礼節とは何か?
人の怨念を受けない技術。
あんま自慢ばっかしてると人に恨まれ足を引っ張られる。
どれだけ自分の魅力をアピールしたらいいか。「私は、私は」という態度をどれだけとったらいいか。自己主張をどこまで控えたらいいのか。
節度をうまく保つ人が、人間関係をじょうずに広げたり掘り下げたりしていく人。
たとえばお世話になった人にお菓子をもっていく「菓子折り」の風習は、怨念を受けない技術の一つ。
菓子折りには、「菓子」と「折り」という二つの意味がある。
菓子は甘いものを食べさせることによって、相手を恨まなくさせるという呪術的懐柔効果がある。
折りは、本当に折った「折り符」を貼りつけたり、水引を折り曲げたり飾り縛りを貼りつけたりする。
折り符は日本では非常に古い時代から存在している「お札のもと」になっているものだ。ある特定の折り方をすることによって、相手の悪いものを受け入れないようにするという呪力があった。
自分を強く主張すること、感じ取ることのバランスを保つ技術が進めば、具合がよくなり、リラクゼーションが進む。
近代人のストレスの多くは、人の奥行や感情がわからないから生じる。それをわかるようにするためには、古くからいわれている「習わし」や「しきたり」がじつは非常に役に立つ。
その他の読書メモを。
心の変調、三つの原因を調べる
「み」に起因する変調
「身」や「水」を象徴する「み」。モノよりの霊的要素。日本の心霊学や神道では、物寄りの霊的要素を「魄」と呼ぶ。これは死して物の周辺に残る念のようなもの。霊の中でも物寄りの「物の怪」のこと。
「物の怪」は長くこの世に残留すると妖怪化する。たとえばある場所に行き、あるいは骨とう品を手に入れたり、古い遺跡に手を触れたりして、その直後に調子が悪くなったりすると、「物の怪」あたりをしたと考える。これは物寄りの「み」に起因する変調である。
この場合は、水で清めるに限る。自宅でシャワーを浴びるだけで大丈夫。祓いや表面的な禊でも十分。禊の際は、つむじ(頭頂の百会)あたりと、風紋と呼ばれる、邪気が出入りするといわれている首の付け根のところ(ここに家紋があたるようにして和服を着て、先祖の力を使って邪気が入らないようにしたといわれる)にシャワーをかけるといい。石鹸をつかって丁寧に洗い流すことによって、物の怪は退散もしくは消滅する。
「ひ」に起因する変調
「日」や「霊」を象徴する「ひ」。「ひ」に起因する変調の場合は、完全に俗世間を超越した霊的なものがかかわっている。
「ひ」に起因する変調の特徴は、眠りが極端に浅くなること。スピリチュアルな夢をやたら見るようになる。心霊現象が起きるようにもなる。まれに霊が取り憑く場合もある。
生霊が関わる場合もあるが、これは「ひ」的な現象というよりも「き」的な現象だ(後述する)。感情や気持ちのレベルを高めることによって「き」的なものは祓える。念じていると思われる相手に甘いものを食べさせるだけでも、「き」は祓える。
「ひ」による変調は自分の人生の目的、とくに霊的な目的に関わる場合に起こることが多い。大局を見失っているときに、半ば強制的に起こることもある。人によっては眠り続ける場合もある。その眠りによって、体調が調整される場合もあるようだ。
「き」に起因する変調
「き」に起因する変調の場合は、この物質界に存在する、霊と物質の中間の見えないものが影響を与えている。霊魂の「魂」と呼ばれているもの。
人の念がべたべたとくっついて歴史化したもの。人の情念の思いの積み上げでできている。この積み上げられた念が、変調の原因であることがある。
人の恨みには、自分自身に対する「恨み」も含まれる。「自分はダメ人間だ」とか。考え方の癖が、特定の念をつくり上げる。
これをきれいにするには、シャワーによる表面的な禊では足りない。
それまでの自分が積み上げてきた「歴史」に攻撃されてるから。
この場合は未来のことを考えるのが一番良い。明るいことやポジティブなこと。考え方を変えるだけで変調を消し去ることができる。
明るくなる映画、美味しい食べ物、自分の身体を鍛える。パワースポット、自然の力を借りて「恨み」などの世俗的な考えを断ち切る。
日本には最適な場所がある。温泉だ。温泉はお祓いや禊の力が非常に強い。霊的にもかなり浄化される。ただし行くなら硫黄の温泉が良い。
もともと硫黄の粉は、南米などでは塩に匹敵するお祓いの道具として使われている。日本では硫黄温泉はそこらじゅうにあったので、わざわざ粉にしなくても、温泉に浸かるだけでよかった。
靴紐(下駄の鼻緒)が切れると不吉なのか?
モノが壊れる、使えなくなるという現象は、呪術的なしきたりでいうと、その人が何かにこだわっているときに発生する。その人の中の「偏り」がピークに達したときにモノがこわれるのである。
だからそういう場面に出くわしたら、自分のなかでどのようなこだわりあがって、その思いを捨て去ればいいかを考えるべき。
その現象自体は不吉でも何でもない。それは自分の心の中にある障害の現れであると考えるべき。とくに足に履くものは将来のことを表す。
だから朝、靴の紐や下駄の鼻緒が切れた時は、今日出かける先では、こだわりやわだかまりを捨て、控えめに過ごさなければならないことを暗示する。
逆に今日どうしても通さなければならないとか、頑張らなければならないときは、靴をよく磨いてから出かけるとよい。新しい靴を新調してもいい。「足」は体より先に進む「未来」だけでなく、「お足」といってお金の象徴だ。その履物に異常があるときは、お金と未来に気をつけろというサインなのである。
足をマッサージするだけでもお金の運はよくなる。足は大事なので、自分でもよくいたわってやることだ。
厄年の考え方
厄年には厄除けをする風習がある。男42才、女33才の厄年が終わったら、厄落としのお祝いをする。
だが著者が見たところ。これには根拠がほとんどない。厄年に活躍した人はたくさんいる。天中殺の類にも同じことが言える。統計的にも意味は見いだせない。
しかしながら男42才、女33才のときは、社会的に、家族において責任感をもたなければならない年齢の平均値であることは言える。
厄年は悪いことが起きるとネガティブに考えるのではなく、厄年のときは責任感をもって慎重に行動する年だと考えればよい。自分の身の振り方をよく考え、プランを立て直したり、きっかけにする。そうすれば厄年をよい年に変えることができるはず。
噂されるとくしゃみが出る。咳払いと表裏の関係にある
思われくしゃみ。風邪などひいてないのに突然のくしゃみ。誰かに思われているときのシンクロニシティだ。
思われているときの身体の反応は瞼にもでる。まぶたがピクピク動くときは、右であれば女性から、左であれば男性から何か思われているときだ。
くしゃみが出てまぶたがピクピクしたら、それは間違いなく誰かが噂したり思ったりしている。そいうときは、いい意味か悪い意味かどちらかで生霊が飛んできているのだ。
これに対して咳やゲップは、自分を含めた周りの人がするようになったら、物事がうまくいかなくなり計画がとん挫する予兆的シンクロニシティ。人前で咳やゲップをこらえるようにいわれるのはそのため。
誰かが話しているときに、その人がいってはいけないことをいうと周りの人が咳払いをしてその話を止めようとする。咳払いは言葉を止める呪術なのだ。
これに対してくしゃみは、誰かが余計なことを話していることによって、自分が影響を受けた時に起こる現象。影響を受けるとくしゃみとなり、その影響を止めようと思えば咳ばらいをすればいい。
リアルタイムで予約してLP買いました。持ってるLPでいちばん人に貸したのはこれかな。「見つめていたい」が7週連続の1位。マイコーのビリージーンやビートイットと競り合ってた。ついこの前のような気がするけど、40年ほど昔の話w