欄ですすめられたので読んでみました。初版は3年前。台湾史上初の女性大統領になり自伝が出版された。

読んでみて思ったこと。日本の政治家が束になっても、かなわない人だということ。




まず頭がいい。実家は豪商で裕福だった。台湾大学(台湾の東大)卒業後に、米アイビーリーグのコーネル大学進学。その後もともと行きたかったロンドンの名門LSE(ロンドン経済大学。日本でいうと一橋大学)で法学と国際経済学の博士号を取得。

余談ですが、LSEはミックジャガーが奨学金を勝ち取り行ってた大学。だからミックは世界最高のロックバンドのマネジメントができる。

卒業後は台湾に戻ってきて大学教授。27歳の女の子が教授してると、どちらが先生かわからないルックスの場合もあったと。

大学教授と官僚を兼務した。台湾がWTOに入って自由化交渉をするとき、あらゆる国家間交渉の顧問となった。ある時からアメリカの交渉団が蔡英文の顔色をうかがうようになった。それからポーカーフェイスを心がけてるそうです。

なんというか台湾が大きく伸びるとき、その国家間交渉ほぼすべての中心にいた。日本でいうと明治時代に留学して大活躍した大物政治家たちのような。ベストのタイミングでベストの経験を積んだ。

その後陳水扁から指示されて彼女は閣僚となる。しかも一番大事な中国との関係調整役という大任。国会で連日集中砲火を浴びるが、その切り替えしが日本でいうと橋下徹のようにすごかったみたいです。誰にも負けないしカッコイイ。彼女が現れるところはカメラが追っかける。

「あなたのテレビショーを毎日楽しみにしてる」

そう国民に言われたそうですが、じつは単なる国会中継。それをニュースが切り取って毎日放送する。台湾国民はカタルシスを味わうという。

台湾経済が伸びてるとき。国生み状態のときは国家間交渉の中心にいて官僚組織を掌握する。中台関係が大きく展開するときは、その真ん中にいて政治的かじ取りをする。

近代国家台湾をつくった人物。といっても過言ではない。

国際経済法で台湾の第一人者。国生み最前線で陣頭指揮。数々の実績。その過程で国政の経験と官僚人脈の掌握。橋下徹のように鮮やかな切返し。国民的大人気。こんな政治家が日本にいますか?

そして2016年。満を持して台湾史上初の女性大統領となる。2020年には過去最多得票で圧勝再選。ちなみに総統という言葉は中国語で大統領という意味。対中関係を気にして台湾総統と呼ぶ人もいますが、ぼくは台湾大統領という呼称でいいと思ってます。

以下に各章のまとめを。




第一章 生命の中にある真、善、美

幼少期、家族、特に両親との思い出とその教育について明かされている。彼女の人生における信念が、父親の影響を大きく受けていることが見える。

第二章 蔡式学習法

学生時代、台湾大学、コーネル大学、ロンドン経済大学の生活と、そこでの学びや異文化経験について語っている。

第三章 十年間の国際交渉

台湾代表として貿易交渉の最前線に立っていた時代のことが記されている。大学や大学院で学んだ知識、理論、異文化間交渉技術を実践に活かすという幸運に恵まれ、台湾のWTO加盟交渉に携わる。報道ではわからない実際の国際交渉での複雑なやりとりを「牛肉の市場開放」という具体例から知ることができる。

第四章 政治の嵐が巻き起こる

大陸委員会という中国大陸に関する業務全般を担当する機関のトップである主任委員に任命され4年間勤めあげたこと、そしてその後の立法委員(国会議員のこと)への転身、民進党への入党の経緯が描かれている。彼女が大陸委員会の主任委員を務めたのは、国民党から民進党に初めて政権交代が行われた2000年からの4年間。民進党はそれまで政権運営を行ったことはなく、手探り状態でのスタートだった。そして失敗できないこの中台関係を扱う重要なポジションに、10数年の国際交渉の実績で信頼を獲得した「失敗しない」彼女が選ばれ、「小三通」をはじめとした成果を上げる。

第五章 民進党を再び立て直す

民主党の主席になった経緯と陳水扁前大統領の機密費不正流用疑惑(奥さんが海外に不正送金していた)などで、信頼が失墜した民進党をどのように立て直していったのか、どのように人々の信頼を取り戻し、選挙を戦ったのか克明に記されている。

以下に読書メモを。




蔡英文は大学で何を学んだのか?

私は教育の機会を与えてくれた父にとても感謝している。私は三つの高等教育の段階で、それぞれ異なる啓発を受けていた。台湾大学法学部の教育で論理的思考を学び始め、コーネル大学法学院では、法律上の攻防やビジネス実務について学んだ。イギリスの教育は、人間とは何か、人は何を思うのかなど、社会科学とその背後にある人文的な要素を学ばせてくれた。

アメリカの法学教育は、最後までずっと法律だけを勉強することになるが、LSE(ロンドン経済大学)では違う。LSEは一つの総合大学ではないが、経済学、社会学や政府の行政管理など、専門的な領域で十分に有名だったし、その公共政策研究はトップクラスで、ヨーロッパの社会科学分野における最も良い大学の一つだった。

WTO加盟交渉に加わるきっかけ

イギリスから台湾に戻り大学で教職の仕事に就いた。大学院で博士課程と修士課程の学生に教えていたが当時はまだ27才。見かけは学生と変わらなかった。

しばらくして友人の弁護士が助けを求めてきた。彼女は当時台湾の経済部国際貿易局で知的財産権に関する交渉を担当していた。私はその申し入れを受け入れた。

最初の対外貿易交渉の仕事に身を投じた後、私は政府の仕事に関わり始めた。最初は現場での通訳からのスタートだった。

台湾の貿易交渉において1985年から2000年という期間は最大のピーク期だった。私が今まで学んできたことが、当時の台湾社会において最も必要とされているものだった。WTOへの加盟交渉という重大な歴史的事件に関与することができた。

交渉とはそのテーブルにつく交渉人だけの力で決まるわけではない。国際的な交渉ごとは、先に政治的リーダーの決断を経て、交渉項目の最低ラインと到達目標を決める。その後、政務官がそれを政策として形にし、事務官と行政部門が技術的な問題を解決していく。

当然どのレベルでの作業も重要なのだが、最も重要なのは、やはりリーダーの意思決定だ。

国際貿易局での顧問の仕事

私が国際貿易局に入り顧問に就いた時期は、台湾が多国間貿易体系の中に入る準備をしていた時だった。台湾史上初めてのことで、その規模の大きさに驚くばかりだった。まだ30才にもなっていない「お嬢さん」と思われていた。

交渉項目がどんどん増えて複雑になり、多くの異なる分野の学者に交渉のための陣営に加わってもらうことになった。ある人は農業を、ある人はサービス業をと、各グループの交渉に顧問がつく。私がいたグループは数人の学者で共同作業を行っていた。その中の一人はその後、司法院の大法官になった教授もいる。私が長く交渉に交渉に関わっていたので、私はこのグループの責任者をやる傍ら、すべての国際交渉に関する総顧問も担当していた。

重要な交渉を進めるときは、私はメインの交渉人の隣に座り、政策の構築過程を見守りながら、アドバイスをしたり、交渉を止めたりする。もしなにかしっくりいかないことがあると、そこに介入する。交渉後は事務官と技術的な問題を討論し、その後、政務官やその上層部に報告を行い、意見を述べる。

交渉の後半になると、私は職員に作業の進展状況を教えてもらい、その後再度、大統領との話し合いに向かう。政治システム全体を貫くような作業だ。

ふつう政府機構の仕組みの中では、橋渡し的な役わりを一人で担うのは不可能だが、私は唯一の例外だったようだ。これは私にとって幸運だった。他に比べようもない貴重な訓練と経験を積ませてもらったからだ。

普通の政務官や事務官だったら人事異動がある。しかし私は10数年の間、この交渉顧問というポストについて仕事を続けることができた。最初から最後まで同じポストで、すべてのカギとなるデータを掌握することができたのだ。

民進党再起のきっかけ

国民党は100年の歴史があり、1000億円規模の党の財産と、利益潤沢な党営の事業がある。民進党は若い。民進党主席になりまず向き合ったのは党の財政危機。民進党には約7億円の借金ががあった。党費や選挙人がもらえる補助金を除き、民進党はその経費のほとんどを民間からの献金で補ってきた。

陳水扁大統領の機密費流用、地に落ちた信頼で、企業に献金を募っても全く集まらなかった。私は民衆から小額献金を募ることを決めた。

台湾の政治文化を変え、社会の支持を拡大するには、一般民衆の小額献金を党の財政の主力にすることが必然の流れだった。

政治資金パーティは「小英弁当」のパーティ方式で行った。「小英弁当」は党の若い職員が考え出した可愛らしい献金方法。

私の顔が印刷されたキャンバス地の弁当袋に、繰り返し使うことのできる弁当箱、そして一膳の箸が入っていた。

私たちの献金パーティ券は一枚一万台湾元(約4万円)だった。しかしパーティではお酒も出ない。1つの弁当が約4万円だ。とても高い。

ある日のパーティで1つのテーブルに10人が座っていた。計算すると1テーブルで約40万円の献金を得たことになる。このテーブルを担当していた人が私にこう告げた。「主席、この10名の方々は、100人を代表しているのです。1人約4万円では負担が重すぎる、だから皆で話し合った結果、1人4千円ずつ出し10人で4万円にしたそうです。その10人の中から1人が派遣され、この小英弁当を食べにやってきたそうです」

これらの代表のほとんどが村からやってきた農民たちだった。彼らの顔は真っ黒に日焼けし、顔には深いしわがある人もいた。私は握手して一緒に写真を撮った。

荒れて皮膚が固くなった手を握り、この両手が献金をしてくれたんだと思うと、自分に期待しているこの人たちに、一生背くことはできないだろうと思った。

私は一杯の水をお酒の代わりに手に持って、テーブルを回り、彼らに感謝の意を述べた。私は何度「お酒代わりの水」で乾杯したか、覚えていない。

家に戻りお腹の中は水でタプタプだったが、そこには感激も詰まっていた。

蔡英文と同窓(LSE)のミックジャガー。そういえば2022年再結成が噂されるオアシスのノエルが、キースと交わした会話が面白かったですよね。

『去年のクリスマスにその辺のシャレたホテルに行ったらキース・リチャーズもそのホテルにいて、結局キース・リチャーズと大晦日を過ごすことになったのさ!キース・リチャーズにはちゃんと会ったことなかったんだけど、家族とは知り合いだから「ウチの父に会っていきなよ」って感じで言われて、それで部屋まで会いに行ったわけ。

そしたら彼が「ひとつお前に質問がある。お前んとこのシンガーだったやつ(リアム・ギャラガー)は俺んとこのシンガー(ミック・ジャガー)と同じくらいのとんでもないマ××野郎なのか?」って言ってきてさ。それで俺は、「いや、あなたのとこのシンガーは“Jumping Jack Flash” を書いてるわけだから、俺の方のがとんでもないマ××野郎だね」って答えた。ノエルによると、キースはこれに対し、ただ「とんだマ××野郎だな」と答えたということだ』

The Rolling Stones – Jumping Jack Flash – Live On Copacabana Beach

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『台湾のジャンヌダルク「蔡英文自伝」読んだよ。おもろかった。』へのコメント

  1. 名前:サンフランシスコ人 投稿日:2020/02/23(日) 03:50:59 ID:73319e0ed

    そんなに立派な人だったのか!

  2. 名前:don 投稿日:2020/02/23(日) 10:39:25 ID:8319cd860

    恵まれた家庭環境だったせいか、無私な人みたいです。

  3. 名前:サンフランシスコ人 投稿日:2020/02/26(水) 01:48:32 ID:b8123bdc7

    台湾の蔡英文総統、新型コロナ対応で支持急上昇
    厳しい対中措置に評価

    新型コロナ
    政治
    中国・台湾

    2020/2/25 16:54

    http://www.nikkei.com/article/DGXMZO56025430V20C20A2910M00/

  4. 名前:don 投稿日:2020/02/26(水) 12:32:24 ID:2170f842d

    こういうとき、優れたリーダーがいる国はうらやましいです。

  5. 名前:サンフランシスコ人 投稿日:2020/03/03(火) 07:25:36 ID:b5a46d97e

    台湾政府の新型コロナ迅速対応に識者から評価の声、社会の強い警戒感も後押し

    ダイヤモンド編集部
    国際・中国 新型肺炎クライシス
    2020.3.3 5:42 有料会員限定

    http://diamond.jp/articles/-/230501

  6. 名前:don 投稿日:2020/03/03(火) 12:35:33 ID:4fcdd82da

    台湾は38歳のIT大臣もすごいですよね。
    TOPが偉いと優秀な人が集まる。うらやましいです。