9月場所の千秋楽。16年ぶりの横綱どうしの優勝決定戦。
本当に久しぶりに相撲をテレビで見ました。車のナビでちらっと見ることはありますが、腰を落ち着けてリビングのテレビで見たのは、若貴時代以来です。
西の横綱の豊昇龍に「本割」で負けちゃったんですよ。思わずテレビ見て久しぶりに声が出てしまった「あっ」て。で、決定戦が凄かった。「よっしゃ」と叫ぶと物言いがついて。笑
昔の相撲より緊張感がある。
西の横綱、豊昇龍は朝青龍の甥っ子さんね。高校から日体大柏にレスリングでスカウトされて。相撲って横綱の月給は300万円+懸賞金もあって、年6場所+地方巡業もあって。レスリングより実入りはいいです。そりゃ転向しますよね。
ちなみに横綱は神なのか?
ぐぐると「横綱は神そのものではないが、神の依り代であると同時に神事の象徴であり、神聖な存在と見なされています」
戦後6場所制(奇数月で東京x3、大阪、名古屋、九州)以降の横綱は以下です。2000年以降は大の里まで8人しかいない。
ちなみに大の里がいかに偉大か。
・日本出身力士の年間3度優勝は横綱・貴乃花以来で28年ぶり
・ 初土俵から7場所で幕内優勝(史上最速記録)
・ 初土俵から9場所で大関昇進(年6場所制以降最速)
・ 初土俵から13場所で横綱昇進(年6場所制以降最速)
以下にNumberの大の里特集から、インタビューのメモを。
アマチュアはスピード、大相撲は重さの勝負
「この相撲では、重さを伝えられました」
大の里が大相撲の世界に入ってから重視してきたのが、この重さである。「アマチュア相撲はスピードの勝負で、大相撲は重さの勝負」だと、大の里はその違いを話す。
「アマチュアでは立ち合いの早い者、スピードがある者が勝つと思っていましたが、 大相撲に入ってから実感したのは重さでした。相手を土俵際まで追い込んでも、そこで相手の重さがあって押し切れずに逆転されたこともありました。重さを意識するようになったのは、大相撲に入って大きく変わった部分です」
重さを伝える術
「重さを伝える術があります。一番重さを伝えられるのは、自分の両足を着いた状態なんです」地に足を着け、正しい角度で相手に力を伝える。これが大の里の力の源である。
「二所ノ関部屋に入って教わったのは、相撲の基礎、基本の大切さです。それが両足でしっかり土俵を踏むことにつながります」
そもそも二所ノ関親方は、基礎運動を極めて横綱にたどりついた力士だった。「現役時代、基礎運動をやらないと、なんだか気持ち悪くなってくるんですよ。だから、 毎日やってました」とニコニコしながら話すほどで、部屋を構えてからも基礎運動の徹底を弟子たちに伝えようとしている。ただ、大の里にしても入門当初は基礎運動が嫌で仕方がなかったという。
大の里の強さを生み出す練習
「基礎運動は地味です。四股を踏んで、テッポウをやって、壁を向いて腰割りをする。 砂の上ですり足をするのも、苦しいです。 汗が噴き出ます。入門したころは、早いところ相撲を取って、ぶつかり稽古をして終わりたいと思っていました。その方が稽古をした実感もありますし、スッキリしますから。ところが、今年の三月場所で優勝したあと、4月の巡業で部屋を離れる機会が多くなると、『ああ、早く部屋に戻って基礎運動をやりたい」と思うようになったんです。巡業だと、たとえばすり足をする時間が十分に取れるわけではないので」
五月場所で見せた危なげのなさは、こうした地味な基礎運動の徹底によって支えられていたのだ。二所ノ関親方も「いま、部屋のなかでいちばん基礎運動に力を入れているのは大の里です」と断言する。
大の里のスタイルは唯一無二
強さの土台が固まりつつある一方、大の里は自らのスタイルを表現する言葉として、「変則」という言葉を使った。
「自分の相撲は、教科書には載っていない変則的な相撲です。番付が上がっていくと、「あの大関、あの横綱に似ている」と言われることが多くなりますよね。自分の場合、そう言われることがない。僕は相撲が大好きで、ずっと見てきましたけど、たしかに自分が似ていると思う関取はいませんでした。それも含めて、自分は『唯一無二」だと思っています」
伝達式で使った「唯一無二」という言葉には、こうした意味も込められていたのだ。それはスタイルに対する自負だろう。では、 大の里にとって最強の形とは、どんな取り口なのか?
「立ち合いから、右下手を取る。そして手首を返しながら、肘を張ります。これが最強の形です。一般的な相撲の教科書理論だと、差して、かいなを返してから左を取るというのが普通です。でも、自分の中ではそれが常識じゃないんです」
五月場所では会心の相撲があったという。優勝を決めた琴櫻戦だ。「右下手を取って、僕が肘を張った瞬間、 琴機関が浮いたんです。その瞬間に左をおっつけて、そのまま土俵の外へ。普通じゃない相撲でした」
それは一瞬の出来事だった。映像で確認すると、スロー再生でも分からない。一時停止し、コマ送りにしてようやく分かる攻防で、流れのなかで大の里の右が入り、次の瞬間に肘を張ると、179㎏の琴櫻の上体が浮き上がった。決まり手は寄り切り。しかし、実際には肘を張ったことで勝負が決まっていた。この形は、大の里が中学、高校時代から得意としたものだったという。
「右下手を取り、肘を張って相手にぶつけるというのが得意でした。中学、高校時代から右手は器用に扱えていたんですが、左が安定しませんでした。自分が土俵際で突き落としで逆転を食らうのは、左手を使えていないことがあったからです。それを日体大で齋藤(一雄)先生から、『左手は添えるだけでいいんだ」とご指導いただいて、 そこから安定感が出てきました」
大の里の自己分析によれば、かつては右の出力が大きすぎたため、体のバランスが崩れていたという。しかし、左手を意識することでバランスが補正されたというのだ。
左手は添えるだけ。『SLAM DUN K』の主人公、桜木花道の台詞だ。そう話すと、大の里はシュートを打つ真似をして笑った。
「本当です。左手は添えるだけ」普通じゃない、変則的な相撲。 これが自分の形です。
いまは、左手の使い方も進化している。 右差しからの左のおっつけなど(大の里のおっつけは手のひらを返す形で独特だ)、 師匠からの教えを自分のものとして、攻め手のバリエーションを増やしている。
二所ノ関親方は、常に「自分が帰るべき形を持つことが重要です。たとえ負けたとしても、形さえ決まっていれば翌日から迷いなく相撲が取れますから」と話す。大の里は入門2年にして、自分の形を作り上げた。そしてこう断言する。
「自分には絶対に負けない形があります。 右が入って、肘を張る。普通じゃない、変則的な相撲。これが自分の形です」
他の力士たちにとって厄介なのは、大の里の形が従来の教科書にはない新しいもので、実戦でも経験したことのない取り口だということだ。つまり、対策が立てづらい。
大の里の右を無力化しようとしても、大きさ、力強さが立ちはだかるのだ。加えて、足の運び、さばき方を見ると、 俊敏性も備わっている。実際、スポーツは得意だという。
「日体大の時は、学校で時間さえあればキヤッチボールをしたり、いろいろなスポーツをやってました。特に、授業でやったハードルが得意だったんですよ。タイムが評価の大きな割合を占めるので、相撲部員は追加のレポートを提出する場合が多いんですが、陸上の先生から「ハードル間の歩幅と、フォームが完璧だった」と言ってもらい、追加のレポートはなく、合格点をいただきました(笑)。あれはうれしかったです」
このエピソードひとつとってみても、俊敏性に秀でていることが分かる。これだけの素質があれば、きっと他の競技をやっても成功していたに違いない。
角界のモンスター。大の里の活躍が今後も楽しみ。かっこいいよね。
「日本相撲協会公式チャンネル」がYouTubeにあるので、今後は世界的なコンテンツになるかもしれません。