いや負けるでしょ、と思って読んでみると確かに負けるはずがなく、勝つ戦いだったかもしれません。
今となっては想像もつきませんが、日本はアメリカに次ぐ軍事強国で、大陸で負けてないどころか、大東亜戦争は対米戦争以外全戦全勝です。支那事変が片付かないのにアメリカにアホなケンカを売ったから、勝てる戦をみすみす負けたのです。
以下にちょっとダラダラ感がありますが、この本の中で、どうやったら勝てたかの部分を中心に要約を。読書メモとして端的にまとめるには、膨大な量になるので、「どうやったら勝てたか」に絞ります。それでもA4で1枚ぐらいなので、ちょっと長いですが。
モンロー主義(孤立主義・不干渉)のアメリカと戦争をしなかったらよかった。1941年の真珠湾攻撃が愚策。真珠湾攻撃をするまでは、大日本帝国はどうやってこれで負けられるんだという状況だった。真珠湾攻撃をした瞬間に「どうやって戦争を終わらせられるのか」が命題になる。
どうすればよかったか?支那事変の援蒋ルート(イギリスによる蒋介石支援)を確実に絶つため、日英戦争に集中するのが正解。ソ連はまだ独ソ戦が続いているので放っておける。シンガポールを陥落させた瞬間にイギリスに無条件降伏を要求する。どうせイギリスは受けないので、その瞬間にインパール作戦を行えばよかった。
援蒋ルートがあるために支那事変が片付かなかったわけで、インパール作戦でアジアから完全にイギリスを駆逐してしまえば、蒋介石はもう援助が得られない。アメリカが援助しようにも、日本の勢力圏を越えてしか援助できないことになる。
もっと前の段階にも勝機があった。チャーチルの前の首相チェンバレンの時に英仏と同盟を結んでおけばよかった。英仏は独も怖いけど、真の敵はコミンテルン・ソ連だと理解していた。十分に英仏と同盟になる可能性はあった。絶妙のタイミングは1939年のロシアがフィンランドに侵攻した「冬戦争」のタイミング。歴史にイフになるが、もし冬戦争の時に関東軍特殊大演習を発動していたら、世界は劇的に変わっていた。
現実の関東軍特殊大演習は、独ソ戦開始直後の1941年7月に70万人の大軍を動員して発動され、震えあがったスターリンはアメリカが原爆を落とすまで日本に侵攻できなかった。また、シベリア方面軍を移動できず強大なドイツ軍を相手に敗北を重ねてしまう。ただしその時のソ連はイギリスの支援を期待できた。「日独vs英ソ」の構図だった。
一方、冬戦争のときはドイツがソ連の味方(独ソ不可侵条約)で、英仏は対独戦の準備もできておらず、フィンランドを助けようがなかった。またアメリカは孤立主義で凝り固まっているが、フランスは健在だ。「日英仏vs独ソ」になる。
日本と米英の関係は1941年ほどひどくない。何よりイギリスの首相はまだチェンバレンだ。チェンバレンは首相になる前から日本との和解を模索し、あわやくば日英同盟を復活させようとした人物。冬戦争を大義名分に、満州に大軍を集結させていたら、イギリスとの和解は十分にあり得た。この場合自動的にフランスとも協調できる。反日行為を繰り返すフランクリン・ルーズベルトは不確定要因だが、アメリカ国民自体が孤立主義なので、「侵略者ソ連」を牽制し、日英仏が和解しようとするのをどうやって妨害できるかだ。
支那事変の蒋介石が音を上げないのは、英米が背後で応援してるから。ソ連と手を組んだ裏切り者のドイツなど見捨て、イギリスと話をつければ、日本にとっていいことづくめだった。
ちなみに支那事変(1937~1945)、日本は1938年七大都市を落としてヘトヘトになりながらも全戦全勝だった。支那事変では最初の2年と最後の2年しか戦ってない。中華民国は「抗日8年戦争」という歴史観だが、真ん中の4年間は治安戦。イラク戦争でブッシュが戦争終結を宣言したあとのような状態が、巨大な支那大陸の魏と呉の領域で起きていたのだ。
日本は支那事変を抱えながら、援蒋ルートを切りにいきながら、ソ連に備えていた。なぜ生産力と資源力が上で、しかも石油輸入相手のアメリカ相手にわざわざ対米開戦などをやってあげるのか。支那事変を解決していない1941年の状況で、まともにアメリカと戦って勝てる状況ではない。
ルーズベルトは、「日本は支那から撤退しないと石油を売らないぞ、経済制裁するぞ」と言って本当に発動してしまった。それなら石油が問題のはずだ。では石油はどこにあるのか。オランダ領インドネシア。何のためにアメリカと戦争をするのか。まして何のためにハワイを攻撃したのか。ハワイには石油はない。オランダだけを攻めればよかった。
緒戦で東南アジアを攻めるのはいい。なぜ太平洋の島々を取っていったのか。極端な話、インドネシアの石油を確保できるシーレーンさえ確保しておけばよかった。明らかに最初から戦線を広げすぎていた。
アメリカと戦うにしてもマニラ以外で艦隊決戦は起きない。マッカーサーの親子2代にわたる利権がフィリピンにはある。シーレーンの都合上フィリピンを取っても、フィリピンで待ち構えて戦うなら、ベトナム戦争のときのように、アメリカに音を上げさせる可能性があった。はるばる太平洋を渡り、疲れたところを迎え撃つ。しかもフィリピンはアメリカの領土ではなく植民地だ。領土だったハワイを攻撃されるのと、フィリピンでは全く違う。ましてアメリカはフィリピンを1946年に独立させると決めていた。決めた時期を見れば、どう考えても満州事変におびえて独立させることにしたと思われる。
最善手はオランダだけを攻める。次善手はオランダに加えてイギリスも取る(ブルネイも石油が出る)。三善手はアメリカも相手にするならフィリピンだけでやめておく。その場合は南太平洋の統治領は総引き揚げで、フィリピンまでのシーレーンを守りきる。これは全世界の軍人どころか、誰でも思いつく話だ。現に帝国海軍の軍人は山本五十六と黒島亀人以外は全員そうだった。彼らより優秀な人も無能な人も全員。
結局日本が強国となり、平和ボケした軍人が点数主義の官僚になり、自分や自分の属する組織の利益を無計画に追求し迷走した。現場の兵は強くても、幹部に戦争ビジョンがなかった。等が敗因と考えられる。
ちなみにハルノートの原案を書いたハリー・ホワイトは、コミンテルンのスパイだったことが判明しています。ソ連は日本と戦うのが嫌で、アメリカと戦わせるよう工作したとも言える。
一読すると、本当に負けるはずがなかった戦いです。強大なアメリカを除けば、日本は最強の陸海軍をもっていた。植民地解放という大義もある。官僚的な縄張り争いがなく、真の戦上手がコントロールしていれば違った世界になっていました。わずかな判断の差です。現代に言われるほど悪の枢軸でもなんでもない。負けるという事は、汚名を着せられるということです。今の日本人が卑下することはひとつもない。それを声を大にして言いたいです。