脱北美女の語る北朝鮮。お腹が減ると虫を食べ、中国には奴隷婚で嫁ぐ

少女は13歳のとき、脱北を決意して川を渡った。

脱北者である著者が、北朝鮮の窮状、中国での人身売買の実態、韓国亡命後の生活を少女の目線で赤裸々に語ります。

(金正恩が話題になってるので旧サイトから引っ越し再掲)

著者のパクヨンミが独学で猛烈に勉強していくさまは、「モンテクリスト伯」をほうふつとさせる。強い意志は何ものにもまさる。

各部の要約と読書メモを以下に。

本書の概要

(第一部)脱北女性はレイプされる

パク・ヨンミは1993年北朝鮮の中朝国境の町、ヘサンで生まれる。商才(闇市)のある父親のおかげで、幼少期は比較的恵まれた暮らしをおくる。ヨンミが9歳のときに父が逮捕され一家は困窮。飢えと生活苦に耐えかねたヨンミと家族は脱北を決意。

2007年3月、13歳のヨンミは母とともにブローカーの手引きで国境の川をわたり、中国に入る。ブローカーに転売(人身〇買)されるたびに、女たちはブローカーにレ〇プされる。逆らえば「北朝鮮に戻す」。戻れば処刑されます。従うしかない。

脱北までの、ヨンミの目から見た北朝鮮の日常は驚きの連続。どの職場でも給料が出ず、食料や日用品の配給はほぼ完全に止まっている。だから多くの人が闇商売をして、生計を立てている。

役人や警察官もまともな給料がもらえないので、闇商売をしてるものから賄賂をもらって見逃す。教育や医療も無償が建前だが、それもとっくに崩壊している。ヨンミは父の逮捕後、貧しくて学校に通えなくなり、母は働きに出る。幼いヨンミは、姉のウンミと何週間も二人だけで過ごし、空腹に耐えかねて山で草や虫を食べる。

(第二部)想像を絶する2年間

中国でのヨンミは、強制送還の恐怖におびえながら、想像を絶するような2年間を過ごす。母親(中国の農村に嫁として20万円ぐらいで売られた)と引き離されてしまったヨンミは、家族のために大きな決断をする。13歳の少女の悲壮な決意に胸が熱くなる。中国や北朝鮮の非人道的な状況には、怒りをおぼえずにいられない。別ルートで脱北した姉とは、生き別れたまま。

(第三部)モンゴル経由で亡命。北朝鮮からの脅迫

ヨンミはモンゴル経由で韓国に入り、ようやく自由を手に入れる。その後のヨンミの意志の強さや行動力には圧倒される。

韓国入国時に小学2年生程度の学力しかなかったヨンミは、たった2年で高卒認定試験に通り、ソウルの名門大学に合格する。

その後テレビ番組への出演で認知され、アイルランド・ダブリンでのヤングワールドサミットのスピーチをきっかけに、世界的に一気に有名になる。

本書では、北朝鮮政府から脅迫や中傷があったことが明かされている。彼女の人権活動の戦いは、はじまったばかりだ。

その他の読書メモを。



北朝鮮の天気予報

ネットはないし、国営テレビの放送も電力不足でほとんど見られない。人々は自力で明日の天気を予想する。

北朝鮮の食事

いいときのわが家の食事は、ご飯にキムチ、豆にわかめスープだった。食糧難の時代は、食事を抜くこともあったし、小麦や大麦の薄い粥、凍った黒いジャガイモをつぶした餅に、キャベツを混ぜたもの。

1990年代~2010年の北朝鮮と、1960~70年代の北朝鮮は違う。むかしは国が基本的な生活の面倒を見てくれた。冷戦が終わり、北朝鮮の政権が頼りにしていた共産主義国からの援助がほぼ途絶えた結果、国家の計画経済は崩壊した。

北朝鮮は恐ろしい密告社会

漏れ聞いたどんなことも、口外してはいけないと学んだ。自分の意見を言ったり、疑問を口にしてはいけないと教えられた。政府に命じられたとおりのことをやり、言い、考えろと教えられた。

親愛なる指導者・金正日には私たちの心が読めて、悪いことを考えたら罰せられると本気で信じていた。スパイがそこらじゅうにいて、窓に聞き耳を立て、学校の校庭に目を光らせていた。

みな人民班という隣組のようなものに属していて、誰かが間違ったことを言ったら、報告するよう命じられていた。みんなびくびく暮らしていて、ほぼ誰もが、口は災いのもと、を身をもって知るような経験をしていた。

北朝鮮の階層社会。3つの階層と50の分類。

全国民が3つの主な階層に分けられる。

最上位は「核心階層」。革命の中心を担った小作農や北朝鮮のために戦った兵士とその家族、それに金一族への大いなる忠誠を示したもの、金一族の権力を支える組織の者などからなる。

次が「動揺階層」。南の出身者とその家族、元商人や知識人、新たな体制に完全なる忠誠を誓っているとは信用しきれない者からなる。

最下位が「敵対階層」。かつての地主とその子孫、資本家、かつての韓国軍兵士、キリスト教徒や仏教徒、政治犯の家族、国家の敵とみなされる者からなる。

上位の成分に上がるのは極めて難しいいっぽう、自分に何の落ち度がなくても、最下位の成分に落ちるのはたやすい。

出身成分は3つのおもな階層のなかで、さらに50個以上の分類に分かれている。

成人後は成分が当局によって絶えず監視され修正される。隣組による通報や警察の調査により、自分や家族のしたことはすべて当局に知られずにいられない。自分に関するあらゆることが記録され、地元の管理組織や国の機関に保管されている。

それをもとに、どこに住めるか、どの学校に行けるか、どこで働けるかが決められる。

成分のいいものは朝鮮労働党に入れて、政治的な権力者ともつながりが持てる。いい大学に行き、いい仕事につける。成分の悪いものは、集団農場で一生田んぼを耕して終わる。そして飢饉になれば飢え死にする。

北朝鮮の洗脳教育

洗脳は子供が言葉を覚えたてのころから始まる。全市民が少なくとも週に1回は参加しないといけない人民班の集まりに、母親におぶわれて連れていかれると、そこで友達は同志であり、お互いにそう呼びあわないといけないと学ぶ。みな同じ考えを持たなければならないと教えられる。

学校に上がるとすぐに、十大原則を叩きこまれる。
1.金正日に身を捧げて戦う
2.金正日に忠誠をもって仰ぎ報じる

子供たちは、国家の敵を激しく憎めと教えられる。

学校の教科書には、青い目と巨大な鼻をもつアメリカ兵が、朝鮮の市民を殺しているところや、アメリカ兵が成敗されているところが描かれていた。

一列に並んで、アメリカ兵の格好をした人形を交代で殴ったり、刺したりしたこともある。

2年生になると足し算や引き算を教わるが、北朝鮮では、算数もプロパガンダの手段。問題は、「あなたがアメリカ野郎を一人殺し、あなたの同志が二人ころしたら、アメリカ野郎の死体はいくつになりますか?」

ただアメリカ人と言うことは決してなかった。それでは丁寧すぎる。アメリカ野郎とか、ヤンキーの悪魔とか、大鼻のヤンキーと言わなければなかった。そういわないと、非難されることになった。



北朝鮮はラジオで国民をコントロールしてる

ほぼ毎朝、政府支給のラジオから鳴り響く国歌でみんな目を覚ました。ラジオは北朝鮮のあらゆる家庭にあって、スイッチを切ることは許されなかった。チャンネルはつねに唯一の国営放送に合わされていて、政府はそうやって家にいる間も国民をコントロールした。ただし電気のとまっている場所ではラジオはつかない。

北朝鮮ではお腹が減ると虫を食べる

春の山は虫や野草を食べてお腹を満たせる。シロツメクサの花などおいしい。

トンボを捕まえると食べた。近所の男の子がプラスチックのライターを持っていて、トンボの頭を火であぶって食べるやり方を教えてくれた。肉を焼いているときみたいな香ばしいにおいがして、味もとてもおいしかった。夏にはセミもあぶって食べた。それは私たちにとってはごちそうだった。

姉と私はときには1日中山や野原で過ごし、食べられるだけ食べてから、暗くしんとした家に帰った。

北朝鮮の病院

中庭が死体置き場になっていた。死体が丸太みたいに積み重ねられていた。ぞっとしたのは、昼夜を問わず死体にかじりついているネズミだった。

ネズミは最初に目を食べる。それが人体の中で一番柔らかいから。あの空っぽの赤い眼窩はいまも目に浮かぶ。

「どうしてあの人たちを運んで行って埋めないの?」
「7体集まるまで役所が死体を回収しに来てくれないのよ」

中国東北部では、北朝鮮の娘を奴隷婚している

北朝鮮女性は中国の地方農村部で需要が大きい。中国人の女性が少なく、男女比の偏りが大きい(一人っ子政策)。

身体障がいや知的障がいのある男性にはとくに嫁のきてがないため、そういう男性やその家族が北朝鮮女性の奴隷花嫁のマーケットをつくりあげた。だいたい数千ドル。これは貧しい農家の1年分の収入にあたる額。

もちろん人身〇買や奴隷婚は中国でも違法であり、生まれた子供は中国人とみなされない。合法的に学校に通えないし、身分証もなく、成長してもまともな仕事につけない。非人道的でありながら、いまも中国東北部ではさかんにそれが行われている。

脱北少女には、中国のアダルトチャットはマシだった

脱北美少女

客はほぼ全員韓国人男性。女性は脱北者。瀋陽のマンションでのアダルトチャットの仕事はマシだった。働けば働いただけお金がもらえた。PCの前にずっと張り付いていたら、元締めに7割とられても、月に4000元(500ドル以上)ほど稼ぐことができた。



自由はどんなものだったか

自由がこんなに残酷で大変なものだとは知らなかった。それまでずっと、自由というのは、逮捕される心配なくジーンズをはいたり、好きな映画を観たりできることだと思っていた。

そのときはじめて「自由であるというのは、常に頭を使って考えなければならないことなのだ」と気づいた。それはすごく疲れることだった。

いつも飢えてさえいなければ、北朝鮮にいたほうがよかったかもしれないと思うことすらあった。そこでは自分で考えたり選択したりしなくていいから。

彼女の2014年10月のスピーチ。
この後、世界中のメディアから取材が殺到し、ヨンミは本書を書くことになります。

北朝鮮から、自由を求めて – One Young World

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