「新版 夜と霧|ヴィクトール・E・フランクル」の個人的感想です。

正直いうとよくわからないのですが、ガス室ホロコーストは無かったとする説に、結構信憑性があったりします。夕食時にこの本のことを息子らと話しましたが、2人ともガス室は無かった説に共感しています。

歴史はつくられる。従軍慰安婦や南京大虐殺などのでっちあげで、隣国に苦しめられる僕らとしても他人事ではありません。ホロコースト否認が、刑事罰になってしまう欧州諸国のようにならないとも限らないので、世界に慰安婦強制と大虐殺は無かったという真実を広める必要があります。

ちなみにこの本には、アウシュビッツにガス室はあったと書かれています。自分で見たのではなく、推測や収容所内の人から聞いた話としてです。ただ劣悪な環境での非人道的な扱いがあったことは確かで、多くのユダヤ人が亡くなっています。まぁ戦争中ですからね。日本人も民間人が80万人第二次大戦中は虐殺されています。原爆投下や東京大空襲は人類史上最大の虐殺です。

ホロコーストは一般にはユダヤ人の600万人が虐殺されたとしていますが、否認派は数十万人としています。そんなにユダヤ人はいなかったと。それだと日本人のシベリア拘留の死者6万人とそんなに変わらない。強制収用の劣悪な労働環境も同レベルだと思います。ナチスは一般人で、シベリアは兵士捕虜という違いはありますが。

それにしても長く売れてる本です。旧版は1957年、加筆改訂版は1977年。改訂版の新訳は2002年です。

本文は157pなので、2時間もあればパラパラと読めます。そんな読み方をしてはいけない本かもしれませんが。なんせアンネの日記と並ぶ、イスラエルの国家存立基盤の書ですから。

著者はアウシュビッツに送られ、両親、妻と子供を亡くし、自分だけなんとか生還した、心理学者のV・E・フランク。収容時、収容所生活、解放時と心の反応を3段階に分けています。強制収用所での体験談が凄まじい。そこは事実だろうし一見の価値はあります。

訳が僕にはあわなかったので、あまり響く言葉はなかったです。少しの読書メモを。



あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない

わたしたちが過去の充実した生活や、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにも誰も奪えないのだ。

人は希望を失うと免疫が落ちる

1944年のクリスマスと正月の間の週に大量の死者を出した。大量死の原因は多くの収容者が、クリスマスには家に帰れるという、素朴な希望にすがっていたことだ。かなえられず落胆、失望したことによって、抵抗力が落ちたと思われる。

模範の影響力

収容所で集団を対象に精神的ケアをほどこす可能性はきわめて限られていた。これには言葉よりも効果的なものがあった。模範だ。たとえば居住棟の班長は毅然として、見ているだけで勇気づけられる存在だった。模範的存在の直接影響は、言葉よりも大きいものだ。

境界線は集団を超えて引かれる

全体として断罪される集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。一方は天使で、一方は悪魔だ、などという単純化はつつしむべきだ。この世にはふたつの人間の種族がいる。まともな人間と、まともでない人間と。このふたつの種族はどこにでもいる。どんな集団にも紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともでない人間だけの集団もない。

タイトルの「夜と霧」は、夜陰と霧にまぎれて人々が連れ去られ消え去った、歴史的事実を表現する言い回しだそうです。

On a wagon bound for market
市場へ向かう 荷馬車の上に♪
There’s a calf with a mournful eye
悲しい目をした 1匹の子牛

Stop complaining, said the farmer
愚痴はやめろと農夫はいう
Who told you a calf to be
子牛になれと誰が言った

Calves are easily bound and slaughtered
子牛らは かんたんに縛られ 殺される
Never knowing the reason why
その理由も わからずに

1938年ユダヤ人によって作られ、1961年にジョーンバエズで大ヒットしたドナドナ♪
ユダヤ人が、ナチスによって強制収容所に連行されていくときの様子を歌った歌と言われています。

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