ホテルカリフォルニアは、なぜダブルネックギターなのか?

【EAGLESようこそホテルカリフォルニアへ/クロスビート】

アメリカ史上、もっとも成功したロックバンド「イーグルス」。(※ビートルズやクイーンはUKのロックバンド)発売40年を迎えた「ホテルカリフォルニア」。新装リイシューしたのが2017年。それを記念してシンコーミュージックが、過去のインタビュや作品評を総括した一冊です。

イーグルス作品だけでなく、ソロ作や過去のバンド作品(ポコとか)、イーグルスフォロアーの作品、ルーツ作の掘り起こしなんかもやってます。ファンは必携じゃないでしょうか。

イーグルス本はマークシャピロのが一番面白いです。あ、ドンフェルダーも中の人が書いたもんだから、価値ある一冊。

今回読んで思ったけど、ヘンリー&フライは制作秘話を語らない。だけど周辺人物は、喜々として語ってます。目次は以下。

以下に読書メモを。

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ホテルカリフォルニアのダブルネックギターの意味は?

ドン・フェルダーはチェット・アトキンスのライブを14歳のときデイトナ・ビーチでみた。チェットのギターはステレオ仕様になっていて、2台のアンプにつながれてた。上3本の弦の音と下3本の弦の音が、別々のアンプから出る仕組みになっていた。

チェットは南北戦争の話をして、北軍の曲「ヤンキー・ドゥ・ドル・ダンディ」と、南軍の曲「デキシー」を、そのステレオギター1本で同時に弾くという離れわざをやった。

そのときチェットをみた体験が、ホテルカリフォルニアのツアーで役立った。ホテルカリフォルニアは、17トラックも使ってギターパートを構築した。いったいどうやってライブで再現したらいいのか。

途方にくれていたとき、チェット・アトキンスを思い出した。フェルダーはギブソンSGのダブルネックに、ドリルで穴をあけて配線を変え、6弦ギターをいつものアンプ、12弦ギターをレズリー・スピーカーにつないで弾くことにした。

(補足)
ホテルカリフォルニアは、歌詞以外はドン・フェルダーの作品。
かの有名なツインギターソロ、ベースラインもフェルダー作。

呪われた夜の印象的なベースラインはどうやって作られたのか?

フェルダーはデモを作るとき、いつも自分ですべての楽器を演奏する。なのでベースの扱いにも慣れている。

呪われた夜のレコーディングは、マイアミのスタジオで行われた。ランディマイズナーがネブラスカから移動してくる予定だった。ところが吹雪で飛行機が欠航。ランディが来れなくなった。

でも先に進みたかったら、フェルダーがベースを担当して録ってみることにした。イントロを聴いて、「このベース、超クールだな」ってみんな喜んでたよ。その後ランディが到着してから、彼にベースのフレーズを教えた。

ピースフル・イージー・フィーリング歌詞の背景

どうやって書けたのか。この曲はジャック・テンプチンの作品。ジャックがエル・セントロという砂漠にある小さな町の店で、歌う仕事をもらった。その店には可愛いウエイトレスがいた。

夜はその彼女と過ごすつもりで、宿泊の心配はいらないと仕事をくれた人に伝えた。ところが彼女が心変わりした。結局その店の床に寝た。

そのとき紙の裏に歌詞を書いた。

「懸命に探しても何も見つからない。探すのを止めると見つかるものだ」という歌。
「ぼくは既に地面の上に立っている」という一行は、ぼくは大丈夫だから、という意味さ。単純なラブソングじゃないから、まさかヒット曲になるとは思わなかった。

それからLAに行って、ジャクソンの家にいたらグレンがやってきてこの曲を聴いた。8日前に新しいバンドを結成したばかりで、君の曲を取りあげたい。ぼくの歌をカセットに録音して持って帰ったよ。

歌詞とメロディはぼくの書いたそのままだけど、イーグルスは雰囲気や編曲がいい。もっといい曲にしてくれた。グレンの編曲の才能は素晴らしい。

オールレディ・ゴーンはどうやって作られたのか?

ジャック・テンプチンが、当時通ってたカレッジのコーヒーハウスでライブした。出番前に楽屋の冷蔵庫にあった瓶を飲んだら、リンゴ酒だった(ジャックは酒が飲めない)。

すごく酔っぱらって、20分であの曲を書いた。その晩のライブでもやったけど、そんなにうまくいった曲とは思わなかった。だってコードが3つしかなくて、それを延々繰り返すだけ。
気持ちよくて、コードを変えるのが面倒だった。

数年後にグレンから電話があった。
「なあ、お前の書いたあのカントリーソング、あれはいかしたロックソングになるとおもう」
かれはイーグルスの編曲したものを受話器で聴かせてくれた。

イーグルスはコード3つの曲に転調で変化をつけた。ギターのパートはグレンが考えた。

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グレンフライ「恋人」の作成秘話、ジャック・テンプチン

80年にイーグルスが解散した。その時点でグレンとは10年のつきあいだったけど、一緒に曲を書いたことはなかった。彼にはドンヘンリーがいたからね。

ドンにはちょっと気難しいところがある。グレンは楽しくやりたくなって、ぼく(ジャック)に連絡してきたのさ。

それで彼の家に行ったら、すごく高価なワインが2本開けられ、何百本というキャンドルが灯されていた。

グレンに聞いたよ。
「あとでプレイメイトとデートなのか?」
彼はロックスターだからね。

「違うよ。これは詩の神、歌の精霊のためなんだ。彼女は天上にいて、今夜たくさんの人が曲を書こうとしている。彼女にはぼくのところに降りてきて、ここで時間を過ごしてもらわなくちゃ」その夜できた曲が、「恋人」「サムバディ」だ。

それから14年間、ずっと彼のアルバムの共作を続けたよ。イーグルスが再結成するまでね。

ぼくらは2人とも歌詞もメロディも書いた。編曲はすべてグレンがやった。まず頭に浮かんだものをすべて書き出し、ちょっとしたアイデアとかコード進行とかをハミングして歌ったりした。

とにかく言葉を衝動的に口に出す。何か良い言葉が出てくるまでね。それでいいかんじだと思ったら、書き留める。

「恋人」の場合、うまくはまる1行を探して、27ページもいろいろ言葉を書き出した。それだけすごく苦労して、結局みつけた1行は「オー・ガール」だった。

そしてグレンはいつも、「朝のコーヒーで」って言うんだ。夜に書いた曲は一晩寝かせて、翌朝コーヒーを飲みながら見直す必要があるって。

グレンフライが食事の席でいったことを思い出すよ。
「最高のプレイヤー、最高の歌手、最高のライターを集めて、最高の曲をやる。そしてどのバンドよりも上を行くバンドを作るんだ」
ふつうはそんなこと考えないと思う。

彼はそのために努力した。まわりのみんなを大事に扱ったし、約束も守った。その結果、彼の夢は実現した。

JD,ジャクソン、グレン、誰が優れたSSWだったのか?

JDサウザーの1976年インタビュより。
「3人(ジャクソンブラウン、JDサウザー、グレンフライ)で、ロスのイースト・サイドの古くて大きなアパートに住んでた。それぞれ家賃を月に35ドル払っていた。曲を作ったりお互いに聞かせあったりする以外、何もすることがなかったから、すごく親しくなったよ。1970~71年のことだけど、72年になって3人ともレコードデビューできた」

JDサウザー2015年インタビュより。
「ぼくら3人は(ドンヘンリー、グレンフライ、JDサウザー)は、良いソングライティングチームだった。ぼくは気短だったからチームプレイには向いてなかったけど。まあジャクソンを加えた4人も、みんな気短だったかな。ぼくら全員の中で最も優れたソングライターが誰かといえば、ジュディ・シルだった。信じられないほど素晴らしかった。並外れていた。バッハも、オーケストラを用いた映画音楽も知っていたし、すごく賢く、ぼくらよりもずっと先を行くミュージシャンだった」

サムシング・イン・ザ・ダークは、悲劇的な人生だったジュディシルに捧げた歌。ジュディはひどい鬱の状態にはまり込んで、抜け出せなかった。(リンダ・ロンシュタットやジュディ・シルは、JDの元恋人)

彼の歌(JDサウザーの歌)は私を捉え 盲目にした♪
そして私の心を奪い 引き裂いた♪
だけど キリストだってただの十字架職人だった♪

さいごはジュディシルで、ジーザス・ワズ・ア・クロスメーカー♪

(関連記事)
【ドンフェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生 11年1月初版】
http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23

【サウンド・マン/グリン・ジョンズ/16年3月初版】
http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2016-07-02

ジャクソンブラウン大阪公演2015年3月16日コンサートの感想
http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2015-03-17

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