お釈迦さまの脳科学~空とは何か、悟りとは何か

図書館にいくと仏教に関する本はたくさんあります。百家争鳴で、なにがほんとかわかりません。個人的感覚では5分の4は、はずれ本です。

これまでに読んだ中で、一番ほんとのような気がしたのは、司馬遼太郎でした。司馬さんのいう釈迦の教えとは、死んだら無になる。死後の世界はない。今を楽しめ。過去のことでくよくよするな。先のことを憂うな。執着するな。求めるな。ほんとの仏教は小乗仏教。by「司馬遼太郎全講演3巻」

この教えを補完したくて、いろいろ読みましたが、論理的なのがなかなか無いんですよねえ。うそ臭さを感じないのは、ひろさちやと島田裕巳あたりです。良心的に感じます。

今回、苫米地英人を読みましたが、科学者の視点で非常に論理的、読みやすく、仏教を1冊で理解できます。司馬さんとおなじことを言ってます。ぼくらのような素人にはベストです。

簡単なながれでいくと、釈迦の死後数百年のあいだに、その教えはファンタジーに変貌していきます。インドでは、敵対勢力のバラモン教の人気のあった呪術をとりいれ、中国に渡っては道教、儒教を取り入れ先祖崇拝などはじめちゃいます。

じゃあどこまでが仏教か。釈迦を宗祖とするものを、すべて仏教と認めるのか?それじゃあ統一教会をキリスト教と認めるようなものでしょう。(ちなみにバチカンは認めてない)

厳密には小乗仏教(=上座部仏教)までが本来の釈迦の教えのようです(おお~司馬さんと同じこと言ってる)。

なぜなら釈迦は、教えを書き残そうとした弟子に、パーリ語という庶民の使う口語で書き残しなさいと指示します。これを守ったのは小乗仏教です。

大乗仏教は、仏教界のプロテスタント、新宗教なので、自分達を権威付けようと、バラモンにしかわからない、文語のサンスクリット語でお経を書いてしまいました。

これでお経は一般大衆にはわからない、呪文になってしまいます。ごく一部の知識人(バラモン)にしか読めないサンスクリット語のほうが、パーリ語より格上と思い込んだのでしょう。口語で語り継げという、釈迦の教えを忘れてしまっています。

日本に伝わってる仏教は、1000年の間に、大きく変貌したファンタジーだと思ったほうがいいのでしょう。そういう意味では、この本は、真の意味での、現代のお経かもしれません。

以下に読書メモを。



スピリチュアルブームから脳科学への流れ

80年代から90年代にかけては、「ムー」なんかのオカルト雑誌の全盛期で、これがオウムへの流れにつながります。95年にサリン事件がおきると、TVは霊的、オカルト的なものを以降10年間自主規制します。

この間、オカルトに免疫のない世代が育ち、2005年から2007年にかけての、江原や細木のスピリチュアルにひっかかります。10年間の無菌状態で、免疫がなくなってしまい、無条件に受け入れてしまったのです。

オーラの泉の中学生視聴者が、もっとできる人間に生まれ変わると自殺したあたりから、批判が集中して、スピリチュアル番組は再びTVから消えます。

現在のTV業界は、オカルトやスピリチュアルものは企画段階で通りません。

かわって目立ってきたのは、脳科学や仏教モノです。あからさまなスピリチュアルは批判をうけるので作れませんが、不思議なものを科学的な用語で説明すると、番組はなりたちます。仏教も、心霊を前提としたファンタジーなのですが、伝統があるので許容されています。

釈迦は葬式を禁止した

自分の死を予期した釈迦は、僧は葬式のような儀式にかかわってはいけない。修行に専念しなさいと指示します。

・僧が葬儀にかかわることを認めると、あの世の存在を肯定した ことになるため。

・修行者は権力から離れるべきとの考え。死後の世界があり、宗教の儀式で行き先が変わるとなれば、その宗教はこの世の権力となってしまう。

脳は最前線の科学

すでに宇宙はフロンティアではなくなっています。宇宙が誕生したのは137億年前ですが、ハッブル宇宙望遠鏡で、131億光年の天体(宇宙が生まれてまもない天体)を観測することに成功しています。

脳は科学最後のフロンティアです。これからの脳科学者は、物理的な脳だけでなく、心という情報空間も研究対象にする必要があります。

釈迦は暗殺された

当時のインドの社会制度はバラモン教を基盤としていました。バラモン教にはカースト制度という身分制度があり、

司祭階級:バラモン
王族・武人:クシャトリヤ
庶民:バイシャ
奴隷:シュードラ
不可触民:アウトカースト

アウトカーストは、バラモンの影にさえ触れられませんでした。

釈迦は、アウトカーストを弟子にしたり、女性(女性はすべてシュードラ階級)の出家を許したり、カーストに反する動きをします。またカーストの前提となる、輪廻をも否定します。

これにより、釈迦が亡くなる以前からほとんどの高弟は毒殺され、最後には経典にもあるように、チュンダという在家信者に供された毒キノコにあたって亡くなります。

チュンダは熱心な信者だったので、本人が釈迦に毒キノコを食べさせたわけはありません。おそらく誰かがチュンダのキノコに毒キノコをまぜて釈迦を毒殺したのでしょう。

状況としては釈迦は暗殺されたのです。



般若心経は偽経(にせもの)

漢語でつくられた偽経、中国人自身がつくった経は複数あります。有名な般若心経もその可能性が高いものです。般若心経が偽経というのは、アメリカやヨーロッパの学会では定説だそうです。

中国人が作った後に、サンスクリットの原典が存在しないのはおかしいという隠蔽工作のために、8世紀頃にわざわざサンスクリット語の原典を逆訳しています。

仏教の経典は、すべて如是我聞という、私がお釈迦様から聞いた話ではというフレーズから入ります。

ところが般若心経だけは、観自在菩薩から始まります。菩薩という悟りを求める修行者が、釈迦の十大弟子のサーリプッタに「サーリプッタよ、空について教えてあげよう」という経です。

サーリプッタは悟りを開いた阿羅漢(ブッダ)です。先生をつかまえて、弟子が空をとくという、ありえない展開の話なのです。

さらに般若心経には、呪文のギャーテーギャーテーの部分があります。釈迦は呪文を禁止していました。意味がわからないけど暗記して唱えるといいことがあるという呪文(マントラ)は、思考停止により、宗教の権威を高めるだけの意味しかないからです。

悟りとは何か?

脳の認識機能は、自分にとって重要なものは見えるけど、そうでないものは見えないようになっています。自分にとって価値の低い情報は遮断されます。すべて認識してると、脳の情報処理が追いつかないからです。

釈迦は瞑想によって、自我は無い(または空である)と知りました。自我(自分にとって重要な順番で記述した評価関数)がなくなった状態だと、すべてのものが認識できます。

自我という評価関数がなくなりますから、重要度に順番はつきません。すべてのものを同じように重要と感じます。あらゆる価値観から解放された状態を体感すること、それが悟りです。言語による理屈ではなく、体感です。

空とは何か?

人間は概念によって物事を認識します。たとえば犬。抽象度が高いと、ビーグルや犬です。抽象度が低くなるにつれ、哺乳類、動物、生物となっていき、究極は物質です。物質は、有(=色)という概念とイコールです。仏教では色です。それに対立する概念は、無です。そのさらに上の抽象概念が空です。

有(色)⇔ 無
生物
動物
哺乳類
ペット
ビーグル

空は釈迦が説いた縁起の説に通じ、不確定性原理や、量子力学にも合致します。

電子や素粒子といった、量子レベルに小さい存在は、位置と運動量を同時に知ることができないという原理が不確定性原理です。

さらに超ひも理論では、ひもが振動しているとき素粒子は有とされ、振動していないときは無だということが発見されました。

仮に素粒子を吸い込む掃除機があったとして、真空状態(無)を作り出そうとしても素粒子がそこからわき出てくるのです。

有と無は表裏一体であり、物理学の世界では完全にわけることができないのです。すべては空であるという思想に見事にマッチします。

don注:無と空のちがいは、わかりにくいですが、物理学の世界では有と無でとらえ切れない、ということです。有の反対は無ですが、素粒子がわきでてくるのなら、本当の無はないということです。有と無の上位概念が空であり、この世は幻、こだわるなといったところでしょうか。

スティーリーダンで「菩薩」♪

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