【読書感想文】坊っちゃん・夏目漱石

恥ずかしながら、「坊っちゃん」はじめて読みました。読書ブログ書いときながら、こんなテイタラクです。ごめんなさい。

「三四郎」と「こころ」は、むかし読みました。「三四郎」なんか、柔道の話かと思ってワクワクして読んだら、ぜんぜん違った。アホや。

漱石、リズムはあるんですけど文体というか表現が古いんですよ。ちょっと読みにくい。それで避けてました。

ぱっと開いた62ページの表現です。

成程⇒なるほど
気狂⇒きちがい
有難い⇒ありがたい
仕合せ⇒幸せ
堪るもんか⇒たまるもんか
云う⇒いう
滔々と⇒とうとうと
喋舌って⇒しゃべって
吾々、吾校⇒われわれ、我が校
風紀を振粛⇒風紀を引き締める
実に肯綮に中った凱切な御考えで⇒じつに???お考えで

ま、要は漢字比率が高い。30%を超えたら堅苦しくなる。20%を切るとくだけすぎ。

25%がだいたい世の中のベストセラー本の漢字比率だそうです。村上春樹や司馬遼太郎も、わざとひらがな多用してますよね。それ以前に谷崎潤一郎が1934年に、リズムが悪くなるから漢字をたくさん使うなと言ってますが。




漱石は少し前から気になってました。まず吉田繁治。マクロ経済を中心に書く信頼できる作家です。文章も美しい人。彼が漱石を絶賛してます。以下に。

『漱石がなぜ面白いのか?一言で言えるまで、当方の認識が達してはいませんが、「要は、深い」。人間と、人の考えに対する、見方が深い。そして文が美しい。人は考えを言葉で表します。言葉は何らかの、表現の意図をもって、発せられ、書かれる。

言語を使う表現において、漱石は、自分が書いた言葉が表すべき、二層、あるいはもっと入りくんだときは三層を、明晰に意識して、文字を連ねています。

われわれは、人の文章(「本」)から、知識を得ます。文章は言葉です。この言葉の読み方が、漱石では実によくわかるのです。漱石を読むと、本から知識を得る方法すら、わかる感じがします。

漱石が「文芸の哲学的な基礎」で自ら示したように、文章や小説を書くとき、意識し、方法的で、技術的で、「何をどう表現すべきか」を、書きながら考えていたからです。読むと、それがわかります。

方法を意図し、言葉を選んで技術的に書いているため、言葉が表す二層目(暗喩またはシンボル、あるいは象徴)も、読者に伝わる。

読者は、小説の中にある言葉を媒介に(手がかりに)、実は、自分の歴史、記憶、観念(考え)も、改めて呼び覚まして読んでいます。これが、主人公や作者への共感のもとになるものです。

漱石の言葉ととともに、あなたが、あなた個人の、誰にも言ったことのない経験を、言葉で整理して、再体験すると言っていい。』

もう一人。姜尚中(カンサンジュン)。ベストセラー「悩む力」の人です。東大名誉教授。ご存知かと思いますが、息子さんを26歳の若さで亡くされてます。姜尚中さんの人生はものすごくつらい。かれが救いとしてるのが漱石であると。

16年3月初版の姜尚中新刊、「漱石の言葉」を読みました。正直いうと、漱石の言葉自体はぼくには響かなかった。なのでボツ本にしました。だけど姜尚中さんの言葉は美しい。読まずぎらいだったけど、こんなにわかりやすい文章を書く人だったのかと。そして心に寄り添う。

ぼくもそれなりに厳しい人生を歩んでますが、姜尚中さんほど絶海孤独を感じてない。できたらこのまま、漱石の言葉を頼りに生きるような人生を歩みたくないなぁ。

なぜ漱石が救いなのか?「夏目狂せり」です。ロンドンに留学して強度の神経症を患った。悩みぬいた人。悩みのプロ。

(漱石の略歴)
1890年:東大英文学特待生
1893年:卒業、大学院に在籍後、高等師範学校英語教師、松山の中学校教諭
1896年:熊本の高等学校教授
1900年:国家有為の人材として日本が「近代」を獲得するため英国ロンドンに官費留学。
1903年:「夏目狂せり」の風説飛ぶなか帰国。

一高と東大で英語文学を講じたが、留学中からの神経症に悩まされ、一時は妻子と別居。友人高浜虚子のすすめで、神経症の自己治療のために書いたのが、「ホトトギス」1905年1月号に掲載された「吾輩は猫である」。

これ以降大いに文名が上り、1907年一切の教職を辞して東京朝日新聞社に入社し、専属の小説記者となった。したがって「虞美人草」以降にいたる小説は、すべて新聞紙上に発表された。

漱石が没したのは1916年12月9日、享年50歳。彼の死を悼む人々の数は、同じ日に亡くなった大山巌元帥を悼む人の数をはるかに凌いだという。




なんていうか、国民的作家ですよね。司馬遼太郎と並ぶ。英世の前の1000円札。感覚的にはいまだに1000円札は漱石のような気がしてました。

神経症から先生は辞めちゃいましたが、小説家になったことで、「国民の先生」になった。日本国としては、官費留学のモトは十分にとれた。

彼の執筆スピードについて。「坊っちゃん」は400字詰め原稿用紙で215枚。小宮説によれば、「坊っちゃん」執筆期間は明治39年3月17日~3月23日まで。1日平均400字詰換算で31枚という超スピードで書いてる。残ってる原稿によると、消しや直しはかなり少ない。

ワードのない時代の執筆は大変だったと思います。村上春樹の「職業としての小説家」によると、だいたい4回書き直してから奥さんに読ませる。そこで議論しながら書き直して、それから編集者に渡し、さらにまた書き直す。1日の原稿量はだいたい4000字(=10枚)であると。

もし漱石が書き直しもほとんどなく、超スピードで書いてたとしたら天才ですよね。個人的には、下書きを何度も書き直した後の原稿だと思うのですが。

あ、もう一人忘れてました。グレン・グールドです。彼も漱石にハマった人です。彼が亡くなった枕元には、「聖書」と「草枕」が置かれてました。

漱石の大ファンで、とくに「草枕」は違った訳者の本を4種類もち、日本語版も持っていた。漱石の作品をすべて所蔵し、漱石を知ってからの15年は漱石ばかり読んでたらしい。

このエピソードを数年前に読んでから、「草枕」を青空文庫で読もうとしたのですが、やっぱり紙の本じゃないと、読むのがつらいですね。読み通せなかった。今度またゆっくり読んでみよう。

キースやグールドは歌いながら演奏するんで、それがイヤっていう人多いです^^

(追記)
検索、「読書感想文 坊っちゃん」で来られた方のために以下を。

内閣総理大臣賞受賞作には、同じ特徴がある。
①読書体験と「自分の生活体験」を重ね合わせていること。
②読書体験によって自分は変わった(変わろうとしている)と述べていること。
同コンクールの入賞作すべてに共通した特徴ともいえる。

読書感想文は書評ではない。あくまで読書という「体験」を題材にとり、「私」を主人公にして綴られた学校作文=私ノンフィクションの1バージョンなのだ。

しかしちょっと考えてみる。「自己変革」につながるような読書体験が、そんなにゴロゴロ転がってるか?まして自ら選んだ本ではなく、与えられた本を読んだくらいで。

現場の教師にとっては便利。
①「文題」をさがす手間が省ける。
②効率的な指導ができる。あらかじめ題材の内容を把握できる。教師は忙しい。
③子供を平等に扱える。イベント作文はプライバシーの侵害にもつながる。

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