【歎異抄/唯円・親鸞】の要約まとめと、仏教史の大まかな流れ

たぶん親鸞という人は、やさしい人だったのだと思う。いろんな苦労をして、悩んで、それでみんなを救おうと、究極の大乗仏教を創ったのでしょう。

今日は有名な「歎異抄」について。徒然草、方丈記とならぶ日本三大古典のひとつ。日本で最も読まれてる仏教書です。

哲学者の西田幾多郎は、「一切の書物が消失しても歎異抄があれば我慢できる」と。

ドイツのハイデガーは晩年の日記にこう書いてます。「この書に気づくのが遅かった。早くに知ってたら、日本語を勉強して、ラテン語を学ばなかった」

そ、そんなにすごい本なのか?期待に胸が高鳴ります♪

まず、仏教の流れをかんたんに。
めっちゃシンプルにまとめてみました。

・原始仏教から上座部仏教(小乗仏教)
初期の仏教。修行をしたものだけが、悟りを得て救われる。

・大乗仏教
修行をしたものが菩薩になって、みんなを救う。

・日本には538年に大乗仏教が伝えられる。外国から来た新しい神なので、賛否両論があった。戦いまで起こるが、やがて国家鎮護の道具となり、天皇家まで寺を建てるようになる。

仏教のまとめ

・奈良時代、南都六宗が定着したが、僧侶が政治に口を出し始める。

・平安時代、桓武天皇が南都六宗を嫌って奈良の平城京から平安京に遷都。

・空海と最澄を唐に派遣。新しい仏教で、奈良の南都六宗に対抗させようとする。

・最澄は比叡山に延暦寺を立てる。仏教の総合大学。ここから色々と分派していく。天台宗の教えは、修行して菩薩になったものがみんなを救う。みんなが菩薩になって、利他的になったら、この世界が浄土になる。

・ちなみに空海は最澄とケンカ別れする。密教の経典を貸せと言われて最澄に貸さない。本を読んだぐらいじゃ密教の極意は理解できない。密教の奥義は修行と口伝で弟子に伝える。修行もせえへんやつに経典は貸されへん。最澄はアホちゃうかと。

次に、法然・親鸞の時代概要を本書から。

親鸞が仏教の道を歩んだ平安末期から鎌倉時代にかけては、日本の社会構造が大きく変化した。貴族による摂関政治から武家社会へ転じ、経済事情も法律も変わる。なおかつ、大火や震災、飢饉などの天変地異に人々が苦しんだ時代。「末法思想」が流布した。

釈迦の入滅後、一定期間がすぎると仏教の力が衰える。すでに末法の時代という最終段階に入ったと。

そうした社会状況下に法然が説く。「阿弥陀仏の本願によって誰でも浄土に往生できる。厳しい修行ができない凡人は仏の名を称えよ」教えはシンプルで、誰でも実践できる。これがあらゆる階層に広まっていく。

法然は頭脳明晰で、誰でも救われるというプロセスを、わかりやすくフローチャート化した。人々の不安を取り除き、精神的な解放をもたらす。

一方の親鸞。法然という師に出会い大きな花を咲かす。20年間も比叡山で修行しながら、悩み続ける。

親鸞は法然の教えを受けて家庭をもって暮らした。家庭を持ったがゆえの苦悩にもさらされた。世俗にまみれ、泥中を這うような生活の中から、のちの浄土真宗の礎を立ち上げる。

以下にその他の読書メモを。

歎異抄の概要

いまから730年ほど前に書かれた書物。浄土真宗の開祖である親鸞聖人を直接知る唯円という人物の手によって、親鸞の語録とその解釈、さらに異端の説への批判を述べるものとしてまとめられた。

小さな書物で原稿用紙で30数枚。「歎異抄」の書名は、「異議を歎く(なげく)」からきている。親鸞が亡くなった後に、異なる解釈の教えが広まったことを歎いた(なげいた)弟子の唯円が、親鸞の真意を伝えようと筆をとった。

教えそのものはシンプル。「本願を信じて念仏を申さば仏になる」、これで全部。

唯円は、そこから外れるもの、知らない初心者を脅かしたり、懺悔を迫ったり、金儲けをしようとしたり、そういうものを一つひとつ、「間違った説が多い、悲しいことだ」と批判していく。

⇒「ナムアミダブツと唱えれば、悪人もみんな極楽浄土に行ける」これをファンタジーだと笑えない時代背景でした。これで多くの人が救われた。情報のない時代です。今なら子供でも笑ってしまう・・・

親鸞の年譜

・1173年、京都市伏見区で下級貴族の長男として生まれる。

・9歳で仏門に入る。比叡山で20年間の修行を行う。

・29歳で法然の門下に入る。

・1207年、「承元の法難」により、新潟県上越市に流される。

・4年後に放免されるが京都には戻らず、1214年42歳で茨城県笠間市に移る。茨城県で強化活動に専念。主著「教行信証・全6巻」の草稿も完成させる。

・63歳、京都に帰る。

・90歳、入滅。

親鸞の年譜

歎異抄9条の親鸞は正直

お経には、念仏者の心は喜びに満ちあふれると書いてある。しかし唯円は念仏を唱えても喜びがあふれない。

親鸞83歳、唯円34歳のころ、唯円は正直な気持ちを親鸞に伝えます。

唯円:「親鸞さま、わたしは念仏を唱えても喜びはわきませんし、少しでも早く浄土に往生したいとも思いません。どう考えたらいいのでしょうか?」

親鸞:「唯円よ、じつは私もそうなんだ」「喜べないからこそ、私たちは救われるのだ」「それとね、この苦しみに満ちた世の中は捨てがたい。浄土にはまだ行きたくないんや」「ちょっと体調が悪くなったら、死ぬのではないかと心細くなる」

先生と呼ばれて喜ぶ親鸞

歎異抄6条にあるように親鸞は、「弟子1人も持たず」、と常に語ってます。弟子の取りあい、というか、私の弟子だ、ということは「もってのほか」と諫めてる。

自分の能力において人を導いてるなら弟子といえるけど、そうではない。私も仏さまにお任せする道を歩んでるし、皆さんも同じでしょう。親鸞は、仏の目から見たら、人に優劣はないと考えた。

といいながら、80代後半の親鸞の一首。「ものごとの是非もわからず、正邪の判断もできない私である。慈悲も持ってない。だけど、世間から評価されたり、先生と呼ばれることを好んでしまうのだ」

南無阿弥陀仏の意味

「南無」はナマスというサンスクリット語。「帰依」を意味する。要するに「おまかせします」。「阿弥陀」はアミタ・アーバとアミタ・アーユスという言葉からできている。

アは否定、ミタは限界なので、アミタは限界がない。アーバは光で、アーユスは生命のこと。アミタ・アーバは限りない光、アミタ・アーユスは限りない生命、の意味になる。「仏」は「働き」という意味。

よって、「この世界に満ちる限りない光と命の働きにおまかせします」という意味。

ところが親鸞は、南無を「おまかせします」ではなく、「まかせてくれよ」と仏に呼ばれていると領解する。自分の称えた「南無阿弥陀仏」が、仏の呼び声となって聞こえてくる、それが他力の念仏。

称えることは、すなわち「聞くこと」である。「称名」は「聞名」である。ここが親鸞の念仏の本質。浄土真宗の教学では、「称えること」「聞くこと」「信じること」の3つが1つであるとされている。浄土真宗の大きな特徴。

君が苦しいときは♪
そばにいて、救ってあげる♪
ぼくに任せてくれ♪

ジョン・デイビッド・サウザーで、I’ll take care of you♪

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