ボブマーリーの生い立ち

ボブマーリーの生い立ち

レゲエはジャマイカのソウルミュージックです。それを世界に広げたのがボブマーリー。

なぜ広まったのか? 1976年の雑誌の一節から。

『白人の若者にはヒーローがいなくなった。ミックジャガーは金持ちの社会主義者となり、ボブディランも甘いマイホーム主義者になった。ジョンレノンさえあまり口を開かなくなった。そこへこの男が、おかしなもじゃもじゃ頭でやってきた。放火や略奪、洗脳教育について歌いながら。ヒーローを求める若者の夢は生き続ける』

ロックが死んで、パンクが出てくるまでの間を埋めたんでしょうね。



ボブ・マーリーの生い立ちについて

白人でイギリス軍大尉の父親と、黒人の母親の間にうまれた。結婚のとき父は50歳を超えていて、母親は18歳にもなってなかった。父親は黒人と結婚したために家から勘当されたらしい。生活は結婚後すぐに苦しくなった。

ボブマーリーは貧困のなかで育った。6歳以降は父親は不在となり、母親は首都キングストンへ働きにでかけた。その間に祖父の家やおばの家を転々とした。10歳のころ歌とギターに興味をもつ。

母親はその後12歳の時にボブを呼びよせ、キングストンのスラム街での新しい生活が始まった。縦2メートル横3メートルの部屋の中で、最低8人が生活していたらしい。

15歳 溶接工の見習いはじめる
18歳 母親は再婚しアメリカへ、ボブはキングストンでホームレス生活をはじめる
19歳 仲間とつくったウエイラーズのうたがジャマイカでヒット
21歳 バックコーラスのリタと結婚

その後紆余曲折があり、27歳の時イギリスアイランドレコードと契約。

29歳の時エリッククラプトンがアイショットザシェリフをカバーし、ボブマーリーがロックファンに広く知られることになる。

その後は成功し、あまりにもはやく36歳の時に脳腫瘍で死去。

彼の歌に一貫してながれるのは、「富の配分問題」と「黒人開放」の叫びです。ラスタファリとかいう黒人宗教を信じている。

世界の上位1%が40%の資産(ストック)を占有し、世界の下位50%が1%の資産しかもたない現実はつらい。

Bob Marley Jammin

本記事はマーシャブロンソンの「ボブマーリー伝記」より抜粋しました。

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