江戸時代の初体験年齢は?「お盛んすぎる江戸の男と女・永井義男」より

本屋さんで立ち読みができなかった1冊です。マンガみたいにビニールでくるまれてました。新書では珍しいです。読んでみると春画がけっこう掲載されてました。浮世絵ってモロなんですね。しかも性器の描写が細かい(笑)

昔の人は性に厳格だったような気がしますが、それは単なるイメージで、江戸時代も婚前交渉は当たり前でした。しかも女性の初体験は15~16歳ぐらいだったようです。もちろん大名や大店の娘さんは別ですが。

庶民は若くして奉公にでます。奉公先ではふすま一つ隔てて若い男女が寝ています。つい夜這いも活発になろうというものです。

当時は避妊がなかったので、心中は妊娠がらみが多かったようですね。現代は授かり婚の割合が3割を超えたそうですが、むかしは身分制度もあり許されなかったのでしょう。

避妊もできるし身分制度も無い現代は、恋愛に関しては幸せな時代です。だけど他に楽しみが多すぎて、男女共に異性への興味は薄れがちです。なんとなく憂慮します。

以下に読書メモを。

密通は大岡越前が穏便に解決した

江戸では密通はありふれたことだった。密通は不倫より意味が広い。正式な婚姻以外の男女の性交渉はすべて密通である。ただし玄人の女との性行為は密通ではない。密通と刑罰を定めたのが、吉宗の時代の「密通御仕置之事」である。処罰は厳酷で密通した男女のほとんどは死刑になった。

江戸の男と女は厳罰におびえていたのか?けっしてそんなことはない。あっけらかんとセックスを享楽していた。刑罰はあくまで建前である。というよりあまりに過酷なため、人々は訴えるのをためらった。もちろん密通で処刑された男女もいるが、これは殺傷事件にまで発展し、町奉行所の役人が乗り出さざるを得なかったからである。ひとたび町奉行所に持ち込まれると杓子定規に厳格な刑罰が適用された。

ここで大岡越前が登場する。「世事見聞録」(文化十三年)によると、世間にあまりに密通が多いため、密通御仕置之事に定められた処罰を厳格に適用すると死刑者が続出するし、奉行所も仕事に支障をきたす。そこで大岡越前が間男代を七両二分と定め、内済による穏便な解決をうながしたのだ。



湯ぼぼ酒まらとは何か?

江戸では女性器は「ぼぼ(漢字表記は開)」、「つび」と言った。男性器は「まら」「へのこ」というのが一般であった。つまり「湯ぼぼ酒まら」とは、女性器は湯で洗って清潔で、あたたまって血行がよくなり感度がいい状態。男性器は適度な酔いで早漏傾向を改善された状態のことをさす。

なぜ春画に口淫が少ないのか?

十返舎一九の人気シリーズにも口淫のくだりがある。一九は読者に受けると考え、下卑たくすぐりを入れた。ではなぜ春画に口淫が少ないのか。わが国の春画では陰茎を巨大に描く伝統があったため、結果として口淫は題材にしにくくなった。ただ遊里ではほとんどなかった。シャワーがなかったからだ。

江戸の遊里。吉原、岡場所、夜鷹、宿場の違いとは?

(吉原)
公許の遊郭。遊女は公娼。

(岡場所)
非合法の遊里で遊女は私娼。時代で差があるが四十~五十ヶ所あった。役人は賄賂をもらってたので積極的には取り締まらなかった。

(夜鷹)
個人営業で非合法の私娼。ござ1枚をもって夜道に立つ。外でする。

(宿場)
宿場の旅籠屋には、遊女を置くことを道中奉行から認められていたので、宿場の遊女は公娼。品川、内藤新宿、板橋、千住の江戸四宿は厳密には江戸ではないが、市中から近く江戸の男には手軽な遊里だった。

引手茶屋はなぜ必要だったか?

引手茶屋を通した遊びは当然高いものについた。にもかかわらず、客が引手茶屋を通して遊んだのは、立替払いをしてくれたからである。遊女の料金、芸者、幇間の費用、仕出し料理の代金などすべてである。



芸者とは何だったか?

芸者は客と寝ないのが建前だが、転ぶ、つまり客と寝るものは多かった。「ふたつながら売る」芸を売るが色も売ると。「芸者つとめは女郎も同然」当時のさまざまな戯作に、遊女も芸者もほぼ同じと男女共に自覚していた。

遊女の身請けの値段

元禄十三年(1700年)、三浦屋の太夫薄雲は三百五十両で町人に身請けされた。一両を10万円とすると、およそ3500万円である。ちなみに大見世の最高位の遊女の料金は、現代の12万5千円程度。これに盛大な宴会の費用が上乗せされ、現代の感覚ではひと晩で100万円くらいになった。

文政元年の戯作によると、男が引手茶屋の案内で大見世に登楼した。相手は昼三の花魁で、幇間ひとりと芸者ふたりを呼んで宴会もした。翌朝引手茶屋に戻ってから請求書を渡される。その金額はしめて八両三分二朱。およそ89万円である。

以上は豪遊だが下級遊女である新造を買い、酒宴などいっさいしなければ二朱ですんだ。現在の1万2500円ほどである。

江戸の通貨換算

じつは現代価値への換算は難しい。江戸時代は物の値段が高く、人の値段(人件費)は安かった。現代はまったく逆である。そのため何を基準にして比較するかで大きく変動し、換算は不可能ともいえるが、いちおう物価や人件費を勘案して、この本では一両=10万円で換算した。

なお当時の通貨制度は、金貨、銀貨、銭(銅)貨の3種が併存しており、しかも変動相場制だった。つまり円とドルとユーロが同時に流通しているようなものだ。

金貨 1両=4分 1分=4朱
銀貨 1貫目=1000匁、1匁=10分、1分=10厘、1厘=1毛
銭貨 1貫文=1000文

換算率は文化文政期の平均で、金1両=銀60匁=銭6500文くらいだった。

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