「潜伏キリシタン」が世界遺産決定!って・・。
『政府は当初、キリスト教解禁後に建造された教会堂の建物を中心に、伝来から約400年の経過を示す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、平成27年1月に推薦書を提出。28年夏の登録を目指した。だがユネスコ諮問機関から禁教期に焦点を当てるべきだとの指摘を受けて見直し』
なんかなあ。「キリスト禁教」にスポット当てんでも。あてこすりみたいで好きやないわ。ユネスコのやりかた。
世界遺産決定は日本にとって喜ばしいことだけど、なんでキリスト教が禁教になったか、その理由は日本人として、ちゃんと知っといたほうがいいです。
宣教師って、日本を植民地化する目的で先兵隊で来てたスパイみたいなもんでした。それと日本人を奴隷として売り飛ばした奴隷商人だった。実際に売ったのはキリシタン大名やけど。
隠れキリシタンは日本にとって百害あって一利なし。羊の皮をかぶった極悪組織だった。末端の名もない信者は純粋だったんだろうけど。オウムの信者みたいなもんです。
当時の日本はインテリジェンス能力が高かったんでしょうね。彼らの目的を察知して、秀吉は日本を守るためにキリスト教を禁教にした。このへんは昔からいろんな本に書いてある。
有名なのは身内からの告発で1552年初版のラス・カサスの書。
インディアスの破壊についての簡潔な報告/ラスカサス/1552年
時は大航海時代。歴史の教科書では、スペインやポルトガルは世界を征服し植民地化した。
と一行で終わる。それがどれだけ極悪非道で残虐だったかが、これでもかと書かれた一冊。
「1500年から1540年の40年間の間に、キリスト教徒たちの暴虐的で極悪な所業のために、
男女子供あわせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺された。それどころか1500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても間違いない」
インカ帝国、マヤ帝国、アステカ帝国はスペインにより大量虐殺され滅んだ。彼らはいう。「キリスト教徒と一緒なら、天国に行きたくない。いっそ地獄に落ちたい」
犬に食い殺させたとか、生きたまま焼き殺したとか、耳や鼻を削いだとか、そういう表現が淡々、延々と出てくる。とは言っても岩波文庫の、本文は172pの薄い本。すぐに読了できる。
著者のラスカサスは15世紀スペイン出身のカトリック司祭。キリスト教の聖職者として、6回にわたり大西洋を横断し、インディオの自由と生存権を守る運動の中心的な役割を果たした。
先兵隊としてキリスト教の聖職者が現地に入り、原住民を信用させた後に非道な裏切りをして殺戮する。人として聖職者として、耐えられなかった。
⇒宣教師は当然日本にもやってきた。この前読んだ三橋貴明の本に、キリシタン大名が組織的に日本人を奴隷として売り飛ばしてことが書かれてました。
日本人も奴隷として売られていた
歴史上で一度だけ、日本人が「奴隷」としてビジネス目的で、海外に売り飛ばされていた時代がある。日本の教科書には決して載らないのだが、いわゆる「南蛮貿易」の時代、多数の日本人が外国に奴隷として売られていた。日本人が「奴隷交易」の対象になった。
ポルトガル人が種子島に漂着した1543年から、1587年までのおよそ半世紀だ。豊臣秀吉がイエズス会のガスパール・コエリョに、「奴隷交易禁止」を要求する手紙を送りおさまった。秀吉は、日本人が牛馬のごとく扱われるのが我慢できなかったようだ。
厳密には日本人を奴隷として売ったのは、九州のキリシタン大名。日本の奴隷を仕入れたヨーロッパ商人は、マカオやマニラ、ゴアなど、支配下にあるアジア地域に日本人を運び売却した。
この話のポイントは、民間が「自由」に貿易するグローバリズムにおいて、「ヒトの移動の自由」ならぬ「ヒトの売買」が盛んになり、それを規制するためには国家権力が必要だった、という点だ。
当時のポルトガル商人は、日本人の人権よりも「ビジネス」に重きを置いていた。自由貿易のみを善と考えるグローバリズムは、ポルトガルの奴隷商人のように残酷だ。
⇒そういえばアジアの国では、フィリピンが1500年代の半ばにスペインに征服されます。ここでひとつの疑問がわきます。なぜ日本は征服されなかったの?その答えはノエル・ペリンが書いています。
その時代の日本は軍事大国、世界の先進技術国だった
1543年に種子島に鉄砲は伝来するが、中国も量産できなかった時代に日本は鉄砲を量産し、
アジアに輸出していた。しかも雨でも使えるように改良したりして。
1500年代の後半の日本は、世界のどの国よりも鉄砲をたくさん持っていた。イギリス一国の銃の数より、トップの6大名は鉄砲を多く持っていた。
日本刀や鎧も、当時の欧州のものより優れていて、16世紀の西洋の剣は当時の日本刀で簡単に真っ二つに割れるらしい。
この辺の情報はイエズス会が本国に詳細にレポートしてるので、日本を侵略しなかった。
秀吉がキリシタン弾圧に動いたのは、ある意味正解だった。
1500年代の後半のイタリア人宣教師のオルガンティノ・グネッチは、日本の文化水準は全体として故国イタリアの文化より高い、と思った。当時のイタリアは、もちろんルネッサンスの絶頂期にあった。前フィリピン総督のスペイン人ドン・ロドリゴ・ビベロが1610年、上総に漂着した際にも、ビベロの日本についての印象は、グネッチと同様の結論だった。
1600年以降の日本は、江戸300年の泰平の世になります。その間の軍縮により西洋のほうが武器としては進化していく。しかし日本は文化・教育が世界のトップレベルとなっていった。
ジャングルと違って♪
アメリカはいいところさ♪
ライオンも蛇もいない♪
だからアフリカの黒人たち♪
この船に乗って アメリカに行って奴隷になろう♪
Randy Newman – Sail Away (Live in London)
なんていうかアフリカ人に奴隷を売らすのも巧妙でした。敵対部族の捕虜を売買するので同情はしないし格安だった。
歴史の別な一面ですね。
後から都合の良いように塗り替えられるのが常ですからね。。。。