2018年ビジネス書大賞 「SHOE DOG」書評と要約

この本おすすめです。「竜馬がゆく」みたいなかんじ。

高校生や大学生が読むと、志が高くなって人生の手本になる。ぼくみたいな「おっちゃん」が読んでも、十分に人生のヒントが得られます。

ビジネススキル本読むより、よっぽどタメになる。

カーネルサンダースは65歳で起業したし、瀬戸内寂聴は70歳から源氏物語を6年かけて現代語訳した。遅すぎることなんて一つもない。



本書はナイキ創業者、フィルナイトの自伝です。フィル・ナイトは1938年生まれ。ケニー・ロジャースとかベン・E・キングと同じ年です。

他人の書いたナイキの自伝はあるけど、自分で書いてみたい。それは起業家のためになる。そう思ってスタンフォードの文章クラスに通って、自分で書いた。まあ3兆円(2015年末時点)の資産のある人なので、いろんな人がサポートしてます。

ぼくが気になるのは、起業の最初。きっかけの部分です。どうやってそれを思いついたか。本書は自分で書いてるので、着想というか、本人の心の動きもわかる。

フィルナイトは、裕福な家で生まれました。父親は「オレゴンジャーナル」という新聞社を経営。弁護士でもあったようです。

フィルはオレゴン大学を卒業後、陸軍予備役に1年入隊する。その後スタンフォード大でMBA(経営学修士)を取得。

MBA取得後、彼は父に頼み、1年間の世界旅行に出かけます。世界を見てみたいと。

ハワイが楽しくて、現地で百貨辞典の訪問販売や証券会社で働いたりする。その後香港、フィリピン、バンコク、ベトナム、カルカッタ、カトマンズ、ケニア、カイロ、エルサレム、イスタンブール、イタリア、パリ、ミュンヘン、ウィーン、ロンドン・・

文字通り世界一周ですが、2つの大きな目的があった。

1つはギリシャのアクアポリスの丘の前に立つこと。パルテノン神殿の横には、アテナ・ニケ(Nike)神殿がある。

もう1つは日本に行くこと。

フィルはオレゴン大学で優秀なランナーでした。鬼軍曹のようなコーチがいて、鍛えられた。
そのコーチの名はバウアーマン。全米一の名コーチ。五輪選手も育てる。

コーチはアイデアにあふれた人で、いつも靴を改良して選手をサポートしてた。後にフィルに誘われ、NIKEの共同創業者になる。

フィルはとにかく走ることが好きだった。毎日10キロは走った。世の中で、ランニングが趣味となる前の時代です。ランナーはいったい何が楽しくて走るの?と奇人扱いされてた。当然靴にもこだわった。彼のライフワークです。

スタンフォードのビジネスクラスで、フィルは論文を残しています。「日本はカメラでドイツに対抗できた。スポーツシューズでも同じことができるか」

1960年前後、シューズはアディダスやプーマなど、ドイツメーカーの独壇場でした。そこへ円安を利用して、高品質で安価なスポーツシューズを日本が売り出してきた。神戸のオニツカ(アシックス)です。価格も当然アディダスより安い。品質もほれぼれする。

フィルは世界旅行で神戸のオニツカに行き、アメリカ市場の攻略方法をプレゼンする。「みなさん、アメリカの靴市場は巨大です。まだ手つかずでもあります。もし御社が参入して、アディダスより値段を下げれば、ものすごい利益を生む可能性がありあります」

スタンフォード時代のプレゼンをそのまま流用。数週間かけて調査し覚えた一言一句、数字までそのまま使った。

オニツカの重役たちは感心した。そしてアメリカ西海岸での独占販売権をフィルナイトに与えます。

スタートアップは1人で始まりました。やがてオレゴン大やスタンフォード時代の仲間たちが加わる。バウアーマンには共同創業者になってもらう。アップルのウォズニアックの立ち位置。

アマゾンやアップルのスタートアップのような神話です。自分たちでいろんな苦労をしながら、一から築き上げていく。

ビジネスを始めてからの、いろんなドタバタ劇は本書でお楽しみください。Nikeの原型は、アシックスと日商岩井によって形作られたといっていい。彼が苦労したのは資金繰りです。倍々で成長するからキャッシュが回らない。

感心したのは、最初にオニツカ・タイガーが届いたときの販売戦略です。販売戦略といっても、もちろんたった1人です。

タイガ―を300足輸入。最初は数軒のスポーツ用品店に断られる。

「坊や、この業界ではトラックシューズはもういらないよ」

フィルは、1人で西海岸のさまざまな陸上競技会に向かう。レースの合間にコーチ、ランナー、ファンと談笑しそれからシューズを見せる。反応は決まって上々で注文が間に合わない。

彼は考える。自分は口下手だし百科事典は売れなかった。なぜシューズは売れるのだろう?
それはセールスではなかった。走ることの喜びを売っていた。

当時のフィルはちゃんと正業もしていました。公認会計士の資格をとって、会計事務所で働いた。その時のめちゃくちゃ優秀な上司の会計士を、のちにNikeに雇ってます。彼のビジネス嗅覚は、その上司によって磨かれました。毎晩上司の酒に付き合い学んだ。

オニツカの米国代理店は、フィルのサイドビジネスです。ある意味、現在のサラリーマンの副業「せどり」と同じ。あまりにも会計事務所が忙しくて(その間軍隊の予備役もこなす必要もあった)、フィルはオレゴン州立大学の会計学の助教授に転職しせどりの時間を捻出する。

実務をこなせる現役の会計士。十分に勤まる。その授業で一番前に座った、クレオパトラのような優秀な教え子が奥さんだそうです。出会ったときはまだ20歳にもなっていなかった。

オニツカの販売代理店業務は急拡大。オニツカは売れまくった。あるとき販売権をめぐってオニツカと対立。裁判でも争われ仕入れが止まります。数百人の社員を路頭に迷わすことはできない。靴の販売のノウハウはある。彼らは自分たちで製造することを選択します。それがNikeブランドの始まり。

以下にその他の読書メモを。



Nikeのロゴの謝礼は35ドル

自社ブランドを売り始める。問題はロゴだ。アディダスともオニツカとも違うものが必要。

思い出したのがポートランド州立大学の教え子。キャロライン・デヴィッドソンはそれまでもパンフレットや雑誌の広告を手掛けてくれた。

「今度はロゴが必要なんだ」
「どんな?」
「わからない」
「それでは手を付けられません」
「躍動感のあるものだ」
「やってみます」

2週間後、彼女はラフなスケッチを描いて持ってきた。太い稲妻?。太いチェックマーク?
よくなりそうなものを選んで、これに手を加えてくれと頼む。

数日後キャロラインはやってきて数枚のスケッチを広げたり、壁に貼ったりした。その中から1つ選んだ。翼みたいだと1人が言った。風が吹いてるみたいだとも。

何時間もかけて取り組んでくれたキャロラインに、私たちは心から感謝して35ドルの小切手を渡して見送った。

⇒たしかストーンズのベロマークのロゴも、アートスクールに通う学生に依頼。報酬は50ポンドだった。デザインや広告って、そんなもんかもしれないですね。

オニツカのソールのアイデアはどこで思いついたか?

オニツカ氏は、タイガー独特のソールは、寿司を食べているときに思いついたと話した。タコの足の裏側を見て、これと同じような吸盤があれば、ランナー用のフラットシューズに、効果的かもしれないと考えたという。バウアーマンは、インスピレーションは日常のものから湧いてくることを知った。

ナイキが手本にした会社はどこか?

どこの会社もそうだが、私たちにも手本とする会社がある。たとえばソニーがそうだ。ソニーは今日のアップルのような会社だった。収益を出し、画期的で、効率的で、社員への待遇もいい。問われると、私は幾度となく自分の会社をソニーのようにしたいと答えていた。

ナイキのエアは誰のアイデアか?アディダスは不採用だった

元宇宙工学の技師、フランク・ルディがエアを売り込んできた。1977年3月のこと。

「これは気泡かい?」
「加圧したエアバッグです」

ルディは黒板に向かって、数字、記号、方程式を書き始めた。エアシューズがなぜ効果的なのか、なぜ破裂しないのか。以前アディダスに売り込んだが、彼らは怪しみ採用しなかった。

フィルはソールをシューズに入れて6マイル(10キロ)走った。案の定不安定だったが、走り心地は素晴らしかった。「これはものになるかもしれないぞ」

ルディにはシューズ1足につき10セント(10円)の手数料を提示した。ルディは20セントを要求したが、数週間の交渉の末、その中間で落ち着いた。

もし日商岩井がなかったら

アジアのことを考えると、真っ先に浮かぶのが日商岩井だ。日商という存在がなかったら私たちはどうなっていただろう。日商の元CEOのマサル・ハヤミがいなかったら。

彼とはナイキが上場したのちに知り合った。私は彼にとって最も有益な顧客であり、彼の教えを熱心に聞く生徒でもあった。そして彼は私がこれまで出会った中で、もっとも賢い人かもしれない。

他の賢者と違い、彼の知恵ある言葉は聴く者に大きな安らぎを与えてくれた。私もその恩恵を受けた1人だ。

1980年代、私が東京に行くたびにハヤミ氏は週末に熱海の別荘に招いてくれた。金曜の夜はレストランで食事をして、土曜日はゴルフをする。夜は別荘でバーベキュー。私たちは世界中の問題を考え、あるいは私が悩みを打ち明け、解決してもらうのだった。

ある日、ビジネスの不満をこぼしていた。「せっかく多くの機会に恵まれながら、この機会を掌握できるマネージャーが見つかりません。外から人材を募ってますが、私たちの精神が独特で、うまくいきません」

ハヤミ氏は「あの竹が見えますか?」という。

「はい」

「来年、来られた時は、1フィート(約30センチ)伸びてますよ」

私はじっと見た。理解した。

Frank Ocean – Nikes | (music video)

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