本書は司馬さんが32歳のとき、1955年に書いた本です。
サラリーマンに効く名言を、司馬さんなりに集めて、サラリーマン道を説く。今の時代は一瞬で検索できますが、当時はできない。記憶と参考文献の時代です。司馬さんの知識は海のように広く、彼の説く道はきわめて正しい。まだ司馬遼太郎と名乗るまえ、福田定一で出版した本です。ヤング司馬遼太郎。
瑞々しい。今とそんなに感覚はかわらない。文体もポップ。これ、今の人が書き直したんじゃないの?と思うくらい。
しかも32歳で賢い。早老成。自分なんかずいぶんオッサンだけど、32歳の司馬さんの足元にも及ばない。いや比べたらアカンか。すいません。
司馬さんが新聞記者になった理由
タマタマだったようです。1945年戦地から復員して、就職先を探してた。闇市をうろついてたら、電柱のビラを見つけた。「募集」。鋳物工か旋盤工か?よく見ると「記者募集」だった。後ろにいた男も同じビラを見てた。同じような復員学生。彼が言う。「新聞記者とは面白そうじゃないか。行ってみよう」
司馬遼太郎の誕生シーンを。あとがきの義弟の回顧から。
『司馬遼太郎名が決まった瞬間のその情景を覚えている。私どもの家で司馬遼太郎、それに姉と母と雑談の最中だった。~この日も笑いの絶えない会話の中で、自身の筆名について母に相談している。史記を愛読し司馬遷からとった姓の司馬はすでに決めていた。名前はいくつかの候補があったという同僚もいたが、私が聞いたのは「遼」一文字か「遼太郎」のいずれにするか、であった。「遼」は司馬遷にはるかに及ばず、という意味だという。「遼太郎が落ち着くね」と母が言った一言で姉もうなずき、「司馬遼太郎」が生まれた』
司馬さんの思うサラリーマンの元祖
大江広元。鎌倉幕府の草創期に現れた人物。武士というより京都生まれで、その学を買われて源頼朝に10倍の給料でスカウトされた。詳細は本書であたってほしいのですが、権謀の名人、保身の達人。私利のために才能を使わず、行動の基準はすべて鎌倉秩序のため。役に立つ上に公正。誰も彼を蹴落とすわけにはいかなかった。座右は「益なくして厚き禄(ろく)をうくるは窃むなり(ぬすむなり)」
司馬さんの思うサラリーマンの英雄は徳川家康。秀吉は立志美談すぎて参考にならない。サラリーマンとは人生のコースが最初から違う。信長は社長の御曹司。大学を出て親の会社を継いで10倍のスケールに仕上げた。家康、田舎の小会社の主だったが経営不振のため、幼少のころから大会社に身柄を引き取られ、20歳前後まで社長職を継げなかった。継いでからもレッキとした独立権はなく、いいジジイになるまで親会社に使えて気苦労ばかりしてる。苦労人。
家康の有名な遺訓を。
『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり』
人間の顔について
リンカーンはいう。「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならぬ」
キケロもいう。「顔は精神の門にして、その肖像なり」
青少年時代の顔は、生まれ出た素材そのままの顔だ。持ち主の責任はない。ところが老いるにしたがい、品性その他すべての精神内容が、その容貌に彫刻のノミを振い出す。四十をすぎれば、強盗はズバリ強盗の風ぼうを呈する。
教養、経験、修養、性格、若いサラリーマン時代のすべての集積が、四十を越してその風ぼうに沈殿する。逆説的にいえば、四十以後のサラリーマンの運命は、顔によって決定されるといっていい。ヴァレリーはこの恐るべき顔の再生を、こう表現している。「人間は、他人の眼から最も入念に隠すべきものを、人々の眼にさらして顧みない」
司馬さんの考える出世の条件
出世するには最初に規格がある。学閥、親分閥、部課閥、その他の縁閥、まずその1つか、できればそのすべてを持つ必要がある。
ついで人間のタイプだ。独立自尊型、というのはあまり香しくないようである。好かれなくてはならない。というより、可愛がられるタイプでなければならない。すこし坊っちゃん坊っちゃんしてる。多少頼りないところがある。そのくせチョッピリ直情径行なところもある。仕事をやらせば10人並みには出来る。が、ときどき女にダマされたりして、どうも独りではほっとけない。そんなのに、上役というものは、つい肩入れしてしまうものだ。構ってやりたくなるのである。
独立自尊型は、えてしてこうではない。仕事と人生に対する自信が、まず、まんまんとツラツキに出ていて、可愛げがない。実力に対する自信があるから、実力相応に報われないとつい不平が出る。不満は多くの場合、自分を有能の士として知遇しない上役に向かって放たれる。やがてそれが聞こえる。よほど特異例でないかぎり、こういうのが引き立てられる例はきわめてマレだ。せいぜいよく行って地方の支店長あたりがトマリで、ついには言語動作まで野武士化し、同期の重役の無能を罵倒しつつ停年に到達するのがオチである。
以上のよき条件をすべて具えていたところで、それだけではどうにもならない。あとは運である。もし親分が死んだり、事故で左遷されたりすれば、それでフイだ。親分が隆々社の主流を占めてはじめて、彼の運は開けるというもので、その命中公算の稀少さはパチンコ玉の比ではない。
仕事に関する名言
・義務は、朝われわれと共に起き、夕べ、われわれと共に寝る。グラッドストン
・人は、義務を果たさんがために生きるのである。カント
・私は、義務を果たした。ネルソン臨終のときのことば
・職業は、生活の背骨である。ニーチェ
・多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない。ブレーク
・人間が幸福であるために避くべからざる条件は勤労である。トルストイ
大丸店祖
「義を先にして利を後にするものは栄える」
蒼古たる表現だが、含まれている真理は錆びついていない。伝説によればその窮乏時代、京の禅僧がその人物を見こんで、商売の資本50両とこの言葉をあたえ、彼を江戸に出した。
のち、成功してこんにちの大丸百貨店の基礎をきずいたが、生涯「先義後利」を事業精神にしたため、天保8年大阪の天満与力大塩平八郎が指導した町民一揆のさいも、大塩みずから暴徒の前に手をひろげ、「大丸は義商だ」と叫んだため略奪をまぬがれている。
酔って候♪ by 柳ジョージ
無名時代の柳ジョージが司馬さんの自宅にお願いに行って、この曲の許可をもらったそうです。司馬さんの作品にインスパイアされて書いた曲。まんまパクリのタイトルだったので、覚悟したそうですが、「いい曲だ」といってくれて、笑顔で許可してくれた。サインまでもらって感激したと。さすが人たらし。