北朝鮮では、替え歌歌ったら銃殺だそうです。
『党高級幹部がカラオケボックスで「社会主義は私たちのもの」を歌った。この曲は30万人以上の餓死者を出した「苦難の行軍」のころから国民が愛唱してきた歌だ。幹部はこのとき、替え歌を熱唱した。
・社会主義は私たちのもの⇒社会主義はお前らのもの |
・私たちの党よ、ありがとう⇒お前たちの党よ、ありがとう |
・憎しみは敵に、愛は祖国に⇒憎しみは本妻に、愛は情婦に |
幹部は酔っぱらって緊張感がなくなったのか。この替え歌が発覚して当局に摘発され、銃殺された』
著者は毎日新聞の中国総局長。
2005~2010年の北京特派員時代に北朝鮮情勢を取材したそうです。2004年には北朝鮮国境の町、延辺の延辺大学で語学研修した。中朝にかんする豊富な経験、仕事を通した人脈で、いろんな情報、ネタが集中してます。「毎日新聞記者」という肩書で、ふつうなら会えない人にも会えます。1965年生まれ。文章もポップで読みやすい。
併読してたのは「崩壊朝日新聞」。
興味深かったのは、会社のエライ人がデカイ声で、「朝日新聞には左側の人間しかいないだろう」と会社の中で叫んでたと。著者は、モノを書く仕事がしたくて、たまたま縁あって入社したのが朝日新聞だった。サヨクじゃない人は朝日にもたくさんいたけど、エライ人がサヨクだったと。サラリーマン、そういうのってありますよね・・・
朝日は変われるのか。
目次
北朝鮮はほんとうに「音楽狂の国」なのか?
人民は音楽が必須で、1人1つの楽器は演奏できるよう学校で教わる。そして音楽の才能がすぐれてるものは選抜されて、音楽の大学に入って、さらに留学までする。
2007年労働新聞には以下の記述があったそうです。「今後、帝国主義に打ち勝って、革命の勝利を達成したとき、この闘争を指導した人間は、偉大な政治家、偉大な霊将だったと考えるのではなく、人民を限りなく愛し、音楽を好んだ真の人間だったと考えてもらいたい」金正日が自分自身のことを表した言葉です。
ほかにも、「私の初恋の相手は音楽」「音楽は人々を革命的に教育し、闘争へと鼓舞、推進させる力ある武器だ」とも語ってる。
金正日はどんな音楽が好みだったか?
もろ歌謡曲だったそうです。舟木一夫の「高校三年生」のような。そしてクラシックに憧れがあった。テレサテンの時代に活躍した韓国人歌手、キムヨンジャの大ファンで、何度も北朝鮮に招請したと。
2002年ごろ日本の世論を考慮したレコード会社が「歌手をやめる覚悟があるなら、行ってください」。北朝鮮に事情を説明すると、その後招請はなくなったそうです。
金正日と会ったことのある外国人の話
「彼は極端にマイクロマネジメント(部下の業務に強く干渉すること)をする」と口を揃えていた。その指示がいかに非合理的でも、最高指導者の指示なので従うほかない。どんなに些細なことであっても、自らの判断で前に進めない。指示を受けないまま進めれば、忠誠心が欠けていると処分される。現場には指示待ちが増え、生産性は大きく低下していった。
政治や経済、外交だけでなく、趣味の世界でも同じ。
以下「最高指導者」からの音楽への指示。
メロディーを美しくするには、レチタティーボ調(話すように歌う)のメロディをなくせ |
帝国主義者が広める退廃的な大衆音楽の浸透を防げ |
低俗で不健全な享楽や退廃的な趣味を助長する要素を許すな |
洋楽と洋楽器はあくまでも朝鮮音楽に服従させるべきだ |
歌詞と曲を密着させるにはメロディ1音に文字2つをつけないようにすること |
発声での基礎的な問題は声と息である。声と息を解決しなくては、歌をうまく歌うことはできない |
澄んで鮮明にしてやさしくてきれいで、しっかりしていてすっきりした声を優雅に出す発声法をとるべき |
表情や動作によっても音楽的感情を表現できなければならない |
etc・・・
う~ん、、個人的な趣味でしょうこれは。人民に押しつけるもんじゃない。北朝鮮の音楽家は、相当なストレスがたまってるでしょうね。
北朝鮮から海外へ留学した者の現状を
『彼らは本場の音楽を学び、世界の流行や最新の楽器を知る。しかし留学が終わると、彼らは再びがんじがらめの国家体制に順応しなければならない。外の世界で学んだもののうち、許されない奏法を封印する。
朝鮮に戻って彼らが求められるのは、あくまで革命を達成するため、金王朝を統治するための手段としての音楽なのだ』
以下その他の読書メモを。
2004年ごろの延辺朝鮮族自治州の風俗
延辺は中国であるのに朝鮮半島文化が深く根ざす。延辺でカラオケ、マッサージといえば、少し特殊な響きがある。性風俗を営む店が数多く存在するからだ。
当時州内にはざっと1000軒のマッサージ店があり、その多くが売〇または性的マッ〇ージを施していた。ふつうの全身マッサージから始め、男性客が「サランハゴシプタ(愛し合いたい)」と持ちかけると、100元の追加料金で売〇に応じるシステムだ。
カラオケ店は従業員に「若い女性と一緒にお茶を飲みたい」と頼めば、店が契約している女性に電話をかけて呼び出し、客に紹介して近くの旅館で売〇させる。旅館代は20元程度、女性に支払うのはここでも1時間100元が相場だった。旅館の衛生状態はわるく、性病の温床になっていた。
このカラオケ店やマッサージ店は、若い脱北女性たちがひそかに働いていた。延吉の隣町、竜井中心部にあった「紅灯街」という歓楽街に、彼女たちの多くが身を潜め、口コミで訪れた韓国人観光客らの相手をしていた。女性たちは地元警察の監視をかいくぐり、韓国に逃げるための資金を蓄える。脅されて売〇を強要されても、通報すれば本人が脱北であることが発覚するので、じっとこらえているという。
⇒パクヨンミの世界的なアナウンスで、改善してることを望みます。
金正恩はクラシックが好きじゃない
1996年~2001年、金正恩はスイスのベルンに滞在した。多感な10代を外国で暮らしたことから、ポップスなどに親しんでいるとみて無理はないだろう。「クラシックは、あくまで専門家用なので誰もが簡単に歌うのは難しい」「現在音楽芸術部門で、大衆歌謡が途絶えていることが問題だ。この7~8年間の間にクラシックに傾き、大衆歌謡がおろそかになっている。この傾向を正すべきだ」「クラシックに傾いているため、留学させたり国際コンクールに出させているが、われわれが芸術をやるのは、国際コンクールに参加するためではない」「芸術教育機関さえ大衆音楽を疎かにしている」
モランボン楽団とは何か?
モランボン楽団は金正恩の指示によって2012年3月18日に結成された。金日成生誕100年の年。金正日が好きなモランボンという名前をそのままつけた。平壌には「モランボン(牡丹峰)区域」という景勝地がある。
金正恩は、金正日に劣らず現場介入した。3月18日の結成から7月6日のデビュー公演に至るまでの約110日間に、リハーサルがなんと36回も開かれた。しかもそのすべてに金正恩は足を運んだ。独裁体制を引き継いで1年も満たない最高指導者が、3日に1回の割合で楽団を指導した。日本なら首相が3日に1回特定のバンドに足を運ぼうものなら、発覚後即退陣である。
メンバーの平均年齢は20歳前後。モランボン楽団は金正恩自身が選抜した。メンバーの経歴は不明だが、「19歳~26歳」「平壌音楽大学出身」など口コミ。
ちなみに金正日が2008年ごろに結成した「銀河水管弦楽団」。金正恩の正妻の李雪主は「銀河水管弦楽団」の歌手。李雪主は1989年生まれ。文化芸術の名門、金星第2中学校出身。4~5歳のころ芸術団員に選ばれた。硬質の声で、声量たっぷりに歌いあげるタイプ。歌唱力は楽団の中でもずば抜けて高いと評判。李雪主は、モランボンの結成に大きな役割を果たした。
この世にふたつとない♪
社会主義の我が国♪
他人がうらやむように築いていこう♪
これ見よがしに♪
モランボン楽団で、「これ見よがしに」♪