シャキーラと並んで、コロンビアを代表する有名人であるガブリエル・ガルシア・マルケス。
ガルシアマルケスは今年の4月に亡くなりました。ちょっとしたブームの雰囲気を感じます。ロイターによると、「百年の孤独」はこれまで3000万部売れたそうです。長編なので、読むのに12時間かかりますが。
今回の作品は彼の一生の間のスピーチ集です。スピーチ集には興味がわく。1944年、高校生のとき卒業生に向けて読んだスピーチからはじまり、2007年のスペイン国王夫妻を前にしてのスピーチまで、一生で22回のスピーチを行っています。そのスピーチ原稿を収めている。
ガルシアマルケスは講演が大の苦手だそうです。それでも70年間で22回の講演は引き受けている。ノーベル文学賞受賞スピーチとか、断るわけにはいかないでしょう。
あとがきからガルシアマルケスの生い立ちを簡単に要約
事情があって、母親はガブリエルが生まれるとすぐに両親に預けて、自分は夫の住む別の町で暮らす。彼は8歳になるまで親元を離れ、カリブ海沿岸にあるアラカタカという田舎町に住む祖父母の手で育てられた。
アラカタカというのは人口1万にも満たない小さな田舎町で、住民の大半は読み書きができなかった。書店ももちろんない。家での男は祖父とガルシアの2人だけで、あとは祖母と大勢の叔母たちしかいなかった。家には本と呼べるものはほとんどなかった。しかし大勢の大人たちに囲まれ、彼らの行動を観察したり、大人の話に耳を傾けたりして、いろいろなことを学び取った。
祖父は内戦当時の話を詳しく話して聞かせた。祖母はケルト人の血を引いており、さまざまな民話、伝説をはじめ、魔術的な話を語って聞かせた。ガルシアマルケスはその幻想的な作品から「魔術的リアリズム」の作家と呼ばれるが、その素地はここにある。
8歳の時、祖父の体が不自由になり、彼は別の町に住んでいた両親と暮らすようになる。祖父母のもとにいる間に、彼の下に弟や妹が5人生まれていて、両親は底なしの貧乏暮らしにあえいでいた。
町の小学校に通うようになったガブリエル少年は、教科書に出てくる心地よいリズムの詩に出合い、たちまち魅了された。生まれつき物覚えがよかったので、2~3回読んだだけでほとんどすべて暗記してしまった。
彼が10歳の時に祖父が亡くなり、その死に大きな衝撃を受け、子供心に祖父から語って聞かされた話をもとにいつか物語を書こうと心に決める。彼に大きな期待を寄せていた両親は、なんとか教育だけはつけてやりたいと考え、全寮制の中学校に入学させる。中学に入り本気で勉強に取り組んだら、たちまち学校で1番になり、その後奨学金をもらい、全寮制の男子高校に進む。
中学以降、かれはすべての時間を読書に費やすようになった。また詩を書いて楽しむようになり、高校以降は風刺的な詩を書くようになった。それは教師だけでなく生徒の間でも評判になり、卒業生を送り出すスピーチを頼まれたのも、そういう背景がある。
その後コロンビア国立ボゴタ大学法学部に進み、最初の短編「三度目の締め」を新聞社に持ち込んだところ、日曜版に掲載された(後述します)。つぎに同じ新聞に「トゥバル・カインは星を作る」を発表したが、内戦が勃発し大学は閉鎖される。カタルヘーナ大学へ転学するが、ジャーナリストの仕事をしてみないかと言われ、自由派の新聞社でコラムニストとして働くようになる。大学には行かないようになり、作品を書きながら記者として働く。新聞社の特派員としてパリに行った後は、ベネスエラ、コロンビア、メキシコなどさまざまな国に移り住みながら、作品を書き続けていく。
大作家誕生の瞬間
私は自分が作家になれるとは夢にも思いませんでした。学生のころ新聞にある記事が掲載されました。「若い世代の作家は何も書いてないし、周りを見回しても新しい作家が出てくる気配がない。正直なところものを書ける若い人がいないのだ」と。
それを読んで、その新聞の編集長の口をふさいでやろうと思いました。短編を書き上げ、その新聞社に送ったのですが、日曜日に新聞を開いて仰天しました。紙面いっぱいに私の書いた短編が掲載されていて、それに関する記事まで出ていたのです。
記事は「自分は誤筆していた。なぜなら、コロンビア文学の天才がこの短編とともに生まれようとしている」といったようなことを書いていたのです。
作家とは。百年の孤独は構想に19年かかった。
今だから言えることがひとつあります。作家の仕事はおそらくやればやるほど難しくなる唯一の仕事だということです。
椅子に腰を下ろしてあの短編を書き始めた日の午後は、実に楽に書けました。・・・何かないかと待ち受けていて、ものになりそうなアイデアが浮かぶと、頭の中で何度も考えに考えて、熟成するのを待ちます。熟成が完了すると(時には長い年月がかかります。百年の孤独の場合だと19年かかりました)、椅子に腰を下ろします。
ここからが一番難しいところ、私にとってもっとも退屈な作業がはじまります。物語を書く上で一番楽しいのは、浮かんだアイデアをああでもない、こうでもないと頭の中で転がして作り上げていく作業です。ですから、椅子に腰を下ろして書き始める時には、もう面白くない作業になっています。アイデアが浮かび、それについて考える間が楽しいのです。
シャキーラでワカワカ♪ 前回ワールドカップの公式ソング。とても印象深かったです。
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「百年の孤独・ガルシアマルケス」書評
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