なぜロシア軍はレイプするのか?

占領地で敵を殲滅するためには、何をやってもいいという意識は、第一次大戦まではロシアに限らず欧州諸国にあった。しかしあまりにも大きな犠牲が出たため、第一次大戦後の欧州では人権意識が芽生え、戦時国際法により、民間人に対する加害は違法とする発想が生まれた。

ところがロシアでは第一次大戦中に革命が起きて大戦を離脱し、共産党独裁体制となったソ連には占領地の敵に対しては、民間人を含め何をしてもいいという第一次大戦の思想が独裁支配層に残り、恒常化してしまった。

ソ連崩壊後のロシアにも、独裁支配体制とともに、第一次大戦の思想がそのまま残った。その伝統がウクライナに現れた。21世紀にこんな軍隊があろうとは。人類の歴史が100年前で止まったままの後進国の伝統である。

国際法では、被占領下の民間人は占領国が保護する義務がある。ロシアは戦時国際法を根本から無視している。

ドイツを占領したソ連軍の場合

『ベルリン陥落1945』より。

ベルリンの2つの主要病院によるレイプ犠牲者の推定数は9万5000~13万人。医師の推定ではベルリンでレイプされた10万人の女性のうち、その結果死亡した人が1万前後。その多くは自殺だった。

全体ではすくなくとも200万人のドイツ女性がレイプされたと推定される。ベルリンでは全女性の50%がレイプされ、そのうち10%が性病にかかったという。映画「第三の男」にも描かれたように、ペニシリン(梅毒の治療に使用される)がたちまちヤミ市でもっとも需要の高い品目となった。

満州や樺太の悲劇

1945年8月9日、ソ連は有効だった日ソ中立条約を踏みにじって日本に宣戦布告。満州に侵攻したのは日本がポツダム宣言を受諾した後だった。

満州に侵入したソ連軍は外部との一切の通信連絡を遮断。日本人に対して強奪、暴行、婦女暴行をほしいままにした。抵抗するものは容赦なく射殺した。

『戦後引き上げの記録』に収録されている新京(満州の首都)の病院に入院していた男性の目撃談。

十二、三の少女から二十ぐらいの娘が 十名程担架に乗せられ運ばれていた。それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって。その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。 顔をゆがめつつ聞きとれない。声を出しているようだが聞きとれない。

次の女性はモンペだけを はぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて傷口から 血と一緒にはみ出していた 。次の少女は乳房を切り取られて、片目を開けたままで あったから死んでいる のかもしれない。次もその次も、 ほとんど同じ姿である。

医師の話では10名に2~3人は舌を噛んで死んでいるんです。



日本兵やドイツ兵はどうだったのか?

レイプ犯罪はどの国の軍隊でも起こす。だがそれは兵士個人の犯罪であり軍規違反で処罰の対象になる。

しかしソ連軍はレイプを容認し、一切処罰の対象としなかった。

日本軍は「慰安所」を利用していた。国内の遊郭と同様のものを戦地にもっていき処理をさせ、現地のレイプ事件を抑えようとした。ドイツ軍にも日本と似た慰安所制度があった。

ところがソ連軍には慰安所もなく、レイプを抑止するための仕組みを一切作らなかった。そればかりかスターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、わが軍兵士のふるまいは絶対に正しいと兵士を鼓舞した。

ソ連は占領地におけるレイプを「褒美」として兵士の士気高揚に利用したのだ。プーチンも同じでブチャを占領したレイプ魔部隊へ「名誉称号」を授与した。

レイプはロシア軍の伝統であり、それが当たり前で「褒美」だと思っている。だからウクライナでも躊躇することなくそれをやったのだ。

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