中国古典まとめ。性善説と性悪説の対立。儒家と道家の対立。

孟子vs荀子

孟子 vs 荀子(韓非子)=性善説 vs 性悪説の対立

孔子vs老子
孔子 vs 老子(荘子)=儒家 vs 道家の対立

各思想家について簡単なメモを残しておきます。自分用。思想の対立と言う視点で考えると記憶に残りやすい。この手の話は定期的に知識のメンテナンスしておかないと、すぐに忘れてしまいます。

<孟子>BC372-BC289

「孟母三遷」というとおり、孟子の母はわが子の教育のために三度引越しをした人である。孔子以来の「儒」の思想を守ることを説いた母の教えに従い、覇道(侵略)で天下に君臨しようとする諸侯に対し、ひたすら王道(仁義)を説いた。

もし仁義に疎い人が王位にあれば、世は乱れる。しからばその王位は、革命によって仁義ある人に譲られるべきであるという考えから、危険思想と言われた。

性善説を唱えた。赤ん坊が井戸に落ちようとすると、誰しもそれを助けようとするだろう。そこには損得勘定はない。人には憐れみの心がある。

人の心を信じる強さで、孟子に適う思想家はいない。

<荀子>BC313-BC238

孟子を徹底的に攻撃し、性悪説を唱えた。人は本来「利」を追求することで悪になる可能性があるから、学問によって人為的に善を育てていかなければならないとする考え。

青は藍より出でて藍より青し。氷は水これをなして水より寒し。学は止むべからず。の原典。「学問を途中で止めてはいけない。続ければ藍より出でる青のように、水が作る氷のように、人はすべてを深めていくことができる」



<老子>不明

孔子などの儒家が主張する人為的な仁義を否定し、文明的な礼制法令を排し、人間が自然と共にある事を主張した。

儒教と対立するもうひとつの大きな流れが道教で、老子の思想。関羽が祭られ民衆に人気がある。儒教とは国家体制を支える教えである。儒教は君子、エリート(官僚)の思想で、民衆はこれを嫌う。

無私・無為であれ:孔子が一生懸命がんばれと言ったのとは、まったく逆の思想。我を張るな、欲を持つな。そうであれば人から利用されたり、攻撃されたりがなく、自らの命を永らえることになる。

老子は孔子に対して、「お前の驕った気持ちと、欲深さ、もったいぶった態度、上昇志向を捨て去れ」と、「礼とは何か」を問われたときに答えている。

仁はない:孔子の主張する仁(互いが愛し、慈しむ心によって共同体を維持する)。老子は、そんなものはないと言う。人々はその場その場の勝手な思いで、ただ自分の役目を果たしている。それは恐らく無意識の動き。

我を張り欲を暴走させ人と争えば、いつかは自分を滅ぼす。反対に欲を抑制し、分をわきまえていると争いはない。人として柔軟であれと老子は教える。

中国では孔子と老子、この両者の思想をバランスよく身につけることが求められた。

<孔子>

「高校生が感動した論語」の過去記事です。ご参考まで。
https://book-jockey.com/archives/10972

<荘子>BC369-BC288

老子の「道」を発展させた。自我を捨て功名を放棄し、万物に順応して遊ぶことができれば人は天地自然と同一になり、安心立命を全うするという思想。

儒家がいくら原則を言って規範を作ろうとも人はそれを守ることなどできないという考え。「巧みさで勝負する人は、初めは正々堂々とした態度で行っていてもいずれ陰謀を企み、何としても勝つことを求めるようになる。礼に則って酒を飲もうとする人も、初めは行儀よくしていても、いずれは乱れる。かようにすべては誠と思われることから始って偽りに終わる」

井の中の蛙大海を知らずの原典。「井戸の中の蛙に海の事を話してもわからない。夏の虫には氷の事を話してもわからない。見識の狭い者に道の事を語ってもわからない」※されど空の青さを知る。は日本人の後付みたいですね。僕は好きですが。



<墨子>紀元前5世紀ごろ

技術家、兵家としての一面を持つ。儒家を排する。たとえば儒家が社会の上下関係を徹底することを述べるに対し、墨子はそうした身分を撤廃し、頭脳の明晰な人を商人や農民からも抜擢することによって社会を変革すべきだという。

また君主が行う冠婚葬祭の費用が人民の経済を圧迫するとして、簡素化を主張し、人口を増加させるための方策などにも言及する。

築城や土木を専門とした技術集団を取りまとめる人だった。数学的な頭脳の明晰さを持っている点でも、理想を説く孔子や孟子などの儒家より一歩進んだ思想。

自愛が争いの元。兼愛により相手の立場で物事を考えれば、国は栄える。

墨子の言う愛と孔子の言う仁の違いは、仁は血縁関係のように他人との密接な関係を求めることに対し、愛は他人を認めることという一歩進んだもの。

資源を節約し無用の戦争を止めることが国を富ませると主張。当時困難と言われた人口増加政策について、男性は20歳、女性は15歳までに結婚させるという古代の聖王の定めを、可能な限り再現すべしとした。

孔子が幽霊はいないと考えたのに対し、墨子はいると考えるべきと主張した。世の中が混乱したのは、王が幽霊を信じなくなったことに起因すると。

<孫子>

孫子は二人いる。1972年に発見された。一人は呉の孫武、もう一人は孫武の玄孫で斉の孫ピン。孫武が元で部分的に玄孫のものが入っている。兵法は省略。

<韓非子>BC280-BC233

荀子の弟子。韓は隣の秦からたえず脅かされ、韓非は王に国策を上申したが受け入れられず。しかし秦の始皇帝が韓非の著した書を見て気に入り招かれるが、荀子で同門であった李斯に妬まれ毒殺された。

全体を通じ、富国強兵、法による立憲君主論、中央集権化などについて鋭い論法が記される。

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