いい文章には、3つの型がある

文章で人をにっこりと微笑ます。

それができれば最高ですよね。皆さんはどんな文章がお好きですか?

文章はざっくりと三つの型に分かれる。

・論理的な「主張型」の文章では、「問題→解決→根拠」の構成が読者にとって親切であり、接続詞「そして」は使わないほうがいい。

・物語や経過報告は「ストーリー型」に属し、小説では情景や行動の描写によって人物の心情を示すといった手法が用いられる。

・三つ目はエッセイなどの「直感型」。本書では幸田文の名文などから、個人的体験を普遍的思考につなげる過程を学ぶ』

文章の型は考えたことがなかったです。特になるほどと思った部分を以下に。

主張型文章の型

・問題、解決、理由、説明、例示、結論と進める。

(例1)
問題:若者の本離れは問題か?

解決:若者が本を読まなくなっても問題はない

理由:本で読む知識はネットでも手に入る

説明:ネットに存在する知識は膨大、無料、簡単

例示:百科事典はwikiに変わった

結論:古いメディアに慣れた人が、新しいメディアを非難するのは間違い。

(例2)
問題:これから原発をどうすればよいか?

解決:使用しない方がよい

理由:事故が起こると、その後のコストが大きすぎるから

説明:日本では自然災害が多く、事故がおきやすい

例示:福島原発での放射能放出

結論:解決と同じ

・段落の最初の一文で言いたい内容を伝える。ポイントファースト。そのあとサポートとして細部の情報で補う。

・文はシンプルに。名詞の前の修飾句はカットする、述語もシンプルな形にする。

・結論は解決の繰り返し=新しい内容を書いてはならない。同じ言葉は能がないので、表現を変える。

ストーリー型文章の型

・いつ、どこで、だれ(何)が、何をして、どうなったか、というスタイル。

(例:人間失格)
いつ:主人公の子ども時代から青年時代の終わりまで

どこで:故郷青森および東京

だれが:地方の名家出身の男、葉蔵

何をして:様々な女性と関わって。下宿の娘⇒カフェの女中ツネ子⇒雑誌社に勤めるシヅ子⇒たばこ屋の娘ヨシ子⇒薬屋の奥さん⇒女中テツ

どうなった:破滅した(薬物中毒になって、廃人同様に幽閉された)

・ストーリーは場面に分ける。場面の区分けは人物の出入を基本にして区切る。

・人間の一生は似たようなもので、時代や場所の設定は変わるが、物語自体の構造は意外に変わらない。

直感型文章の型(随筆、エッセイ)

・エッセイの構造:体験⇒感想⇒思考
ポイントが思考にあるとは簡単に言えない。むしろ体験に引きつけられるとか、感想が魅力であるという場面が出てくる。あるいは独特の文体や語り口が面白いという場合もあるだろう。複数の観点から解釈してかまわないジャンル。

・随筆:「三題噺」とよく言われる。
互いに関係なさそうな三つの話題をくっつけて、そこに無理矢理つながりを見つけるのが極意。一見結びつきそうもないが、何か関係ありそうだと気になる事柄をこねくり回すうちに、ふっと一つのラインが浮かび上がってくる。そのとき頭はフル回転し、思ってもみなかったアイデアにぶつかる。

・推論や説明を省略して、読者の自主性に任せてもいい。

いい文章を書くって大事ですよね。生活力=コミュニケーションスキルとした場合に、出力サイドは話すか、書くしかない。書く力が向上したら、人生の4分の1ぐらい得をしそうな気もします。

子どもの頃、すごく作文が苦手でした。今はあんまり苦になりません。書くのがワープロになったのと、たくさん本を読んだこと、人生経験を積んで出力の引き出しが増えたことが理由なのかなぁ。とはいえサラサラ文章が溢れ出すわけでもなく、じっと考えてひねくり出してます。不器用ですから。

文章って最後は人間性だと思います。だから型も大事かもしれないけど、結局人生経験とか、美しいものに日常的に触れてるとか、そんなことが影響してくると思う。

個人的に心がけてるのは、好きな本を何度も読み返すことです。「ポートレイトインジャズ/村上春樹」を枕元において、何度も何度も読み返しています。ひとつひとつの言葉の選び方、リズム、趣味の良さ、隠喩やユーモアのセンス、どれをとってもパーフェクトです。少しでも近づきたい文章です。読んだ次の日に書く文章が、すごく優しく透明になる感覚までします。高倉健の映画を見た後に、みんなが健さんになるようなものでしょうか。

ポートレイトインジャズ/村上春樹より抜粋

~~~~~前段略

ビリー・ホリデイの晩年の、ある意味では崩れた歌唱の中に、僕が聞き取ることができるようになったのはいったい何なのだろう?それについてずいぶん考えてみた。その中にあるいったい何が、僕をそんなに強くひきつけるようになったのだろう?

ひょっとしてそれは「赦し」のようなものではあるまいか― 最近になってそう感じるようになった。ビリー・ホリデイの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、これまでに傷つけてきた数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静かに引き受けて、それをぜんぶひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。もういいから忘れなさいと。それは「癒し」ではない。僕は決して癒されたりはしない。なにものによっても、それは癒されるものではない。ただ赦されるだけだ。

でもこれは、あまりにも深く個人的なものごとだ。僕はそのことを一般的に敷衍してしまいたくはない。だから、ビリー・ホリデイの優れたレコードとして僕があげたいのは、やはりコロンビア盤だ。あえてその中の一曲といえば、迷わずに「君微笑めば」を僕は選ぶ。あいだに入るレスター・ヤングのソロも聴きもので、息が詰まるくらい見事に天才的だ。彼女は歌う、

「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」

When you are smiling,the whole world smiles with you.

そして世界は微笑む。

信じてもらえないかもしれないけれど、ほんとうににっこりと微笑むのだ。

ビリー・ホリデイで「君微笑めば」

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