海賊の世界史本。
絵本みたいに読みやすいですが、著者は東大名誉教授。文化人類学専攻。
めっちゃ詳しくて本格的でした。(※本記事は、旧サイトからの引越し記事です)
人間が船を浮かべた瞬間から海賊は存在したのでしょうけど、本書では以下の時代の海賊を描いています。
目次
1章:地中海の悪魔 古代世界
紀元前からローマ時代。フェニキア人やギリシア人は武装した商人だったそうです。ギリシアは海賊の巣窟だったと。
2章:北からやってきた男たち 中世
8~11世紀ごろの、バイキングの侵攻。イングランドやフランシアは多大な被害を受けた。当時の西欧に人にはほとんど知られてない、スカンジナビア半島の住民がバイキング。彼らの行動範囲は広く、大航海時代の人にも劣らない。ヨーロッパの成立に本質的に関わった。
3章:イスラムの脅威 バルバリアの海賊
9~16世紀ごろの、キリスト教とイスラム教の対立。宗教対立のため、海上闘争は激しい。イスラム側は初期はビザンツ帝国、後期はオスマントルコ。1571年のレパント海戦でキリスト教徒側が大勝利し、以後オスマン艦隊は衰退していく。バルバリアとはイスラム教徒などのオスマン海賊のこと。
4章:大西洋の死闘 私掠船の時代
16世紀の大航海時代。先行したスペインの財を、イギリスとフランスが狙った。海賊と私掠船員がいる。後者は国王ないし貴族から免許状をもらって、敵または敵性国家に対して海上掠奪を行った者。ほぼすべて国王や貴族から出資を受けていた。
彼らは国策のもとに、海上の掠奪行為を行ったのであり、海賊とは区別されるが、敵側から見れば立派な海賊だった。私掠船長を一人上げるとしたらイギリスのドレイク。マゼラン(じつはエル・カノ)に続く2回目の世界周遊を達成する。前代未聞の私掠を行いながら。
(ドレイクが世界周遊したゴールデン・ハインド号)
ドレイクは、のちにエリザベス女王より騎士の称号をもらい、スペイン無敵艦隊撃破の力になる。
5章:バッカニア、海を駆ける 黄金時代
17世紀になると、カリブ海における私掠船の活動は新しい段階に入る。それまでアメリカ大陸や近辺の島々に足がかりを持たなかった、イギリス、フランス、オランダなどの諸国が、植民地の創設に関心を持ち始める。
スペイン、イギリス、フランス、オランダなどがカリブ海で争いを繰り返し、カリブの島々は、海賊(含む私掠船)の溜まり場となる。バッカニアとは牛肉の燻製を作る人や買う人の意。
6章:黄昏のカリブ海 海賊時代の終焉
自国を含めてあらゆる国の船舶に襲いかかり、掠奪をおこなう真の意味での海賊が生まれたのは、新しく海賊取締法が定められた1721年以後といってよい。
海賊掃討のためにアメリカや西インド諸島に置かれた海事裁判所は海軍本部に属し、海賊を捕らえ裁判にかけ絞首刑に処する権限を与えられていた。
18世紀前半カリブでは、約5500人ほどがジョリー・ロジャーと呼ばれる、黒字に骸骨を描いた海賊旗のもと航海していた。1716年から1726年の10年間で、600名の海賊たちが処刑されたと推定される。
この時代の海賊について、以下の2点をまとめる。
・なぜ海賊になったのか?
・当時の海賊の契約内容⇒船長は何倍の給料?
なぜ海賊になったのか?
一般的にいって彼らは好きで海賊になったわけではない。彼らにとっては私掠船のほうが良かったが、戦争が終わると私掠は禁じられ、私掠船員の多くは、別の仕事につく機会がほとんどなかった。
海賊になればあっというまにカネがたまり、軍艦や商船の厳しい規律から逃れて、自由な生活をすることができる。「自由」が、海賊にとって最大の魅力だったのかもしれない。
18世紀、海賊以外の船員たちの生活は苦しみの連続であった。食事はひどく、賃金はわずかで、罰則は厳しく、体罰は容赦なく行われた。一般船舶における船長たちは残虐で、下級船員はみじめな境遇から抜け出したいという思いがあった。
当時の海賊の一般的な契約内容⇒船長の給料は何倍?ペイレシオ。
・船長の分け前は一般船員の2倍、航海長は1.5倍、船医、航海士、砲手、水夫長は1.25倍とする。
・捕獲した私掠船上で不法に武器を着服したり、みなで獲得した戦利品を私したり、互いに争ったり、だましたりするような罪を犯したものは、船長および大多数の者が適切と考える罰を受けるものとする。
・緊急事態のとき、臆病の罪に問われた者は、船長および大多数の者が適切と考える罰を受けるものとする。
・捕獲した船で金・宝石・銀および8レアル銀貨以上の戦利品が発見され、しかも24時間以内にそれを発見者が操舵手に引き渡さなかった場合、船長および大多数の者が適切と考える罰を受けるものとする。
・賭博をしたり1シリング以上の詐欺行為の罪を犯した者は、船長および大多数の者が適切と考える罰を受けるものとする。
・交戦中、四肢の一部を失った者は、150ポンドの額を支給され、適当と判断される限り仲間と共にとどまってよい。
・除名を求められた場合は、寛大にそれを許すこと。
・最初に砲を見つけた者は、その船で得られた最良のピストルまたは小火器を与えられるものとする。
以下に本書から、ワンピースのキャラと同名の著名海賊の概要を。
黒ひげティーチ
海賊黒ひげこと、エドワード・ティーチ船長。もっとも有名な海賊の一人。「密生した毛が顔全体を覆った」顔が恐ろしげであり、残忍、獰猛、酒は浴びるように飲んだ。
最初は小アンティル諸島で海賊業をはたらいたが、やがて北アメリカに進出、ペンシルヴァニアから南カロライナまでの海岸で、掠奪し密輸品を売りさばき大きな収益を上げた。北カロライナの総督チャールズ・インデンと結託したので、捕まらなかった。ついに北カロライナ住民がヴァージニア総督のスポットウッドを動かし、1718年に黒ひげ捕獲の決議を通す。
イギリス軍艦ライム号がロバート・メナド中尉指揮のもとに、オクラコウク湾の奥でティーチを補足。激しい戦闘ののち、彼をはじめとする多くの海賊を殺した。
赤ひげのウルージ
オスマンの水軍は、エーゲ海の沿岸および島々から徴発されたギリシア人が乗務員の大半を占めていた。そのようなギリシア人のなかからバルバロッサ(イタリア語で赤ひげ)と呼ばれる二人の兄弟があらわれ、地中海せましと暴れまわって、キリスト教徒たちを震え上がらせた。二人の名前はウルージとハイルッディンだった。彼らは海賊で有名なレスボス島の生まれ。
最初に頭角を現すのは兄のウルージ。西地中海のイスラム教徒のハフス朝スルタンに取り入る。海賊行為の掠奪物の一部を上納するという条件で、チュニスを根拠地として使用することを許される。
1512年8月、チュニスのイスラム教の太守がスペイン人に追放され、ウルージに助けを求める。ウルージは12隻の船に1000人を乗せ、スペイン兵の城塞を攻撃。このとき彼は左腕に銃弾を受け、片腕を失う。
その後ウルージはアルジェの太守となり、バルバリア地方最大の海賊王になる。1518年アルジェで反乱がおこり、スペイン王カルロス一世は1万の精鋭を派兵しウルージを追い詰め、
これを包囲殲滅させた。
弟のハイルッディンはオスマン皇帝セリム一世に恭順し、アルジェを献上するから帝国の一州として保護を受けたいと願い出た。
すぐにオスマン皇帝は精鋭2000人を派遣。スペインは50隻の艦隊をアルジェに送るが敗退。ハイルッディンは「キリスト教世界の災厄」となる。彼はスペインを襲い、財宝を奪うだけでなく、多数の男女を誘拐し、トルコ市場で奴隷として売った。男はオスマンの海賊によってガレー船の暗い船倉につながれ、漕手として一生働かされた。
その後ハイルッディンはトルコ海軍の総帥となり、1538年夏にキリスト教の連合艦隊と激突。キリスト側は200隻に兵員6万人。イスラム側は122隻の艦隊。
この戦いは、ハイルッディンが湾内でキリスト艦隊を待ち受けたため、キリスト側は撤退。イスラムの勝利に終わる。1546年ハイルッディン没。キリスト教徒側は1571年10月11日のレパント海戦で、イスラムに雪辱する。
大海賊フランソワ・ロロノア
1630年フランスの西海岸生まれ。若いころカリブ海に渡り、つらい年季奉公をつとめた。自由の身になると海賊の仲間に身を投じ、その勇敢さによってトルトゥーガ島のフランス総督、ド・ラ・プラスに目をつけられた。総督といっても海賊の親玉である。彼から1隻の船を与えられたロロノアは数度の遠征に成功し、スペイン人への残忍さで有名になる。
ウッズ・ロジャーズ船長
ロジャーズはスペイン王位継承戦争(1701~1713)の期間に私掠船船長として大いに活躍し、世界一周航海を行った。1709年ロジャーズはグアヤキル(エクアドル)を占領し、この世界周航で80万ポンドの収穫を得た。
ロジャーズの手記「世界周航」には、ファン・フェルナンデス島に取り残された、アレグザンダー・セルカーク救出が書かれており、これがデフォーの「ロビンソン・クルーソー」のヒントになった。
ロジャーズは海賊鎮圧のために、ニュー・プロヴィデンズに送り込まれたが、著名なバッカニアだったので、上陸地は海賊が列をつくり、小銃を発射して歓迎した。
ロジャーズは海賊を集め、以後は平和な貿易に従事するよう勧告し、メキシコ湾のスペイン人と交易を始めさせた。
16世紀以来、2世紀にわたって海外に領土を持たない小国イギリスが、強敵スペインとわたりあうために利用してきたのが、私掠船による掠奪であった。エリザベス一世はスペインの経済力を、私掠船の活動によって弱体化し、自国の資本蓄積に努めることができた。
しかしイギリスとフランスがカリブ海に植民地を確保し、スペインを脅かすことが可能になった17世紀末になると、もはや私掠船という非常手段は不必要となり、邪魔とすらなった。
捕獲王 バーソロミュー・ロバーツ
もし海賊が捕獲した船の数で評価されるとしたら、1位はバーソロミュー船長だ。1719年から22年までの3年間で400隻以上の船を捕獲した。1722年、王室海軍との戦いでバーソロミューが戦死したことは、海賊の黄金時代の終わりを象徴する事件だった。
このほか、雄弁家ベラミー船長、最後のバッカニアである美男子ジャン・ラフィット、女海賊アン・ボニーなど、書き出したらきりがないのでここまで。海賊に興味がある人、世界史を俯瞰したい人には、おすすめの一冊です。
海賊が 港にやってくる♪
踊り子は 海賊のために踊る♪
海賊は 愛は宝だという♪
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