リアル人間失格だった太宰はん|「人生で大切なことは泥酔に学んだ」より

酒の失敗って、ありますか? 思い出すと恥ずかしいこと。

ぼくは恥ずかしいことだらけです。ちょいちょいブラックアウトして翌日覚えてない。

いろんな後悔がたくさんあります。まあ自分のやったことやからしようがない。それを語りだすと戻って来れなくなるので横に置いときます。

本書は、歴史上の偉人で酒乱な人たちの面白話が列挙されてます。

たとえば福澤諭吉。飲むと全裸になった。緒方洪庵の塾生時代、酔っ払って緒方洪庵の奥さんを全裸で通せんぼしたそう。上司の奥さんに全裸でがなりたてる諭吉さん。

仲間と一緒に飲むとき先客の娘さんたちがいた。邪魔だったので全裸で乱入。娘さんたちはきゃあきゃあと逃げ回る。目論見通り場所を奪い取って飲む。アホや。現代なら間違いなくSNSで血祭りにあげられる。諭吉、お縄。

「福翁自伝」は酒にまつわるエピソードだらけで腰を抜かします。子どものころ諭吉は散髪を嫌がる。お母さんは「酒を飲ませるから」となだめて諭吉の散髪をした。これは諭吉の豪快さを語る話ですが、何かが大きく間違っている。

著者は経済記者。文体がポップで面白いと思ったら若かった。1980年生まれ。30代やん。酒飲みにはかなり面白い一冊なので、入手されることをお勧めします。

今回の読書メモは2つです。「永遠のマドンナ原節子」「人間失格な太宰治」について。




永遠のマドンナ、原節子が酒豪だった件

原節子は戦前から戦後にかけて活躍した人気女優。「東京物語」「青い山脈」などが知られる。小津安二郎にとりわけ寵愛されたが黒澤明など名だたる監督たちが出演を望んだ。

『10年に一度発表される英国映画協会の「映画監督が選ぶベスト映画」。2012年846人の投票で1位になった作品は「東京物語」。2位は「市民ケーン」。3位は「2001年宇宙の旅」。いまや世界的に評価されている「東京物語」のヒロインが原節子』

映画で音をたててお茶漬けをすすったら「あんな美しい人になにをさせるんだ」と苦情が殺到。圧倒的な美しさで生涯独身だったことから「永遠の処女」とも呼ばれる。その見た目からは想像がつかないが、酒を日々かっくらっていた。千年に一人の美女はみんな酒が好き。

原は呑むとおしゃべりになる典型的な陽気な酒で、特にビールを好んだ。晩酌は毎日。ビール瓶の1本、2本をちびりちびりと楽しんだ。そんな調子で「もう1本だけ」と7~8本呑むときもあったというから、いかに酒が好きだったか。

原は「ヒステリーが起きそうなときはお酒がいいんです。お酒の力を借りて発散させる。でも別に人様にめいわくはかけません。1人でいただくだけです」と語っている。

世間の人気も高く、共演者にも慕われた原はギャラも業界トップクラスだった。1950年には1本あたり300万円といわれ(現在の物価では約2100万円)、小津が原を映画に起用しようとしたときに、松竹がギャラの高さから渋ったところ、「ギャラは半分でもいいから出たい」といったエピソードは有名。

原の引退理由は諸説ある。撮影でライトを浴び続けたことで目の病気を患ったこともあり、健康上の理由が主因とみられている。

元々女優になりたかったわけではなく、父や姉夫婦など家族を支えるために続けていた側面も大きかったので、蓄えがある程度できたのですっぱりやめたとの見方もある。それにしても山口百恵か原節子かという。本人はいきなり完全に43歳で姿を消した。

1990年代になると原のメディアによる隠し撮りも落ち着いてきたが、突如日本中が原節子を思い出す。1994年の納税額で75位に名前が載る。推定所得は12億円。

原の所得は役者時代に購入した東京都狛江市の土地の売却によるもの。当時の新聞記事によると約13億円と推定されている。この土地は1947年に43万円(約4300万円)で買ったもの。原は狛江以外にも杉並や練馬、神奈川県下に土地を買い求めている。戦後の超絶なインフレを経験したため、現金に信用をおけず不動産での資産形成に走った。

おもしろいのは原が売却した土地は何十年も手付かずだったこと。女優時代は住居として使っていたが、引退後は鎌倉で姉夫婦と同居したため狛江の家は駅前の一等地にもかかわらず、更地にして貸しもせず、そのままにしていたというから驚く。




あまりにもひどい、太宰治の「檀一雄置き去り事件」

「ちょっと待ってて。お金をおろしてくるから」

そういって太宰治は檀一雄を放置して、10日も行方をくらました。檀一雄は檀ふみのお父さん。直木賞作家で代表作は「火宅の人」。

太宰治は反権威で時代を象徴する「無頼派」作家。代表作は「斜陽」「人間失格」など。人気絶頂の38歳のとき、愛人の山崎富栄と玉川入水自殺。

太宰治は結構しょぼい。芥川賞では選考委員の佐藤春夫に「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます」「佐藤さん、私を忘れないでください。私を見殺しにしないで下さい」と4メートルの巻紙に毛筆で懇願文書をしたためたり、中原中也に飲み屋で絡まれて、泣き出しそうな顔で家に逃げ帰ったり。

執筆スタイルも勤勉そのもので、戦後の一時期は住居と別に部屋を借りて、弁当を持参して、毎朝九時過ぎに出勤し、午後三時までしごとをしていたという、無頼というより公務員さながら。おまけに虫歯だらけで柔らかいものしか食べられず、好きな食べ物はうなぎや豆腐、バナナ。無頼を気どるのは太宰の芸風。職業「無頼」。

太宰が敬愛して葬儀委員長も務めた作家の豊島与志雄は太宰をこう評する。「照れ隠しに酒を飲む。人と逢えば、酒の上でなければうまく話ができない。そういうところから彼は二重に酒を飲んだ」

太宰自身も「酒を呑むと、気持ちを、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる。そのかわり、酔いがさめると、後悔もひどい」

二十代のころ、檀と太宰は毎日のように飲み歩いていた。1936年太宰は創作に専念するために熱海の温泉宿にこもった。滞在期間は長期化した。太宰の妻から檀は滞在費を届けるように頼まれる。檀の旅費も出してくれるとのことなので、二つ返事で了承し出向く。

檀の持ってきた70円(約12万円)は檀との豪遊で消える。ツケも払えない。太宰は言う。

「檀君、菊池寛のところに行ってくる。明日、いや、あさっては帰ってくる。君、ここで待っていてくれないか?」

檀は不安になりながらも他に手立てもなく了承。何日たっても太宰は帰ってこない、宿屋の主人を含め檀への視線は厳しい。部屋に引きこもるようになる。その後数日たち檀は気付く。太宰は帰らないのではなく、帰れないのだと。

しびれを切らした小料理屋のオヤジが太宰を探しに行こうと持ちかける。師匠筋である井伏鱒二のところには一度は寄っているだろうと井伏宅を訪問する。太宰はいた。

「何だ、君。あんまりじゃないか」と檀は激怒した。太宰は井伏と将棋をさしていた。人のことを熱海に放置して将棋。あんまりである。見つかってオロオロしてる。気持ちが落ち着くと檀にこういった。「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

結局、2人の借金300円(約50万円)は井伏と佐藤春夫が肩代わりする。

太宰しょぼい。マジ酷い。と思う人は多い。だが太宰はこのときの心情を作品に昇華させている。誰もが教科書で読んだことがあるだろう「走れメロス」だ。自分は将棋を指していて、走らずに座ったままだったが、メロスを走らせちゃう。さすが太宰治。

ブチギレた檀一雄もこう語っている。「あれを読むたびに、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである」

水曜日のカンパネラで、メロス♪

9月13日公開の太宰はんの映画。ちょっと見てみたいです。3連休やし見に行こうかな。




シェアする

フォローする