アップルレコードは好きだけど、アップル製品は使ったことがありません。本屋がスティーブジョブズの本でうめつくされた時は、スルーしてました。 「think different」ジョブズも人と同じことをするなと言ってます。
このままスルーしようかと思ってましたが、ジョブズのことを身近な11人が語るという内容に惹かれました。僕らの受信料でNHKが取材した、NHKスペシャルの全資料を本にしています。たしかに未放送分はもったいない。さすがの取材力です。
高校や大学時代の友人から、そのままアップル創成期のメンバーとなった側近達へのインタビューは、非常に興味深い。人間ジョブズが浮き彫りになります。自身が語った伝記とは趣が違います。
<創業期メンバー>
スティーブジョブズ:
黒いハイネックはイッセイミヤケ。京都が好きで4人の子どもたちとは、1人ずつ京都に来ている。彼の美的センスは京都の庭の影響が強い。初代CDウォークマンは発売前に盛田氏からもらった。盛田氏を非常に尊敬し、あまり知られてないが、マッキントッシュはシリコンバレーでデザインされているが、その部品の大半はソニーの部品によってつくられていた。かれのアイドルは、ボブディラン、ガンジー、アインシュタイン、エジソン。
スティーブウォズニアック:
ビルの紹介で当時高校生のジョブズに出会う。アップルⅠ、アップルⅡをほぼ独力で完成させた。ジョブズの5歳年上だが、ボブディランに2人ともはまっており、よくジョブズと一緒にレコード屋まわりをした。出会って5年目にジョブズに口説かれアップルを立ち上げる。それまではヒューレッドパッカードでエンジニアとして働いていた。
ビルフェルナンデス:
高校時代からの友人で、5歳年上の隣家のウォズニアックをスティーブに紹介した。社員1号。ウォズいわく「僕らには技術者が必要で、僕たちが知ってる限りで君が一番優秀な技術者だから採用した」とのこと。彼も大企業のヒューレッドパッカードで働いていたが、ジョブズのガレージで働くことにした。
マイクマークラ:
3人目の創業者。優れた投資家でアップルに将来性を見出し、パートナーになるため9万ドルという大金を投資した。結果マークラはジョブズ、ウォズニアックとともにアップルの3分の1の株式を持った。創成期のアップルのビジネスプランを作成し、経営がわかる有能な役員クラスのスタッフを雇い、銀行から融資を受けられるようにした。
ダニエルコトケ:
ジョブズの大学時代の友人でインドに一緒に4ヶ月間旅行に行く。アップルには84年まで在籍した。ジョブズが禅にはまったときにも、ジョブズと一緒に知野弘文老子に何度も会いに行ったりした。ダニエルの証言によるとジョブズはプライマルスクリーム療法(ジョンレノンもしてた)を、何千ドルも払ってやってたとの事。
ジョンスカリー:
元ペプシのCEO。ペプシの売上を大きく伸ばした。ジョブズは自分がアップルのCEOに任命されることを望んだが、取締役会には若さからか否定された。そのかわり取締役会は、ジョブズに「CEOを任命する権限」を与えた。ジョブズに口説かれたジョンは、悩んだ末にペプシに残ることを伝えたが「あなたは一生砂糖水を売り続けたいのか?それよりぼくと一緒に世界を変えよう」という言葉に衝撃を受け、アップルのCEOになった。後に事業方針をめぐってジョブズと対立し、結果的にジョブズがアップルを去るきっかけをつくる。
パソコンの元々の発想
ジョブズ曰く「人はみな、生まれたら全員が同じ金額をもらってゼロスタートから人生を始め、死んだら自分の財産を全部国に還すのがいい」「その人生の中で、ある程度差がつくのは仕方がない」本当にフェアな社会というのは、ゼロスタートでいって、最後に死んだらチャラになる。そういう社会が理想的だと。
世界全体をそういう風にしていこうとした時に、一番大事になってくるのは「情報」。重要な情報を知ってる人と知らない人がいるのがおかしい。「知ってる人」と「知らない人」との差をなくすのが、「パーソナルコンピュータ」というものの元々の発想なんだ。だからマッキントッシュには最初からネットワークがついていただろう。
ロックスターが言葉や歌で、平和で公平な社会を訴えるのと、やってることは同じなんだ。
革命者
ジョブズはコンテンツに関して幾多の革命を起し、次々に新しい事業モデルを作り上げた。初めはipodで音楽業界に、次はiphoneで通信業界に、そしてipadで出版業界に。さらにテレビ番組もipadで見られるようになった。ピクサーという小さい会社を興して、アニメ業界にも革命を起した。
ミニマリスト
ジョブズはお金に興味がない。物欲もほとんどない。とジョンスカリーは言う。彼はペプシのCEOからジョブズに口説かれてアップルのCEOになった。84年ごろに(ジョブズが29歳くらいか)ジョブズの家に行くと、家には家具がほとんどなく、いつもがらんとしていた。彼の寝室には小さなベッドしか置かれてなくて、そのベッドの上にアインシュタインとガンジーの写真が飾られていた。ティファニーのランプもあった。それだけで、その他の家具は一切なかった。
25年前にiphoneの模型を試作していた
まだノートパソコンすら存在してない時代に、実物大の模型として小さなスクリーンのついた電話を作成し「これが未来の電話の姿だ。いつの日かアップルで我々はこのような製品をつくることになる」と断言した。かれはそれを「マックフォン」と呼んでいた。byジョンスカリー
お母さんいかないで♪
お父さん帰ってきて♪
孤児院出身のジョブズ。ジョンレノンと同じようにプライマルスクリーム療法を受けていた。ジョンレノンでマザー♪