柴田『村上さんはチャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズを全訳されたわけですけど、マーロウの一人称はすべて「私」ですか?』
村上『すべて「私」です。僕がチャンドラーをやるって言ったときに、ミステリーファンの人は「ひょっとしてフィリップ・マーロウが「僕」って言うんじゃないかって思ったらしい』
村上『清水俊二さんがずっとチャンドラーを「私」で訳してこられて、そのおかげで日本のハードボイルドファンの雰囲気が決まっちゃったんですよね。「私」的な美学ができた。トレンチコートの襟を立てて、「私は…」とつぶやくとか』
たしかにw。マーロウが「ぼく」じゃあかんやろ。なんせタフでなければ生きていけないし、ギムレットも飲まなあかんし。
誰でも知ってる「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」はめっちゃ意訳でした。知らんかった。
以下に読書メモを。
タフでなければ生きていけない、は意訳だった
原文、村上春樹訳、柴田元幸(東大名誉教授、村上春樹の5才年下で仲良し)訳の対比です。
生島治郎訳は「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」⇒有名なバージョン。
清水俊二訳は「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
原文は「If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」
村上『そもそもhardとtoughは違いますよね』
柴田『はい。違います。hardは「無情」「非情」という完全に否定的な意味ですが、日本語のタフはそうではない。だからもしhardを「タフ」と訳すと、彼女の最初の問いが成り立たなくなる。hard(非情)な人間がgentle(優しい)という逆説に彼女は驚いてるわけだから。タフ=強い人間が優しくなるというのは全然逆説ではない』
村上『あとここに2回出てくるaliveという言葉が大事だと思うんです。「生きていけない」のところは原文ではI would’t aliveですが、これは「生き続けてはいけない」という意味ですよね』
柴田『ええ、ロサンゼルスの厳しい裏社会で今ごろ生きちゃいないだろう、ということですね』
村上『そういう意味では「タフでなければ生きていけない」というのはかなりの意訳なんですが、響きとしてはいいんですよ』
柴田『人をhardだ、というのはすごく否定的です。たとえばYou are a hard man,Mr. Murakamiと言ったら「村上さん、あんたは血も涙もないひとだ」みたいな意味だから、ここではhardはかなりネガティブに訳す方が妥当です。ただそうすると読者がマーロウを好きにならないだろうな』
村上春樹の語る短編小説の書き方
村上『短編小説について言えば、自分のシステムを作らないと絶対ダメです。僕の場合は、システムがはじめからだいたい決まっていました。最初に書いたのが「中国行きのスロウ・ボート」。とにかくタイトルだけを決めて、その語感を頼りに、筋もわからないまま書き始めました。この題からどんな話ができるだろうと』
柴田『その後もずっとそうですか?』
村上『ほぼそうですね。もちろんタイトルから書かないものもあります。でも基本的にいえば、ぼくにとって短編小説というのは、一種のゲーム感覚というか、ひとつの言葉から、ひとつの断片からどんな話を紡げるかという実験であることが多いですね。ほかの人はあまりそういう書き方をしないかもしれないけれど、僕としてはそういう書き方が一番楽しいんです。
なんにせよ「これは私にしかできない」という個性的なシステムを自分の中にこしらえてしまうこと、それが何より大事です。言い換えれば、どこにでもあるような小説を書かないこと。たとえ上手くなくてもいいから、自分にしか書けない物語を創り出すこと。ベイリーやカーヴァ―がやってきたのも、まさにそれなのです』
村上春樹の語る1950年代のジャズ、文化流入について
40年代はジャズにとってはクリエイティブな時代だったんです。ビバップが入ってきて、マグマのように噴き出た。それが冷めて、いろいろ形づけられ、洗練されていくのが50年代でした。ビバップは黒人が作ったものだけど、それを洗練化していくのは白人のほうが上手かった。でもそこで起きた白人と黒人の葛藤は、多くの場合お互い技術を交流しあうという比較的良い方向に行った。
50年代はクリエイティビティと洗練化がうまく歩調を合わせていた時代で、その頃に出されたジャズのレコードはあまりハズレがない。60年代になるとまたクリエイティブな動きが起こってくるわけだけど、そのぶんハズレは多くなるんです。
50年代の文学についてどう思うか。
いわゆる東部のエスタブリッシュメントと、南部からの新しい血の流入、その二つです。東部はチーヴァ―みたいなアングロサクソン系とユダヤ系の作家が組み合わさって、インテリジェントな階級となる。50年代の東部は特にユダヤ系の作家の勢いの良さが特殊です。やっと発言権ができて自分たちが出ていく舞台ができたという力強さを感じます。マラマッドやフィリップロスなんか。
南部からは、マッカラーズ、カポーティ、フォークナーのような荒っぽい風が吹いてきて、東部と南部がとてもいい具合にお互いを刺激していた。カポーティやマッカラーズが南部に落ち着いているんじゃなくて、ニューヨークに出てきて、そこで違和感を覚えながらも創作活動を続けている感じが、わりに好ましいと思っていて、そうした南部からの文化の流入は、60年代にラテンアメリカ文学のガルシア=マルケスやボルヘスが入り込んできたときのインパクトに匹敵するんじゃないかと。
小説はメイラー、カポーティ、サリンジャー、マッカラーズと、50年代は質のいいものがまとまって出てきている。60年代はそれがはじけて、ばらけていくけど。
「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルについて
野崎さんの「ライ麦畑でつかまえて」は僕もいい訳だと思ったし、みんなそれで覚えているけど、それは野崎さんがつけた題であって、僕がそれを使うのはフェアじゃないっていう気がした。それにThe Catcher in the Ryeと「ライ麦畑でつかまえて」はニュアンスがちょっと違う。その違いが気になって、どうしようかと思ったけど、どうしようもないんですよね。だから「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とそのままで行こうと。長すぎるなら「キャッチャー」って言ってくれればいいし。だいたいアメリカ人も「キャッチャー」って言いますよね。
松田聖子で、いちご畑でつかまえて♪大瀧詠一&松本隆です。「風立ちぬ」と「パイナップル」の2枚は名作です。未聴の方はぜひ一度聴いてみてください。
ほい。アマゾンアンリミ。この2枚は最高の作詞家と作曲家(ユーミンや大瀧詠一)、松田聖子絶頂期のボーカル、アレンジが組み合わさった邦楽史的にも奇跡的な作品。